揺らぐ信頼感

 沈んでいた意識が浮上して、目が覚める。

 まだ夜明けには遠かったらしく、まぶたを開いても視界は真っ暗だった。



「どうしたの? 怖い夢でも見た?」



 すぐ隣から、優しい声。

 顔を上げると、エリクが声と同じ優しい顔でこちらを見ていた。



「ううん……」



 小さく首を振ったシアノは、いつもそうするようにエリクに体をすり寄せる。

 エリクは小さく笑うと、当然のように胸の中にシアノを招き入れた。



(あったかい……)



 自分が求める時には、必ず与えてもらえる温もり。

 それを感じると同時に、また涙がせり上がってくる。



 エリクの胸で散々泣いて、そのうち疲れて眠ってしまって。

 目が覚めると、宮殿の医療・研究棟にある特別区画の一室に移送された後だった。



 元々、転院の手続き自体は終わっていたらしい。

 そこに自分も連れていくために、ミゲルと二人で待っていたのだと。



 混乱する自分に、エリクは分かりやすい言葉で教えてくれた。



 それから数日。

 誰も、自分を怒らなかった。



 エリクやミゲルもそう。

 ターニャやディアラントに、フールもそう。

 父から一番怖い人だと聞いていたジョーや、彼に同行してきたケンゼルやオークスもそうだった。



『安心していいよ。エリクはもう、お父さんに操られることはない。ロイリアもなんとか助かった。さすがの僕も、利用されただけの君やルカ君を吊るし上げるようなことはしないさ。』



 自分が怯えていることを察したのかもしれない。

 採血や唾液採取をしながら、ジョーは淡々とそう語った。



 かなり疲れているのか顔色が青い彼に、周囲の皆が口々に休めと言う。



 しかし、エリクやオークスが作業を変わろうとすると、ここまで来たなら最後までやらせろと、ジョーは野良猫のように全力で威嚇。



 他人を警戒しまくるその姿に親近感が湧いて恐怖がやわらいだとは、その時には言えなかった。



 外部に自分を脅かすものはない。

 それなら、今一番自分を脅かすのは内部。



 いつ父が自分の体を使って、またエリクを殺そうとするか。

 一度は奇跡的に逆らえたものの、次も上手くいくとは限らない。



 そんな自分の心境をおもんぱかってくれて、自分が眠る時には、エリクが寝ずに傍にいてくれる。

 逆にエリクが眠る時には別の人が室内に入って、自分を監視してくれる。



 知らない人が近くにいるのは怖い。

 それでも、エリクがまた死にかけるよりはと思えば、いくらでもその恐怖に耐えられた。



『エリクのようにレクトの支配からのがれる方法があると言ったら、君はどうする?』



 フールに告げられた言葉が、この日も頭を巡る。



 この方法を使えば、レクトに体を乗っ取られることはなくなる。

 しかしその代わり、レクトと心の中で話すことはできなくなる。



 そう説明された時、とっさに心が嫌がってしまった。



 そんな自分の機微は、しっかりとフールに伝わっていたらしい。

 無理強いをするつもりはないと、彼は穏やかな口調でそう言ってくれた。



(父さん……)



 今日も父に呼びかけてみる。

 しかし、それに応えてくれる声はない。



(父さんは、本当にぼくのことが好きじゃないの…?)



 心が不安でたまらない。



 それに一人で耐えていると、ふとした拍子にエリクが頭に触れてきた。

 そのまま丁寧な手つきで何度も頭をなでられて、凍えそうな心に安堵が広がっていく。



 今度は絶対に一人にしない。

 その宣言どおり、エリクは片時も自分から離れない。



 自分がいつ彼を傷つけてしまうかも分からないのに、いつだって自分を抱き締めてくれる。

 そして自分が不安な時は、こうして頭をなでてくれるのだ。



 エリクと父の〝好き〟は違う。

 日を重ねるごとに、なんとなくそれを感じる。

 そしてそう感じてしまうからこそ、悲しくて苦しい。



 どうして?

 好きなら好きでいいんじゃないの?

 そんなものにいちいち種類があるなんて、自分には分からない。



「ぼくは……どうしたらいいの…?」



 誰か、自分に答えを教えて……



「どうしたらいい、か…。そうだね。この状況での判断は、シアノ君にはまだ難しいね。」



 それまで黙って自分を見守っていたエリクが、ふいに呟く。



「どうしてもいいよ。難しいことは僕たち大人に任せて、君は自分が正しいって思うことをやってごらん。なんでもいいから、自分がやりたいって思ったことを、そのまま言ってごらん。」



 エリクが自分に与えたのは、自由な選択肢。

 そこでまた、父と彼の違いを知る。



 ああしなさい。

 次はこうしなさい。



 父は、自分の行動の全てに答えをくれた。



 自分がわがままを言った時にそれを受け入れてはくれるけど、父の方から自分の希望を聞いてくれたことはなかった気がする。



「なんでも……いいの? わがままでも…?」



 おそるおそる、訊ねてみる。

 それを聞いたエリクは、ただ微笑むだけ。



「うん。まずは、怖がらずに言ってみて。それがいけないことだったら、ちゃんといけないことだって教えてあげる。急に怒ったりもしないし、シアノ君を捨てたりもしないよ。」



「―――っ!!」



 その言葉に、ハッとさせられる。



 気付いてしまった。



 自分を捨てないって。

 そう言われたのは、生まれて初めてのこと。



 父は、一度もそう言ってくれたことがなかった……



「………」



 どうしよう。

 涙が零れてしまいそうだ。



 ずっと守ってくれたけど、自分を捨てないとは言ってくれなかった父。

 まだ一緒に過ごす時間は少ないけど、自分を捨てないと言ってくれるエリク。



 どっちを選ぶのが正しいの?

 どっちが自分の味方なの?



「………っ」



 シアノは思わずきつく目を閉じて、両手を組む。

 そして強い願いを込めて、全身全霊で祈りを捧げた。


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