そこにあるはずのない姿
大きなスクリーン画面には、難解な単語の羅列と人によっては苦手だろう写真。
マイクを通して聞こえてくるのは、子守歌か宇宙語かと思えるような長ったらしい話。
今さらどう思うこともない。
すっかり慣れた光景だ。
それを聞く
「よう、エリク!」
自動販売機の隣で昼食後のコーヒーを飲んでいると、後ろから肩を叩かれる。
そちらを見ると、中央区の隣の区で働いているラスターが立っていた。
「あら、久しぶりだね。」
こちらが笑顔を浮かべると、ラスターも同じように笑って隣に並んだ。
彼とは数年前、急病人の搬送をきっかけに知り合った仲だ。
命の危機を前に、竜使いの医者がどうとか言っている場合か。
自分からの応急処置を拒んだ患者にそう怒鳴りながら、ラスターが勤める病院に駆け込んだことが懐かしい。
聞き分けのない患者に本気で怒った自分の姿が、ラスターの目には大層面白く映ったよう。
憤然とする自分の隣で大笑いをした彼は、それ以降とてもよく気を回してくれる。
「あーあー、やだねぇ。学会の時にくらいしか、お前とまともに顔も合わせられないんだからよ。」
「仕方ないよねぇ。お互いに休みも合わないし、休みも関係なくほぼ毎日病院に缶詰めみたいなものだし。」
「確かになー。……あれ? こうして考えると、おれたちってドMもいいところじゃね? プライベートはどこ行ったよ?」
「それでも、この仕事が好きだってね。」
「おっしゃるとおりで。」
軽口を叩き合い、二人で笑う。
どれくらいそうしていたか。
「……ったく。」
唐突に、ラスターが舌を打った。
「ん? どうかした?」
友人から不愉快な感情を匂わせる空気を感じ取り、エリクは小首を傾げて彼を見る。
するとラスターは、何故か複雑そうに眉を寄せた。
「お前本人が気にしてないのかよ。」
「……ああ。あれ?」
その言葉で、ラスターが何を気にしているのかが分かった。
エリクはちらりと、周囲を
カフェテリアも近い自動販売機の前。
広い講堂の中でも比較的人通りが多いここには、今も多くの医療関係者が行き来している。
それぞれに忙しそうな人々の視線が、一度はこちらに向くのである。
「腹が立つったらないぜ。お前らより、エリクの方がよっぽど優秀な医者だからな?」
「んー……だから余計に、気に食わないんじゃない?」
優秀であることは否定せず、エリクは平然とそんなことを言う。
それを聞いたラスターは、さらに渋い顔へ。
「お前、メンタル強すぎんだろ。」
「そうじゃなきゃ、たくさんの人と接する医者なんてできないよ。それに、これくらいは可愛いレベルさ。」
言葉どおりピンピンした様子で、エリクは記憶を
「救う命の天秤は平等であれ……そういう倫理観と使命感が強いからか、この業界の人たちは露骨な差別はしない。だけどラスターみたいに開き直ることはできないから、結果として遠巻きにせざるを得ないってだけ。別に裏で陰湿ないじめを受けてるってわけでもないし、僕にはノーダメージだよ。」
「そう悟ってるお前を見てると、学生時代の話は聞きたくないな……」
「ふふふ。どうせなら聞く? 昼ドラも真っ青な展開を辞書並みの重量感で語れるよ?」
「よしてくれ。おれ、昼ドラ系は苦手なんだ。人を蹴落として、なんのメリットがあるってんだ……」
「そんなラスターだから、僕と平気でつるめるんだろうけどねぇ。」
コーヒーをすすりながら、素直な感想を一言。
本当に、彼は変わり者だと思う。
同じ竜使い以外とは普通の友人関係を築くのは無理だろうと思っていただけに、彼の存在は意外でたまらないのだ。
まあ、キリハの関係者と出会ってからは、その常識も根底からひっくり返されているところだけど。
「エリクさんよぉ。お前、その目さえなければやばかったって知ってるか?」
「え?」
一刻も早く、どろどろの話を切り上げたかったのだろう。
ラスターが次に、そんな話題を振ってくる。
「やばかったって?」
きょとんと目を丸くしたエリクが問うと、ラスターは渋面のまま語り始めた。
「その目はともかく、医者としての腕は確かだからな。この激務でもちょっとやそっとじゃ折れないし、まだ三十にもなってないのに院長のお手つきだろ?」
「まあ、確かに……院長にはよくしてもらってるけどねぇ。短期留学もさせてもらったし。」
「しかも竜使いのハンデをへし折って、患者からの信頼も厚いときた。関係者のご令嬢は、よく嘆いてるぜ? 竜使いじゃなければ、絶対に婿にしたのにって。」
「へぇー……ま、知ってるけど。」
「お前……どんだけメンタル
「あはは。しぶとさが竜使いの取り柄ってね。」
冗談めかして笑い、さりげない仕草で周囲の景色を眺める。
自分個人に非はない。
それは、普段の仕事態度からよく分かっているのだろう。
自分と目が合った人々は、どこか気まずげな表情をして視線を逸らしていく。
これが、この世界で働き始めてからの普通。
向こうに悪意がないと感じている手前、ルカのように食ってかかろうとは思わない。
距離感を重んじつつ、大人の対応をするのが一番だ。
ラスターという
「―――え…?」
刹那、世界が止まった。
そう錯覚するには十分すぎるほどの衝撃を受けた。
するりと。
持っていたコーヒーの缶が、手からすり抜ける。
「おい、どうした?」
物音で異変に気付いたラスターが、気遣わしげにエリクの顔を覗き込む。
しかし、エリクはとある曲がり角を見つめたままで、ラスターの方を見向きもしなかった。
「……くん…?」
震える唇が何かを呟いた、次の瞬間。
「―――っ!!」
零れたコーヒーなどそっちのけで、エリクはその場から駆け出していた。
(嘘だ……こんな所に…っ)
そんな馬鹿な、と。
理性はそう訴えてくる。
しかしそんな理性を押しのけて、感情が体を急き立てていた。
だって―――あの姿は……
慌てて曲がり角の向こうに飛び込む。
ちらりと垣間見た姿はなく、がらんとした廊下。
その廊下の突き当たりまで駆け抜け、さらに曲がり角を曲がる。
「―――っ!?」
その瞬間、視界が大きく揺れた。
何事かと思う間もなく、激しい
目の前が瞬く間に、暗い闇に閉ざされていって―――
「……ノ……くん……」
とっさに伸ばした手は、空を切るだけだった。
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