返り咲いた天才科学者

「それにしても、かなりギリギリまで引き留められたんだね。」



 頭が痛そうなルカたちを見ていられなくなって、キリハはジョーとシアノの間に入って話題を変えることにした。



「本当にね。国籍を変えてから、もう半年だよ? それなのに、未だに僕をセレニアの人間として組み込もうとするんだから。あのしつこさは尊敬に値するかもね。」



 キリハからの問いかけに、ジョーは辟易と息をつく。



「まあ、セレニアの学会も、死んだと思われていた天才科学者を手放したくなくて必死なんだわな。」



「それにしても、一番セレニアから出ないだろうと思っていた人が、セレニアから出ていっちゃいましたよね~。」



 同情的なミゲルと、あっけらかんとしたディアラント。

 双方の反応を見ながら、ジョー ―――もといアルシードは、また深い溜め息をついた。



 軍人を辞めて宮殿を去ったミゲルとは対照的に、アルシードは宮殿の情報部に異動した。

 そして、ランドルフとの契約を遂行し、ターニャの大統領選挙ではその力を大いに発揮したそうだ。



 ターニャが大統領に当選した後は、情報部に加えて政務補佐官を兼任。

 情報の覇者(悪魔)として、それはもう恐れられる存在になっていた。



 ケンゼルとオークスが説得に説得を重ね、さらにエリクのだめ押しによって、アルシードが先進技術開発部に異動したのが、約三年半前の話。



 最初は兼任だから週に一回しか顔を出さないと言ったくせに、いざオークスの研究室に通い始めたら、十日後には研究室から出てこなくなってしまったそうだ。



 キリハがルルアに留学してからは、キリハに助っ人として呼ばれたことをきっかけに、ルルア国立ドラゴン研究所にも定期的に出張で訪れるようになった。



 その後、セレニアとルルアの友好同盟のシンボルとして設立された、ルルア国立ドラゴン研究所セレニア支部の所長に抜擢。



 セレニアにおける、ドラゴン研究の第一人者と言われるほどに。



 本人としては気付いたらこうなっていたという認識とのことだが、確実に彼は、科学者としての道を再び歩み始めていた。



 そんな彼に大きな転機が訪れたのは、今年の年明け早々のこと。



 セレニアで一番メジャーなネットニュースで、アルシード・レインが生きていたという旨の暴露記事が発表されたのだ。



 それは、ノアやターニャを筆頭に、彼を本来の人生に戻してやりたいと願った人々からのサプライズプレゼント。



 事実と虚構を織り交ぜ、アルシードや彼の家族には一切非難が及ばないように配慮された記事になっていた。



 さすがのアルシードもこれにはお手上げで、素直に自分がかつての天才科学者であることを認めた。

 そして、開き直った彼は驚きの行動に出る。



 まず行ったのは、アルシード・レインとして初の論文発表。

 そこで、ロイリアの治療薬を開発したのが自分であることを公表した。



 さらには、自身がリュドルフリアたちの血を飲んで竜使いの一員となったことも暴露。

 今後は、ドラゴンや竜使いのための研究を進めると発表した。



 世間は献身的なアルシードの方針に拍手喝采を送ったが、彼の望みはそこになかった。

 そして、次に彼が述べた意向に世界中が目を剥くことになる。



 今後は両親共に国籍をルルアへと移し、研究は基本的にルルアで行う。

 今後発表する論文や新薬の帰属権も、ルルアに与えるつもりだ。



 自分を称賛する人々に向けてこう言い放った彼は、暗に〝セレニアを捨てる〟と告げたのである。



 セレニアのメディアの、個人情報保護も考慮しない取材や報道。

 それによってテロ組織が自分の居場所を特定するのが簡単になって、誘拐の折に兄は死んだ。

 自分もそれがトラウマになり、一度は科学者としての心が死んでしまった。



 素晴らしい功績を称えただけだと言うのは勝手だが、その無意識の悪意が自分たちを殺したのだ、と。



 深い憎しみをたたえて、アルシードは怨嗟の言葉を全力で叫んだ。

 そして、それに反論できた者はとても少なかったらしい。



 その後、戸籍上の名前もアルシード・レインに戻った彼は、本当にルルアへと国籍を移した。

 未だに彼がセレニアにいるのは、キリハに任を渡すまでは、研究所の所長を務め続けると宣言したからだ。



 現在二ヶ月おきに活動拠点をセレニアとルルアで切り替えている彼は、ルルアに戻る度に新薬の発表を行っている。



 年明けからこの九月までの間に、すでに三つもの新薬を発表しているのだ。

 これには、世界中がある種の混乱に叩き落とされている。



 とはいえ、いずれアルシード・レインはセレニアから消える。

 それを阻止したい人々が、今でも彼を捕まえようと必死なのである。



「ごめんね、アル。本当は、早く所長をバトンタッチしたいんだけど……」

「気にしなくていいの。」



 申し訳なさそうに眉を下げるキリハに、アルシードは柔らかく微笑む。



「大学院まで行きたいんでしょ? 今は思う存分勉強して、見聞を広げておいで。卒業してすぐに所長っていうのもプレッシャーだと思うから、何年か働いて仕事に慣れてから、正式に引き継ぎをやっていこう。」



「でもそれじゃあ、いつまで経ってもアルがルルアに定住できないじゃん……」



「いいの、いいの。今は半々のバランスでセレニアとルルアにいるけど、徐々にルルアに比重を傾けるつもりでいるからさ。ルルア学会の仕事もあるんだし、こっちの所長の仕事なんか、オンラインで片付けられるくらいにしてやるさ。」



「そう…?」



「うん。だからぁ……キリハ君も、いっそルルアに移籍しない?」



「あっ…」



 まずい。

 いつものあれが始まっちゃった。



「だって、セレニア支部ってだけで、あの研究所はルルアの持ち物だし? だったら、キリハ君がルルアにいたまま引き継いでもオッケーじゃん? こんなくそみたいな国にいるより、ルルアでのびのびと研究しようよ。」



「いや、でも、ほら…。こっちには、リュードやレティシアがいるし。ね?」



「だったら、セレニアのドラゴンをルルアに移住させちゃうってのは? そしたら、キリハ君がセレニアに戻る理由はなくなるよね? サーシャちゃんもどう? キリハ君と一緒に、親戚一同まるっとルルアに移籍なんて。」



「ふぇっ!?」



 突然当事者ポジションに放り込まれたサーシャは、素っ頓狂な声をあげてパニックに。

 キリハは大慌てでアルシードを止めた。



「ま、待って! アルとノアが組んだら本当にやりそうだから、本当に待って! ルルアの生態系が狂っちゃうって!!」



「それもまた、研究材料に……」

「アールーっ!!」



 キリハは眉を下げて叫ぶ。

 すると、そこでシアノが片手を挙げた。



「父さん。ぼくはさっさと移籍したい。」

「ああ…。シアノの移籍に関してだったら、もうノアが審議に通してくれてるってよ?」



「本当!?」

「うん。ターニャ様とも議論してるって言ってたから、よほどのことがない限り許可が下りるんじゃない?」



「やったー♪」



 シアノ、グッジョブ。

 アルシードの意識を逸らしてくれてありがとう。



「……なんだ、このカオス。」

「シアノにアルが乗り移った代わりに、アルにはノア様でも乗り移ったのか…?」

「ひょえぇ……」



 完全にドン引きのルカ。

 ひきつり笑いのミゲル。

 顔を真っ青にするディアラント。



 他の皆も、それぞれの豹変ぶりに目をしばたたかせている中……



(えー………うそぉ………)



 キリハは一人、冷や汗を流していた。


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