知られるとまずい相手

 地下高速道路の駐車場に向かい、事務室で手続きをして車の鍵を借りる。

 運転席に滑り込んで、そこでようやく気が抜けた。



「危ない、危ない……」



 シートに深く背中を預け、キリハは大きな溜め息を漏らす。



 レクトを押し負かした後、以前よりも多くの血を分けてもらった。

 その時に血を被るようなことはなかったはずだが、まさかレティシアに血のにおいを感じ取られるとは。



「んー…」



 ごそごそをポケットを探るキリハ。

 そこから取り出したのは、レクトの血が入った小瓶だ。



 結構な量を飲んだので多分大丈夫だとは思うが、それでも少し不安で。

 もし効果が足りなかった時のためにと、ちょっとだけもらってきたのだ。



 だが、先ほどの出来事をかんがみると、これを持ち歩くのもリスクが高いかもしれない。

 この瓶を誰かに見とがめられたら、言い訳できる自信もない。



「うん。飲んじゃうか。」



 もともとそんなに長く持ち歩けるものじゃないし、不安要素はさっさと消し去ってしまおう。



「ふう…」



 小瓶の中身を一気に飲み干し、これでまたひと安心。

 とりあえず、部屋に戻ったら即行でシャワーを浴びて、瓶も綺麗に洗おう。



 シートベルトをかけながら、そんなことを考える。

 もう慣れた手つきでアクセルやハンドルを操作し、無人の道路へと車を走らせた。



 いやはや。

 きっかけはディアラントに勧められたことだけど、十八歳になってすぐに免許を取っておいてよかった。



 大会のせいで知名度が格段に上がってからというもの、本当に車をよく使うこと。

 今では中央区に向かうわけでもない限り、基本的な移動手段は車になっている。



 宮殿としても、《焔乱舞》を持つ自分には有事の際にいち早く現場に駆けつけてほしいからか、車のレンタルも地下高速道路の利用も自由ときた。



 まあそのおかげで、レティシアたちが空軍施設跡地に引っ越した後も、こうして気軽に会いに行けるわけだけど。



「………」



 オレンジ色の明かりに照らされた殺風景な道を眺めるキリハは、浮かない表情をする。



 血の匂いがするとレティシアに言われた瞬間、レクトとの繋がりを悟られまいとすることで頭がいっぱいだった。



 とっさに、このことを彼女に知られるのはまずいと思ったから。



 これまで接してきて知ったレティシアの性格やドラゴンの価値観を考えると、レクトのことを話してもよかったと思わないでもない。



 ただ、その直感に確信は持てない。



 ドラゴンにとっての罪とはなんなのか。

 そこに許しはあるのか。



 あの問いの答えが得られた後ならば、もしかすると話せたかもしれないけれど。



(でも……レティシアはともかく、フールは怒るよね。)



 レティシアにレクトのことを伏せた理由の一つは、彼女と何かしらの関係があるフールへの対策だ。



『だめだ!! その子に関わっちゃいけない!!』



 シアノの名前を知ったあの日、悲痛な声で叫んだフール。



『レティシアたちのことも普通に知ってたあいつだ。十中八九、レクトのことも知ってるんだろう。そしてシアノの話を聞いた時、レクトがオレたちに接触する可能性を危ぶんだ……』



 自分からレクトの話を聞いたルカが、冷静に告げた言葉。

 


 どう考えたって、この件を知られたら一番まずいのはフールだ。

 そのくらいのことは、ルカに馬鹿猿と言われまくっている自分にも分かる。



 フールは、あの悲劇の何をどこまで知っているのだろう。



 おどけながら、自分は可愛いお人形だと笑う彼。

 包容力に満ちた優しい声で、窮地を乗り切るヒントを与えてくれる彼。



 始めは大きかった不信感も鳴りをひそめ、いつしか自分は、彼に厚い信頼を寄せるようになった。

 今だって、その信頼は揺らいでいない。



 だからこそ……フールには、このことを言えないのだ。



 少なくとも、自分の手元に強力なカードをもう少し揃えられるまでは。



 だって……

 多分……



「………」



 自分の直感が告げる〝もしも〟。

 それを飲み込むキリハの双眸は、これまでにない鋭さを宿していた。


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