叱責の裏側

 まっすぐ執務室に戻ったターニャは、机の上に積まれた書類に目を通しながらパソコンを起動する。

 メール画面を開くと、そこにもおびただしい量の未処理メールが溜まっていた。



 いつものことながら、この量には辟易としてしまう。

 連日の激務にさすがに疲れを感じて、ターニャは柔らかい椅子に身を預けて脱力する。



「ターニャ……」



 控えめに名前を呼ばれたのはその時だ。

 伏せていたまぶたを上げると、フールがちょこんと机に座ってこちらを見ていた。



「いいのですよ。」



 フールが何を言いたいのかは、その気遣わしげな様子から察せられる。



「いい加減、誰かが言わなければならなかったのです。このままでは、ただの甘えになってしまいますし……かえって、キリハさんが可哀想です。」



 今のような依存のしかたでは、キリハの自由を奪ってしまうことになりかねない。



 自分がいないだけで、周囲の人間がここまで影響を受けてしまう。

 そうと知れば、キリハは竜騎士の任務が終わった後も、周囲のために宮殿に残ることを選ぶだろう。



 いくら根がまっすぐで芯が強いキリハでも、そんな状況に置かれれば、いずれ潰れてしまう。



 度の超えた期待と依存は、人一人を簡単に追い詰めるのだ。

 そうやって宮殿を去っていった人々を、自分は何人も知っている。



「でも、ミゲルさんには少し気の毒なことをしてしまいましたね……」



 あの場では言えなかった本音が、ぽろりと口から零れる。



 仕方なかったのだ。

 あそこでミゲルをフォローするような発言をしてしまっては、皆に叩きつけた言葉の重みがなくなってしまう。



 彼も、いつ別部隊に引き抜かれてもおかしくないほど優秀な人間だ。

 おそらく、こちらの事情を汲んでくれているとは思うが……



「大丈夫だと思うよ。ミゲルだって、あえて怒られるために矢面に立ったんじゃないかな。」



 今仕方考えていたことと、全く同じことをフールが言う。

 ターニャは苦笑した。



「そうだといいのですが…。少し話がしたいので、後で彼を呼び出してもらってもいいですか?」

「うん、いいよ。」



 きっとこちらの意図などお見通しなのだろう。

 フールはすぐに頷いた。



 そんなフールの仕草を視界の端で確認しつつ、目の前の書類を手に取って目を通していく。



 すると、ふいにフールが机から浮かび上がった。

 さっそくミゲルの所にでも行くのだろうと思い、特に気にすることなく書類を読み込むことに集中することにする。



 しかしターニャの予想に反して、フールは彼女に近寄ると、ぬいぐるみの手で彼女の頭をなでた。



「?」



 ターニャが顔を上げると、フールは苦笑ぎみの吐息をつく。



「気を張りすぎだよ。本当は……君だって、相当こたえてるくせに。」



 フールの言葉に、ターニャはわずかに目を見開く。

 そして次に、徹底していた無表情を崩して疲れたような笑みを浮かべた。



「やっぱり……フールには、ばれてしまうのですね。」

「当然。小さい頃から君を見ているからね。」



 フールは自慢げに言い、わざわざ書類の上に乗ってくる。



 どうやら、今は仕事をするなということらしい。

 ターニャはくすりと笑い、手にしていた書類を机に戻した。



「キリハってさ、本当にすごい子だったんだね。」



 フールの言葉が、身にみる。



「そうですね。」



 ターニャは深く頷いた。



 キリハが来てからというもの、宮殿の空気は驚くほど変わった。

 それはずっと宮殿にいるターニャとフールが、誰よりもよく感じていることだった。



「キリハさんなくしては、今の団結力も功績もなかった。もしかしたら皆、ドラゴンの脅威に屈していたかもしれません。だからこそ、怖いのでしょう。私たちが失うかもしれない存在は、それだけ重要で……愛されていたんですね……」



 胸を絞って、やっと出したようなか細い声。



「あの人に……なんて伝えれば…っ」



 肩を震わせて泣きそうに目元を歪めるターニャは、普段とは違って、年相応の女性らしい表情をしていた。


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