前を向ける理由

「あれ? キリハ、何してんだ?」



 声をかけられて後ろを向くと、ちょうど会場から帰ってきたらしいディアラントが、タオルで汗を拭っているところだった。

 いちいち説明しているのも面倒なので、キリハは袋に入った矢をディアラントに見せる。



「わーお。」



 返ってきた反応はこれである。



「さすがに笑えないって、これは。」



 キリハは両腕を腰に当て、憤然として鼻を鳴らす。

 するとディアラントは、その顔に苦いものをたたえて肩をすくめた。



「ごめん、ごめん。ちょっとは気を引き締めるわ。今日で何人釣れてるの?」

「今あえて逃がした二人を含めるなら、八人かな。」



「ふーん…。去年より増えてるな。こりゃ来年が怖い。」

「本当に……なんでもありなんだね。」



 呆れも怒りも度を越えてしまい、もはや出てくるのは溜め息ばかりだ。



「ま、オレもよくやるなとは思うけど。いちいち騒ぎを起こしても泥沼になるだけだし、なら弱みを握られないように堂々とするしかないっしょ。」



 命を狙われていたというのに、動揺の欠片すらも見せないディアラント。



(俺なら無理だな……)



 素直にそう思った。



 自分なら、絶対に無理。

 こんな逆風の中に立たされて、命をも狙われて、そんな状況で笑って全てを受け入れることなどできない。



 きっとどこかで限界が来て、何かを傷つけてしまったと思う。

 ジェラルドたちに追い込まれて、とっさに自分を傷つけようとしたみたいに。



「ディア兄ちゃんは、怖くないの?」



 気付けば、そう問いかけていた。

 訊ねられたディアラントは少し目を見開き、次に穏やかな笑みをその表情に浮かべる。



「怖くないよ。」



 迷わず、はっきりと一言。



「だって、みんなが守ってくれてるからな。信頼できる人たちが支えてくれてるんだから、気が楽ってもんよ。」



 彼の言葉に、強がりや迷いはなかった。



 こんな時でも、やっぱりディアラントはディアラントだ。

 その答えを聞き、改めて彼の器の大きさを知る。



 心から相手を信頼し、また相手にも心から信頼されること。

 レイミヤを出た今なら、それがいかに難しくて勇気のることなのかが分かる。

 自分のことだけを考えていては、絶対に実現できないことだと思う。



 ディアラントも皆も、彼が持つ人を引き寄せる力の強さを知っている。

 それを知っているからこそ、ディアラントは正しくあろうと、ひたむきに前を向いて立っている。

 そしてそんなディアラントの姿を見てきた皆は、心から彼を慕っているのだ。



 卑怯な手を使われたとしても、あくまでも堂々と勝ちにいく。

 それはきっと、ディアラントだからこそ掲げられている理想で、ミゲルたちがいるからこそ実現できている理想だ。



 それをあんな奴らに壊させるわけにはいかない。

 改めて、そう思った。



「今日は、あと一試合だったよね? 頑張ってね。俺はこれ、ミゲルに渡してこなきゃ。」



 キリハはディアラントに手を振って、入場口に背を向けた。



「おう。悪いな、お前にまで迷惑かけちまって。」

「謝るのはもう禁止!」



 間髪入れずに言い返し、キリハはディアラントにずいっと人差し指を突きつけた。



「ディア兄ちゃん、今言ったでしょ? 信頼できる人たちが支えてくれてるんだからって。俺もミゲルたちも一緒なの。ディア兄ちゃんのことを信頼してるから、こんなに頑張れるんだよ。そのくらい分かってるでしょ? 今のディア兄ちゃんの仕事は、とにかく試合に勝つこと。謝ってる暇があるなら、次の試合に備えてよね。」



 本格的な勝負は、すでに始まっているのだ。

 今総督部の奴らに見せてやるべきは、妨害に四苦八苦する弱さではなくて、揺るぎない皆の絆と信頼感から生まれる絶対的な強さだ。



「オッケー。背中は任せた!!」



 ディアラントは、底抜けに明るい笑顔で親指を立てる。

 そしてそんなディアラントは、次の試合も圧巻の強さで突破したのだった。


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