第12話 闇に堕ちた聖女

 ミラと出会うよりずっと昔のこと。

マディアも知らない遠い過去の出来事。

片翼の蜥蜴が設立した原因。

『愛の終わり』外伝に登場した始まりの物語。

生まれ育った場所を遠く離れた小さな村で起きた事件。

戦争孤児として教会の孤児院に身を寄せ。

手伝いで得た小銭を未来のために貯金する生活。

幼いアルトは弟のクルスと共に教会の仕事を手伝っていた。

簡単なものは庭の草取りから神父に付き添う任務まで。

仕事によって料金は変動する。

その中でも嫌がる者が多く高額なのが死者の弔いだ。

もらえる金額は大きいが気が重い。

大木に端を結んだ綱を伝い崖下に転落した馬車の撤去に赴く。

砕けた骨組みと散乱する貨物。

息絶えた馬がここからでも確認できた。

亡くなった人は先を奪われさぞ悔しい思いをしただろう。

「うわぁ。これじゃあ生きている人はいないかもな」

「こらクルスや。そんなことを言うんじゃないぞ」

弟はまだ小さいからか人が亡くなることを重く捉えていない。

生きていればこの人たちにもこれからがあったろうに。

神父様と俺は動くことのない商人や御者たちに手を合わせる。

静かに爆ぜる火に手をかざす。

この辺りでは屍人は魔物に堕ちないよう魔法の火で燃やす。

魂の穢れを落とす炎なので姿形は変わらないが。

見ていて気のいいものではない。

神父様は膝を折り鎮魂の祝詞を唱える。

少しでも安らかな気持ちで天に召されるようにと想いを込め。

蝶々を追いかけ走り回るクルスの笑い声が聞こえる。

弟にもこの気持ちがわかる日は来るのだろうか。

「兄ちゃん!ここ動いてるよ」

遊んでいたクルスが立ち止まり馬車の幌を指差している。

近づくと布の下からうめき声が聞こえた。

生存者がいたのかもしれない。

獣や魔物が出てくる可能性もあるので慎重に布に刃を入れる。

「アルト。気をつけるんじゃよ」

少しずつ切り込みを深くし。

ようやく開いた隙間から中を覗き込むと。

艶やかに煌めく瞳がこちらを見つめていた。

「あんなところに女の子がいると思わなかったね兄ちゃん」

「あぁ。傷もないみたいでよかった」

教会の椅子に横になる少女の寝顔を見つめる。

陽光を浴びる純白の髪が輪郭に添い流れた。

大きな事故だったのに荷物が緩衝材になったのか怪我もなく。

幌に包まれていたおかげで獣にも襲われずに済み。

神様が助けたのかと思うほどの状況だった。

見つかるまでの間に怖い思いをしたのだろうか。

発見されたことがわかると安心したのか気を失ってしまった。

何日も碌に寝ていなかったのか三日三晩眠り続け。

少女が目覚めた時に俺と弟はその美しさに心まで奪われた。

黒曜石かと見間違う瞳でこちらを見つめる。

事故のせいかそれ以前からなのか。

自分が住んでいた場所も名前も思い出せないというので。

ディアンと呼ぶことにした。

兄弟と同じように孤児院で過ごす日々。

彼女は可憐で気高い獣だった。

養子を探しにくる貴族は皆ディアンの美貌に魅了される。

宝石のごとき価値ある容姿に惹かれるが。

近づこうとすると奇声を上げ手近な物を投げる。

泥に塗れた手で高級な召し物を亡き者にすることもあるほど。

それでも我こそはと名乗り出る貴族は後を絶たない。

最初に助け出した神父と兄弟にしか心を許さなかった。

優しい顔を見せるのは怪我をした猫や鳥などが寄ってきた時。

撫でながら何かを囁く。

白い光がたんぽぽの綿毛のように舞い。

傷口は塞がっていた。

彼女は回復魔法まで使えたのか。

アルトは彼女がこれ以上辛い目に遭うことを恐れ。

神父にもディアンの能力について話さなかった。

いつもアルトとクルスとディアンの三人で遊び。

怒られる時も眠りにつく時もずっと一緒。

月日が流れるのは早く。

三人は孤児院を出る年齢になっていた。

これからも長い間三人で暮らすのだと信じて疑わなかった。

それなのに孤児院での最後の夜。

二人がいないことに気がつき院の中を探すと。

そこで見たのは仲睦まじそうに見つめ合うディアンと弟の姿。

いつの間にそういう仲になったのか。

親密な二人を残し今夜ここを出ようと誓う。

二人の門出に兄は不必要だ。

この時の決断を後にアルトは悔やむことになる。

明朝一番に孤児院にきたのは今の王の父親。

美しい少女を連れて行こうと拘束具まで用意し現れた。

両手を鎖に繋がれ首輪を嵌められるディアン。

神父たちも王に手出しができずにいた。

そんな中クルトは人道に反すると声を上げ間に割って入った。

黒檀の如き澄んだ瞳が愛しい人の登場に潤む。

王はディアンの表情を見て醜い感情を剥き出しにし。

「王族への反乱か。この者を処刑せよ」

最悪の指示を出した。

「嫌ぁ!やめて。お願いだから」

抵抗する間もなく騎士の手によって無惨にも切り殺されたクルト。

揺さぶっても目を開けない愛する人に涙する。

「起きてお願いよ。クルス愛しているわ」

天に向かい手を広げ叫ぶ。

『白百合慈雨(しらゆりじう)』

視界が効かなくなるほどの雨が地面を濡らす。

「どうして起きないの。回復したでしょう」

傷口は塞がったのに縋りついてもクルスが目を覚ますことはなかった。

「お前は回復魔法も使えるのか。それは良い」

王は愉快そうに笑い肩を揺らす。

このことを知れたのは殺したおかげだな。

下民の分際でよくやったと顔面に足を乗せる。

「…殺してやる」

ディアンは片手を上げ唸りながら呟いた。

『黒百合葬送(くろゆりそうそう)』

影が立ち上がるかの如く黒煙が舞い。

王の一行だけが糸の切れた人形のように崩れ落ちる。

顔を上げたディアンの笑った口には牙が隙間なく並んでいた。

瞳孔が細くなり猫のような瞳になる。

背中が盛り上がりドレスが引きちぎれた。

鋭い爪のついた体を覆い隠すほどの鱗が光る翼。

街を出るアルトの目に映ったのは。

弟の髪の色に染まった翡翠の瞳の黒龍の姿。

聖女が闇に堕ち。弟を失った男が片翼の蜥蜴と名乗り。

王族に反旗を翻すまであと少し。

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