抱き合う人々

 安堵と感激の涙を流すキリハ。

 そんなキリハの背中をなでながら、ジョーは別の方向に目をやった。



「ターニャ様。」



 この場を収める最高責任者を呼んだ彼は、好戦的な笑みを浮かべて口を開く。



「ご覧のとおりです。審問会、堂々と受けて立ってやりましょうよ。この後すぐに、経過観察記録をまとめます。審問会の解説は、オークスさんがどうにかしてくれるでしょ。」



「アルシードさん……」



「何もお知らせしていなくて、申し訳ありません。ですが、よく言うでしょう? 敵を騙すには、まず味方からだと。」



 周囲の目など知らないと言わんばかりの、悪魔スマイル。

 そこにいる彼は、すっかりいつもの調子を取り戻しているようだった。



「僕がこんなことをしていると知れば、総督部は真っ先に僕を妨害してきたでしょう。まさか僕が、もう一度白衣に袖を通すわけがない……つけ入る隙は、十五年で作り上げたこの思い込みしかなかったんです。おかげで、楽に隠れられましたよ?」



 そう告げた彼は総督部の連中を思い浮かべてか、さげすみを込めて鼻を鳴らす。



「いやー、笑っちゃいますよ。白衣姿で夜中だけここに来るようにすれば、簡単に僕がこの件に関わる気がないって思ってくれるんですから。完全にノーマークだなんて、ターニャ様やディアたちを潰しながら、グレーゾーンの僕は引き抜いていこうって魂胆が丸見えなんですよ。僕がドラゴン管理の責任者だってこと、忘れてるのかな?」



「よ・く・言・う・なー?」



 その時、ジョーの傍にオークスが仁王立ちになる。

 彼はジョーの頭に拳を乗せると、問答無用でそこに力を込めた。



「君が好き勝手に動く分、僕とケンゼルがどんだけ手を回したと思ってる…っ。また倒れたらたまらんと、ロンドだってひやひやしながら待機してたんだぞ?」



「あてててて…。じゃあ、どうして文句も言わずにかくまわせてくれたんです?」



「当たり前だろう。ようやく光を見てくれた孫を、支えないじじいはおらん。」



「光、ね……」



 その単語をなぞるジョーは、少しばかり複雑そう。

 そんな彼にディアラントを連れて近づいたターニャが、彼の前にゆっくりと膝を折る。



「ありがとうございます…っ。もう、なんとお礼を言ったらいいのか…っ」

「お礼なんていいんですよ。そういう契約ですから。」



 開口一番の回答は、ひねくれ一色。

 しかし次に、ジョーは困ったような微笑みを浮かべた。



「キリハ君にロイリアを殺したなんて言いたくない、なんて……相変わらず、あなたは優しすぎる方ですね。表で冷徹に害悪を切り捨てては、裏でそれを気に病んでばかり。ランドルフ上官や僕がいなかったら、どうやって総督部と戦う気だったんです? ……そういうところ、お父様にそっくりですよ。」



「え…?」



 そう言われたターニャは、目をまんまるにする。



「父のことを、覚えているのですか?」



「ええ、もちろん。十五年前に宮殿で暮らしていた時、ほぼ毎日顔を合わせていましたから。気持ち悪いから優しくするなって、何回言ったかな…? 子供には子供をってことで、何度か僕をあなたに会わせようとしてきたんですけど、僕が娘さんをダークに染めてもいいならどうぞって言ったら、素直に引いていきましたよ。」



「ふふ…っ」



 ジョーの明け透けない物言いに、思わず笑ってしまうターニャ。

 その双眸が、瞬く間に涙で潤む。



「………っ」

「なっ!?」



 目をしばたたかせるジョーと、濁った悲鳴をあげるディアラント。



 無理もない。

 感極まったターニャが、ジョーの首に腕を回して抱きついたのだから。



「そのお話、後でまたゆっくりと聞かせてください。私、学校に行ったこともなくて……あれこれ相談できる友人も、父の話ができる友人も、あなたしかいないんです。」



「……僕の話でよければ、いくらでも。」



 何やら、とてつもなくいい雰囲気のお二人。

 当然、それを目の当たりにした恋人が冷静でいられるはずがない。



「ええぇ…っ。ターニャ……」

「ディア。無駄な勘ぐりはやめなさい。」



 おろおろとするディアラントに、ジョーは呆れた一瞥いちべつをくれてやる。



「ちゃんと〝友人〟って言ってたでしょ? 単に今まで、ダークな相談も含めて話せる相手が僕しかいなかったってだけさ。それに、無鉄砲で他人をハラハラさせるのが得意な恋人に関する相談なんざ、それこそ僕以外の誰にできるの?」



「あっ……あー……」



 心当たりが大ありらしい。

 ぎくりと肩を震わせたディアラントは、非常に気まずげな表情で明後日の方向を仰いだ。



 とりあえずディアラントを黙らせることに成功したジョーは、ふと息を吐いて肩を落とした。



「お礼なら、僕を上手く隠してくれたオークスさんとケンゼルさんと……彼女に言ってあげてください。」



 ジョーがとある一点を見つめる。

 彼の視線を追いかけた皆は、それぞれが驚きの表情を浮かべるしかなかった。



「サーシャ……」



 茫然としたキリハが、その名前を呼ぶ。



「サーシャちゃんがいなかったら、ロイリアを助けることはできなかったよ。」



 ジョーは語る。



「人の目が多い時間は表立って動けない僕の代わりに、僕が作った試験薬をロイリアに投与し続けてくれたんだ。寝る間も惜しんで、毎日欠かさずね。誰にも目をつけられていないから、目くらましにはかなり便利だったよ。おかげで、僕は試験薬の分析と改善に全力を尽くせたし、ロイリアの症状の進行もかなり抑えられた。まさにダークホース……もとい、最高の助手さ。」



 ジョーから贈られた、最大級の賛辞。

 それに、サーシャは照れくさそうにはにかんだ。



「お礼を言うのは、私の方です。私にチャンスをくれて、ありがとうございました。」

「おやおや…。散々こき使われたのにお礼だなんて、君も変わってるね。」



「ジョーさんほどじゃないと思いますけど。」

「どうも。褒め言葉として受け取っておくよ。」



 大きな仕事を終えた二人は、軽口を叩き合って笑う。



「サーシャ……危ないことはしないでって言ったのに……」



 キリハは眉を下げてサーシャを見つめる。



 包帯に包まれた両手。

 きっと投薬の時にロイリアが暴れて、怪我をしてしまったのだろう。



 ただでさえ怖がりなのに、一人でドラゴンと向かい合っていただなんて……



 かなりの罪悪感。

 思わず表情を曇らせたキリハの傍に、サーシャは笑顔で寄り添った。



「ねぇ、キリハ。私は、あなたの助けになれたかな?」



 こちらの手を取って、彼女はそう問いかけてくる。

 答えなんか決まっている。



「当たり前じゃん。これ以上なんてないくらいに、助けてくれたよ。」

「そっか…。なら、それだけで十分! あなたが笑ってくれるなら、怖いのなんかへっちゃらなの。」



 満面の笑みで頬を染めるサーシャ。

 そんな彼女の笑顔がきらめいて、胸の奥から衝動が湧き上がってくる。



「―――っ」



 それをこらえることなんかできなくて、彼女の体を強く抱き寄せる。

 彼女がそれに応えて自分の背中に手を回すと、腕の中の温もりがより一層愛しく思えた。



 視線を絡ませた二人は、そのまま引き寄せられるように唇を重ねる。

 それを目撃した全員は、空気を読んで視線を逸らすのだった。


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