黒幕は嗤う

「ようやく来たか…。あまりにも退屈で、そろそろリンクを切ろうかと思っていたぞ?」



 ジャミルの口を借り、レクトはゆったりとした口調でフールへと語りかけた。



「エリクの体を使ってジャミルに協力したのは、君だね?」



「ああ。御するのが大変な、困った駒だったよ。シアノの血だけでは不十分で、私の血を直接与えて、ようやく飼い慣らせたのだ。」



「シアノ君の血だって…?」



「ふふ…。リュドルフリアの血を早々に遠ざけたお前は、知らないだろうな。」



 レクトはくすくすと笑う。



「人間が私の血を長く受け入れ続けるとな、その人間の血を介してでも、私が体を乗っ取れるようになるようだ。」



「―――っ!?」



 それだけで、事の真相を悟るには十分だった。



 エリクに初めて仕込まれたのは、レクトではなくてシアノの血。



 キリハに保護されてエリクの家に預けられていたシアノは、隙を見つけてはエリクに自分の血を与えていたのだろう。



 キリハに保護された時のシアノは、着の身着のままで何も持っていなかった。

 そして自分とレクトが久しぶりに対面したあの日から、あの子はキリハたちに接触していない。



 その事実に、まんまと騙されたわけだ。



 レクトの血を飲まなければ問題ないと思っていた自分は、簡単にシアノを逃がしてしまった。

 その血も心もレクトに支配されたあの子は、それこそ彼の一番の切り札だったというのに。



「君は……シアノ君に、なんてむごいことを……」



 キリハが言っていた。



 人間は嫌いだけど、自分たちのことは好きだって。

 シアノは去り際にそう告げて、雨の中に消えていったのだと。



 それなのにレクトは、まだ善悪の判断がつかない子供に、好きな人を自分の手で苦しめさせたというのか。



「むごい? そうか?」



 全身を震わせるフールに対し、レクトは不思議そうな表情をするだけだ。



「確かに私は、シアノを使ってエリクに血を仕込んだ。ジャミルとシアノに交流を持たせておき、それとなくエリクをジャミルの近くに誘い込み、ごく自然にあの二人を繋げもした。だが、それだけだぞ?」



「また…っ」



 飄々ひょうひょうとした口調のレクトの話を、そこでフールが遮る。



「君はまた、そうやって言いのがれるのか!? 自分はきっかけを与えてやっただけで、状況をひどくしたのは人間だと!!」



「だが実際、そうではないか?」



 レクトはフールにそう訊ねる。



「エリクを脅して自分の支配下に置いたのも、キリハを追い詰める策を講じたのもこいつだ。私はあくまでもこいつの指示に従って動いて、最後にこいつが渡してきた毒を飲んでやっただけだ。それを知らないエリクが自分でも毒を飲んだが、それこそ私が知ったことではない。気付いた時には、もう飲んでしまった後だったからな。」



 自業自得じゃないかと。

 一片も悪びれる様子を見せないレクトの態度が、そう語る。



「ふざけるな!! そのせいで、エリクとキリハがどんなに苦しんだと思ってるんだ!?」

「おやおや…。これも言わないといけないのか?」



 怒りのボルテージを上げるフールに、レクトはどこか呆れたように息をつく。



「ジャミルの行為について、私はキリハに全うな助言をくれてやった。それをふいにしたのはキリハだろう? 周りに相談しろとあんなに言ってやったのに、結局最後まで何も言わなかった。その事実があるから、今もキリハは私を信用しきっているではないか。」



「よくもぬけぬけと…っ」



 はらわたが煮えくり返る。

 こんなにも誰かを憎いと思ったことがあるだろうか。



「そうやってキリハを甘やかす一方で、人間にキリハを傷つけさせて……の時みたいに無理やり操るんじゃなくて、キリハが自分から人間を傷つけるように仕向けたかったんだろう?」



 今さらながらにレクトの狙いが分かって、反吐へどが出そうだ。

 優雅に指揮棒を振るだけの彼には、それに操られる奏者の苦悩が、何一つ伝わっていないのだから。



「あと一歩だったんだがなぁ…。まさかあそこで、キリハが《焔乱舞》を拒絶するとは思わなかった。だがそれはそれで、予想外の成果を生んでくれたよ。」



 実質的にこちらの指摘を認めながら、レクトはさも楽しそうに語る。



「元は《焔乱舞》とそのあるじを潰すための計画だったが、予想外の奴が潰れたな? あの厄介な知将は、まだ死なんのか?」



「お前…っ」



 もはや、この怒りをどんな言葉で形容すればいいのか分からない。



 エリクの必死の足掻きも。

 キリハの底知れない優しさも。

 アルシードの渾身の強さも。



 その美しい心たちの全てを踏み潰すだけでは飽き足らず、死に瀕している命を見て喜ぶなんて。



「言っただろう? お前たちのせいで、誰もが苦しむのだと。」



 次の言葉を紡げないフールに、レクトは勝者の笑みを浮かべる。



「さて…。リュドルフリアが目覚めるまで、まだ少し時間がある。ここからは、余興といこうではないか。」



「余興…? この期に及んで、まだキリハに何かしようっての?」



「まあ、当初の計画にはなかった余興だがな。お前たちの苦しみに華を添える、いい駒が転がり込んできたのだ。使わない手はない。」



「いい駒…?」



 怪訝けげんそうなフールの声。

 それを聞くレクトは、ジャミルの顔で心底愉快そうに口元を歪めた。



「《焔乱舞》のあるじや知将にばかり気を取られて、重要なことを見のがしていないか? 今この時、人間への憎しみを最も暴走させやすい奴が誰なのか。」



「―――っ!!」



 その言葉で、全身が凍りつく。

 世界に走った大きな亀裂が広がって、いびつきしむ音すら聞こえた気がした。





(―――ルカ…っ)




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