追いかける背中

 その後、キリハは一足早く病室を後にすることにした。



 頼むから、お袋が戻ってくる前に撤退しておいてくれ。

 ルカに、割と真剣な顔でそう頼まれたからだ。



(ルカのお母さん、パワフルだったもんなぁ……)



 ああ。

 これは正真正銘、ルカのお母さんだ。



 初対面から数分で、その感想に至った。



 自分を見た彼女は、ものすごく興味津々といった様子で、ルカより先にこちらに近寄ってきた。

 そして自分がルカの友人と知るや否や、目を爛々らんらんとさせて、あれやこれやの質問攻めである。



 途中でルカやルカの父がマシンガントークを止めようとしたのだが、ばっさりと切り捨てられたり、揚げ足を取られて説教を食らわされたりと、あえなく撃沈していた。



 ルカの噛みつき癖は、お母さん譲りなんだろうな……



 論理的かつことわり詰めで叩きのめされるルカを横目に、自分は暢気のんきにそう思っていた。 



 ちなみにルカの家は四人家族で、母はデザイナー、父はエンジニアとして働いているそう。



 毎日のようにエリクの見舞いに来られるのは、成果報酬型で自宅から仕事を請け負っているため、スケジュールの調整が比較的簡単だからとのこと。



 そういえば、自分がエリクとも知り合いだと知った彼女は、ルカが吐かないならエリクに吐かせると、かなり息巻いていたっけ。



 ルカとしては、その現場に自分本人がいたら発狂すると思ったのだろう。

 そこまでするすると流れがみ取れたので、ここは素直に退散しようとなったわけだ。



(やっぱり、本物の家族っていうのは一味違うなぁ。)



 別に、孤児院での生活に不満があるわけじゃない。

 ただ、ディアラントやルカの家族を見ていると、一切の遠慮がない空気感がとても尊く思えるのだ。



 帰りのバスの時間を検索しながら、キリハは広い病院を進む。

 そろそろ入り口が近いので、一度顔を上へ。



「え…?」



 思わず、その場で立ち止まってしまった。



 これから抜けるはずだった自動ドアの向こうでは、一人の看護師がにこやかに笑って話している。

 その視線の先。



 彼女に頭をなでられて、笑顔を浮かべているのは―――



(シアノ…?)



 とっさに物陰に隠れ、その光景に目をらす。



 間違いない。

 あれは確かにシアノだ。



 だけど、どうしてこんな所に?



 にわかには飲み込めない現実だったが、先ほどエリクの話を聞いたので、まだ冷静でいられる。



 もしもシアノの父親かその関係者がこの病院にいるのなら、シアノがここに出入りしていてもおかしなことはないだろう。



 実際、エリクが勤めている病院では、ルカも自分も関係者と顔見知りなのだし。



 しばらく様子をうかがっていると、シアノが手を振って看護師から離れた。

 同じく手を振り返した彼女は、シアノが見えなくなるのを待ってから、ゆっくりと院内に戻ってくる。



 じっと息をひそめ、彼女が近くを通りかかったタイミングでその腕を掴んだ。



「あの子と……シアノと知り合いなの!?」



 前置きを挟むのももどかしくて、単刀直入に訊ねる。



 捕まった看護師は突然のことに目を丸くしたが、少し落ち着くと微かに首を縦に振った。



「え、ええ…。院長のお知り合いのお子さんらしくて、半年くらい前から、よくここに……」

「………っ」



 ここには、シアノがよく出入りしている。

 それを理解すると同時に、頭は次なる疑問の解消へと切り替わっていた。



「シアノは、どこに行くって!?」

「え、ええっと……」



 キリハの剣幕に押されるがまま、彼女はおずおずと口を開く。



「どこに行くとは言ってなかったけど、この時間なら家に帰ったんじゃないかしら。個人情報だから、さすがに家の場所までは教えられないけど―――」



「―――っ」



 彼女が言い終えるのを待てず、キリハは脱兎のようなスピードで病院を飛び出した。



(どこ…? どこにいるの…っ)



 シアノのことだから、きっとバスには乗らないはず。



 そんな直感的な考えから、大通りに出て辺りを見回す。

 そしてこれまた直感で、左右に広がる大通りを左へ。



「いた…っ」



 病院からほど近い交差点で、信号待ちをしているシアノを見つけた。



「シア―――」



 先走って声をかけようとした感情に、そこで理性が待ったをかける。



 もしも、ここでシアノに声をかけたら?

 シアノはあの時のように、〝バイバイ〟って言って去っていくんじゃないの?



 その可能性に思い至った瞬間、喉が強張って動かなくなった。



 今シアノを捕まえるのは簡単だ。

 でも、それでこの場所にシアノが近づかなくなったら困る。

 どうせならここに通い続けて、人間との接点を繋いでいてほしい。



 ここは、たくさんの命を救う場所。

 さっきの看護師もそうだったように、ここにいる人たちなら、シアノを差別的な目で見ないはずだから。



「………」



 キリハはぐっと唇を噛み、シアノに近づこうとした足を戻した。

 人混みに紛れてシアノの様子を見つめ、信号が変わると同時に、一定の距離を保ったままシアノを追いかける。



「!!」



 その道中、ふいにポケットから軽快な電子音がした。

 震えた携帯電話を取り出すと、宮殿からの一斉通知メッセージが一件。



 まずい。

 今は人が多いので問題ないが、人が少ない状況で着信音が鳴れば、即座にシアノにばれてしまう。



 キリハは、メッセージにざっと目を通す。

 それがドラゴン出現通知ではないことを確認し、携帯電話の電源を落とした。



(バイバイなんて……もう言われたくないよ…っ)



 ポケットに携帯電話を戻したキリハは、遠ざかる小さな後ろ姿をまた追いかけ始めるのだった。


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