自分のことを、もっと信じてあげて。

 ――― ふわり、と。



 感じたのは、優しく頭を包む温もり。

 なでられたのだと気づくのに、少し時間を要した。



「……ごめんね。」



 なんだか、今日はよく謝られる日だ。

 そんなことを思いながら、キリハは顔を上げる。



 エリクは、困った顔で笑っていた。



「僕は魔法使いじゃないからね。人の心を操ることはできないし、過去を変えることもできないんだ。でも、これだけは言えるよ。たとえ周りがどんなに理不尽で横柄でも、君が君を抑え込める必要はないんじゃないかな。」



「俺が俺を……抑え込む?」



 言葉の真意を問うようにキリハが首を傾げると、それに応えてエリクは一つ頷いた。



「自分のことを、もっと信じてあげて大丈夫だよ。君が今まで君らしくいてきた種は、しっかりと目に見える形で芽吹いてるじゃない。君はどんな逆境も自分のパワーにできる子なんだから、自分らしく自分が信じたい道を歩めばいいんだよ。――― なってしまったものは仕方ない、でしょ?」



「あ…」



 今は亡き父の口癖。

 そして今や、自分の口癖になりつつあるそのセリフ。



 大事な思い出が詰まった言葉のはずなのに、こうしてエリクに言われるまですっかり頭から抜け落ちていた。



 色々と考えすぎるあまり、自分の根幹を支えているものすら見失っている。

 そう気づかされて、なんとも表現しがたい複雑な気分になった。



「俺、だめだなぁ。ほんとに。」



 心の底から吐き出すと、エリクが不満そうに唇を尖らせた。



「ええー。なぐさめたつもりなのに。あんまり自分を否定しないでよ。僕は、キリハ君の考え方に大賛成してる人間なんだからさ。」



「……へ?」



 キリハはきょとんとしてまばたきを繰り返す。



 一体いつ、エリクに賛成されるような意見を述べただろうか。

 全く身に覚えがないのだけど……



「あ、ごめん。これ、ルカから無理やり聞き出したことだった。」



 思い出したように言うエリクだが、そこに悪びれる様子は皆無だった。

 「ま、いっか。」と呟くと、エリクは再びキリハに穏やかな目を向ける。



「竜使いとかそうじゃないとか関係なく、守りたいと思えるものを守る。ルカは甘いって言ってたけど、僕はその考えにすっごく共感できたんだよ。だから余計に、キリハ君にはルカの傍にいてほしいって思った。」



「………」



 これはまた予想外の言葉だ。

 穏やかに語るエリクを、キリハはさっきまでの落ち込んだ気分も忘れてじっと見つめる。



「ん? どうしたの?」

「いや……びっくりして。俺に共感する竜使いの人もいるんだなって。」



 純粋に意外だったのだ。

 この中央区という特異な環境下で育ってきた人の中に、自分と同じ考えを持てる人がいるとは考えたこともなかったから。



「あはは。そうじゃなきゃ、医者なんてやってないよ。」



 破顔したエリクは、どこか誇らしげだ。



「竜使いでも普通の人でもね、命の重さは変わらないんだ。みんな同じように苦しんで、泣いて、それでも支え合って前を向く。医者や看護師って、患者さんから学ぶことばっかりだよ。」



 エリクは肩をすくめる。

 そんな彼の胸元に下がる小型の携帯電話が、控えめな音を立てて鳴ったのはその時だ。



「あ、アラームが鳴っちゃったね。もう休憩時間が終わっちゃうや。」

「え!? ごめんなさい! 俺のせいで、休憩どころじゃなかったよね……」



 机を見れば、ほとんど手をつけられていない弁当がある。

 こちらの話に集中してくれていたせいだ。



 自分がもっと強くあれたなら、こうして迷惑をかけることもなかったのに……



 頭を下げるキリハに、エリクはゆっくりと首を横に振った。



「いいんだよ。僕が好きでキリハ君の話を聞いてるんだから。いつもルカに振り回されてるお詫びってのもあるけど、それ以前に、僕にとっちゃキリハ君も可愛い弟みたいなものだからね。いつでもおいで。ま、キリハ君が来なくても僕が呼ぶんだけど♪」



 最後に茶目っ気を含ませて笑って、エリクはキリハの頭を優しく掻き回した。



「それでも、もし悪いって思っちゃうなら、またいつか元気なキリハ君を見せてね。」



 ……うん、とは言えなかった。



 キリハはわずかに口角を上げるだけ。



 エリクの好意が本物であると感じられるからこそ、愛想よくその場しのぎの言葉を取り繕うことができなかった。



 あの頃の自分に戻れる自信なんて、今の自分にはなかったから……



 エリクも返事を強要しなかった。

 そんな彼の優しさが、とても切ない。





 胸はきりきりと締め上げられ、針が刺さるようにちくちくと痛むだけ―――……




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