第8章 次なるターゲット

経験者故の諦感

 その翌朝、宮殿本部の会議室は重たい沈黙に満たされていた。

 皆が大きな不安を抱えて、とある人物の帰りを待つ。



 何かのカウントダウンのように、時計の秒針の音だけが鳴り響く会議室。

 どうしようもなく急かされるような感覚にさいなまれる中、ようやくそのドアが開いた。



「ディアラントさん…っ」



 さすがのターニャも冷静一徹とはいかず、若干の焦りを滲ませる雰囲気で椅子から立ち上がる。



「どうでしたか? もしかして、エリクさんの容態が……」

「いえ……」



 ターニャの問いに、ディアラントは首を横に振る。



 ミゲルが出勤してこないものだから、てっきりエリクに何かがあったのではと思っていたのに。

 最悪の予想が外れたにもかかわらず、その場の誰もが肩の力を抜けない。



「………」



 照明が落ちた携帯電話を見下ろし、それを力強く握り締めているディアラント。

 そんな彼の様子が、皆にさらなる不安をもたらす。



〝それよりも悪いことが起こった。〟



 泣きそうにも見える彼の表情が、如実にそう語っていたからだ。



 しばし己の激情と戦っていたディアラントは、ゆっくりと息を吐き出す。

 そして、今しがた聞いた報告を皆にも伝えた。





「危ないのは……ジョー先輩です。」

「―――っ!?」





 重々しく告げられた言葉に、誰もが顔を青ざめさせた。



「呼吸も心拍も虫の息で、できうる限りの延命処置でなんとか命を繋いでいる状態だそうです…。精神的なショックによるものだから、このとうげを越えられるかどうかは……ジョー先輩の気力次第だと…っ」



「そん、な……」



 まさかの展開に、両手で口元を覆うターニャはそれしか言えない。



「ミゲル先輩はジョー先輩につきっきりで、とても話せる状態じゃないそうです。ケンゼル総指令長もオークスさんも、ジョー先輩が目を覚ますまでは宮殿に戻らないと。」



「それだけ、状況がよくないということですね……」



「はい。」



 どうにか言葉を紡いだターニャに頷いたディアラントは、ぎゅっと目をつぶる。





「―――覚悟はしておいてほしい。……キリハの電話を借りたジョー先輩のご両親から、そう言われました。」





 それは、最終宣告とも受け取れる言葉。



 このまま二度と、彼と言葉を交わすことも叶わなくなるかもしれない。

 当然ながら、その事実をまともに受け止められる人間はいなかった。



「ちょっと待ってよ!!」



 声を荒げて椅子から立ち上がったのは、ジョーやミゲルと大学から直接の付き合いがあるアイロスだった。



「一体、何があったらそんなことになるのさ!? 先輩なら、昨日の昼までは普通に俺たちと連絡を取ってたよ!?」



「そ、そうですよ!!」



 悲鳴のような叫びに、別の悲鳴が重なる。



「昨日の朝……自分たちの動きについての反省点だって、すごい量のダメ出しをしてきて…っ」



「分析レポートも赤だらけで泣きそうなってたら、〝頑張って直してね~♪〟って、いつもと変わらない悪魔スマイルをしてたのに…っ」



 アイロスに続いたのは、先のドラコン討伐でジョーの代わりを務めていたヘンデルとサッカニー。

 二人とも、突然の事態に動揺して涙を流していた。



 だがそれに、隊長であるディアラントは何も言わない。

 フォローとなる言葉など、何も言えなかった。



「エリクに……会っちゃったか……」



 そこでより一層深刻に呟くのは、彼の事情を全て知っているフールだ。



「だから言ったんだ。二度目はないって……」



 ぬいぐるみの額に手を当て、深い溜め息をつくフール。

 そこには、ある種の諦感が滲み出ていた。



「おい! ユアン!!」



 カッとなったディアラントが、彼の本当の名前を呼んで、柔らかいぬいぐるみの体を片手で掴む。



「いい加減、十五年前のジョー先輩に何があったのかを話せよ!! 大事なことを何も知らないまま……オレたちに、ジョー先輩を見送れって言うのか!?」



〝ジョーはきっと、助からない。〟



 ユアンの言葉と態度が、そう語っているように思えた。



 確かに彼は、昔から雲のように形が掴めない人だった。



 そこに触れないのが彼との適正な距離感だと思っていたけれど、その雲の中にこんな危険が眠っていたのなら、この距離感に甘んじなかったのに。



 あの人はこのまま、本当の雲のように消えていくつもりなのか?

 そんなことがあってたまるか。





「何か言えよ! 普段はオレも悪魔とか魔王とか言って茶化してたし、みんなもあの人に怯えてばっかだったけど……―――あの人は、オレたちの大切な仲間なんだぞ!?」





 隊長の血を吐くような全身全霊の叫びに、隊員の皆が頷いて同意する。

 しかし。



「……ごめん。」



 この場の全員から圧力を受けてもなお、ユアンは口を割らなかった。



「僕だって、話してあげたいよ。でも、まだ言えない。これは……あの子が、命と生きる理由の全てを懸けた秘密なんだ。君たちがこの秘密を知るのは、あの子自身がそれを打ち明けた時か……あの子が、何も告げないまま死んだ時だ。」



「………っ」



 真実を知ることができるのは、ジョーが死んだ時。

 救いのないその発言に、皆が大きく顔を歪めた。



「ターニャ。」



 ユアンは静かに、ターニャへと語りかける。



「ランドルフにあの子が危篤だと伝えて、十五年前に起こった事件資料の開示を求めるといい。あの子との取引で、次代の神官への引き継ぎも行われずに闇に葬られた事件だけど……あの子の死は内々で静かに処理しなきゃいけない以上、神官である君は、先に真相を知っておかなくてはいけない。」



「内々で、静かに…?」



 戸惑いながら繰り返したターニャに、ユアンは小さく頷いた。



「ああ。最期くらいは……仮面を脱がせて、本当の姿で送り出してあげたいからね。」



 ユアンのその言葉に、ディアラントは大きく目を見開く。



「最期くらいはって…っ。勝手に決めつけんなよ!! あの人は、殺したって死なないくらいしたたかだから、きっと―――」



「そうだよ。」



 ディアラントの叫びを肯定するユアンは、声だけで切なさと苦しさに満ちた表情を想起させるよう。



「あの子は強く、しぶとく、無意識でどんな痛みにも苦しみにも耐え抜いてきた。だからこそ……ろくに修復もされないまま折れてしまった傷だらけの心は、もう一度立ち直れるか分からないのさ。そうやって消えていった命を、僕は何度も見てきた。」



「なっ……」



 数百年を生きてきた経験者の言葉は重い。



 ディアラントすらも言葉を奪われた会議室には、何人もの人々がすすり泣く声が響き、葬式のような空気になりつつあった。



「………っ」



 目の端に涙を浮かべたターニャが、弾かれたようにきびすを返して会議室を出ていく。



「ターニャ―――」



 とっさに彼女へと手を伸ばしたディアラントは、そこで思いとどまったように動きを止めた。



 こらえなければならない。

 今の自分は〝隊長〟なんだから。



「………っ」



 感情のやり場がなくて、奥歯を噛み締めるしかないディアラント。

 そんな彼に体を掴まれたままのユアンは……





(アルシード……どうか、みんなのためにも乗り越えておくれ……)





 ひっそりと。

 無惨なまでに心が壊れて、命すらも壊れそうになっている彼へ、ささやかな祈りを捧げた。


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