隠された一室

「おらよ。今日の録音データだ。」



 宮殿に戻ってキリハと別れたルカは、取引相手にボイスレコーダーを放り投げた。



「どうもー♪」



 それを受け取ったジョーは、ご機嫌でボイスレコーダーをパソコンに接続する。

 そんなジョーの隣には、彼以上に音声の再生を待ちかねているフールがいた。



 やれやれ。

 難儀なことになったものだ。



 自分としてはジョーとだけ取引をしたつもりだったのだが、キリハに便乗してレクトに会うと報告した瞬間、フールが大慌てで乗り込んできたのだ。



 それに……



 ルカはぐるりと周囲を見回す。



 複数のパソコンとディスプレイに埋め尽くされた、さして広くはない部屋。

 ここは宮殿本部の最下層にある、彼らの作戦本部だ。



 エレベーターにこの階へ続くボタンはなく、専用のリモコンを操作しないと訪れることができない。

 当然、この部屋の通信網やライフラインも独立している。



 ジョーはここから、ご自慢のハッキング技術であらゆる情報にアクセスしているらしい。

 しかし、その事実が明るみに出ることはない。



 手がかりと呼ぶにはあまりにもささやかな痕跡も、この部屋の存在も、総督部のランドルフが完膚なきまでに抹消しているそうだ。



 そんな部屋に、ジョーと一つ取引をしただけで通されてしまうとは。



 というか、自分はどうしてこんな裏事情まで教えられたんだっけ?

 口の固さと察しのよさを信用されたと言えば聞こえはいいが、まんまと魔の領域に誘い込まれてないか?



「おやおや……キリハ君は、レクトにかなり気を許しているみたいだね。」



 途端に痛んできた頭に、ジョーの声が響く。



 とりあえずこの件に片がついたら、こいつとは真っ先に手を切ってやる。

 心の内で決心し、ルカは視線をパソコンへと戻した。



「キリハ……やっぱり、もう肉体を渡せるくらいまで…っ」



 うめくフールは、本気で深刻そうだ。

 それも仕方ないか。



 フールがレクトの接触に気付いたのは、キリハの血液検査がきっかけだと聞く。



 因果関係が定かでない以上、その検査結果はレクトを示す証拠としては弱いが、こうして自分がデータを持ち帰ってきたことで、目撃者と物的証拠が揃った。



 この状況は、嫌でも認めなければなるまい。





 過去の災禍が、再び《焔乱舞》のあるじほふろうとしているのだと。





「………」



 音声を聞き終えたフールは、しばらく身動き一つしなかった。



 表に出ないその心が追い込まれているのは、事情を軽くしか聞いていない自分にも、なんとなく想像がつく。



 キリハはもう、身も心も踏み込みすぎてしまった。



 その心の天秤がレクトとシアノに傾いている以上、生半可な説得ではこちら側に引き戻すことはできないだろう。



 これまで無欲に生きてきた反動なのかは分からないが、今のキリハは一度こうと決めたら、とことん貪欲だ。



 なまじっか物事の本質を直感的に掴んでいて、理由や行動が正当なもんだから、考え方を改めさせるのには骨が折れる。



『レクトが迷ってるってことは……その答えによっては、レクトがまたドラゴン大戦を起こすかもしれない。それなりに、そういう危機感は持ってるつもり。』



『レクトの友達になりたいって気持ちに嘘はないけど……もう二度と、あんな戦争が起こらないようにしたい。だって、きっかけはレクトだったとしても、戦争をして相手を傷つけたのは人間も同じだもん。レクトを変えるチャンスをもらえたのが俺だけなら、俺が頑張らなきゃいけないでしょ。』



 今の自分には、キリハのあの言葉を崩せるカードがない。

 レクトがキリハを裏切る気だという言質げんちを取れれば展望は変わるが、一筋縄にはいかないだろう。





 それに、レクトがキリハに向ける目は演技じゃなくて―――本当に、キリハを可愛がっていた気がするのだ。





 レクトのあらを探そうと思えばできなくはないが、この事実が妙に引っかかる。

 まあ、それについては観察を重ねるしかないだろう。





 





「それにしても、ルカ君ったら結構大胆だね。自らスパイを買って、敵陣に乗り込んでいくなんて。血は飲んだの?」



 ジョーがそんなことを言ってくる。

 とっさに憎まれ口を返しそうになったが、ここはぐっとこらえることに。



「飲むわけねぇだろ。あんな風に体を好き勝手にされるのを見て、お前なら飲むのか?」



「お断りだね。」



「だろ? ってことで、キリハの状況を詳しく知りたいっていうミッションはクリアだからな。オレは素直に、この件から手を引くわ。」



 ひらひらと手を振って、あらかじめ用意しておいた言葉を投げつける。

 すると、ジョーが不満そうに唇を尖らせた。



「えー? どうせなら、定期的にレクトの懐に潜り込んでほしいのに。」

「だめだ。」



 真っ先にジョーを遮ったのはフール。



「ルカの判断は正しい。ここまでやってくれたんだから、もう十分だ。馬鹿な要求はよしてくれ。」



 厳しくジョーをたしなめたフールは、ルカの前に飛んでいく。



「ありがとう、ルカ。君は、本当によくやってくれたよ。だから今の考えどおり、もう手を引くんだ。これ以上……君は、何も背負わなくていい。」



 覇気がない声。

 それでも、激情で揺れているのが分かる声。



「あー…」



 少し反応に困ってしまい、ルカは頭を掻きながら天井を仰いだ。



 なんだかな。

 キリハといいフールといい、普段おちゃらけた奴が正反対の様子を見せると、こちらは調子が狂って仕方ない。



「なんて言えばいいんだかな…。少なくともオレは、あいつほどお人好しじゃねぇから安心しろよ。それに、ジョーが言ったことは完全に冗談だぞ?」



「あら、ばれちゃった?」



 ジョーがぺろりと舌を出す。



「まあ、賢明な判断だよね。僕だってそうすると思う。」

「だろうな。これ以上の深入りは、命をかけるレベルになりかねねぇし。」



 ジョーに合わせて軽く肩をすくめ、ルカはくるりと彼らに背を向けた。



「じゃ、オレはこれで。これ以上オレに深入りさせるなら、オレと家族の一生を保証するくらいの見返りがると思っとけ。」



 淡泊に言い放ったルカは、振り返ることなく部屋を出る。

 それを止める人物は、誰もいなかった。


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