第4章 それぞれが深みへ……

残酷な〝もしも〟

 ディアラントを筆頭に、皆はキリハが眠る病室へと急ぐ。



 広くていくつもの棟に分かれている宮殿が、この時ばかりは憎い。



 宮殿本部から医療・研究棟に至るまでの道のりは、ほぼ全力疾走で駆け抜ける皆の焦りをあおりに煽った。



「キリハ!!」



 病室の扉を叩きつけるようにスライドさせ、全員で中に雪崩なだれ込む。



「………」



 ベッドの上で上半身だけを起こしていたキリハは、無言で医者の触診を受けていた。

 ぼうっとした瞳には意思らしい意思は見受けられず、応答式のロボットのように医者の指示に従うだけ。



 現実を拒絶して、昏睡状態にまで陥るほどだ。

 分かっていたはずなのに、思考も感情も放棄してしまったようなその姿を見ると、胸が引きつぶされるようだった。



「身体的には異常は見られませんが、何がきっかけでどんな行動に出るかは分かりません。私たちも外で待機しておりますが、話をする際には、キリハさんの様子に十分に注意してください。」



 先頭にいたディアラントにそう告げて、医者と看護師たちは病室を出ていった。



「………」



 その場に立ち尽くすしかないディアラントたち。



 慌てて駆けつけたのはいいものの、いざ本人を前にすると、どう声をかけたらいいのかが分からなかった。



 それでも、表情を引き締めたディアラントが最初の一歩を踏み出す。

 彼はゆっくりとキリハに近づき、ベッドの側にある椅子に腰かける。



 そして―――ぽん、と。



 キリハの頭に、優しく手を置いた。



「…………ディア兄ちゃん…?」



 数秒の時間をかけて顔を上げたキリハが、何も知らない幼子おさなごのように、きょとんと首を傾げる。



 そんなキリハに淡く微笑みかけ、ディアラントはその髪に何度も指を通した。



「おはよう。お腹空いてないか?」

「………」



 最初の問いかけに、キリハは首を横へ。

 ディアラントは静かに頷き、空いている手でキリハの手をしっかりと握る。



「そっか。じゃあ、一口でいいから水でも飲もうか。ちょっとでいいから。な?」

「………」



 これには、こくりと頷くキリハ。

 歪みそうになる目元を必死になごませて、ディアラントは微笑みを貫く。



「……ありがとう。頑張って、起きてくれて。」



 言える言葉がそれ以上思い浮かばなくて、ディアラントはきつくキリハを抱き締めた。



 ジョーの言うとおりだ。

 こんなキリハを前にして、事件のことなんて訊けるわけがない。

 すでに壊れてしまっている心を、さらに追いつめてしまう。



「………っ」



 胸に渦巻くのは後悔と、自分に対する怒り。

 それを噛み締めるディアラントの目尻に光るものが滲み、キリハを抱く腕に一層の力がこもる。



「……ディア……兄ちゃん……」



 ふいに震える、キリハの唇。

 それをきっかけに、震えが唇どころか全身に広がっていく。



「………しよう……」

「キリハ…? どうした?」



 できるだけ刺激しないように、柔らかく訊ねるディアラント。



 その後ろで、すぐに状況を分析したジョーがさりげなく扉をノックして、外に待機している医者たちに合図を送る。



「どうしよう……どうしよう…っ」



 何度もそう繰り返したキリハは、バッと顔を上げてディアラントにしがみついた。





「どうしよう…っ。父さんと母さん……あの人に、殺されてたかもしれない!!」





 それは、時を超えて知るにはあまりにも残酷な事実。

 事件のことなど軽く吹っ飛ぶ衝撃に、誰もが大きく目を見開いた。



「そんな……こと……」



 詳しく聞くべきか否かの判断がつかないディアラントは、そううめくしかない。



「だって……だって…っ」



 何度もディアラントの制服をゆさぶるキリハの顔が、大きく歪む。



「あの人、言ってたんだ。どうしても新しい目が欲しい時は……不慮の事故に見せかけて、人を殺したって!」



「―――っ!?」



 さらなる衝撃に、もはや呻き声すらも奪われる。



 キリハの心をバラバラにしたのが、こんなにもむごい出来事だったなんて。

 自分が狙われたことよりも救いがない。



 だって、失われた命は永遠に戻ってこないのだから……



「まさか、キリハが抱えてた目は……」

「分かんない……分かんない…っ」



 ひどく取り乱した様子で、キリハは首を左右に振る。



「でも……あれ、が……父さんたちの命日に近かった……から…っ」



 そこまで告げたキリハの両目から、涙の塊があふれる。



「う……うう…っ。うああああっ!!」



 大声で泣き叫ぶキリハ。

 自身にすがりついてくる小柄な体を、ディアラントは強く抱き締めてやることしかできなかった。


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