好きな人がいる女の子として

〝どうしよう〟



 頭の中は、それでいっぱいだ。



 このままでは、大切な人が遠くへ行ってしまう。

 自分の手が届かないほど、遥か遠くへ。



 自分はどうしたらいいのだろう。

 今、彼にどんな言葉をかけることが正解なのだろう。





「サーシャ!!」

「ふえぇっ!?」





 突然大声で呼びかけられ、サーシャは文字どおり飛び上がってしまった。



「何してんのよ! こんな所で!!」



 腕を引かれ、はたと自分の状況に気付く。



 目の前には宮殿の正門が高くそびえていて、自分はちょうどそこから外へ出ようとしていた。

 ふと自分の手元を見下ろすと、手にはしっかりとカードキーが握られている。



「えっ……あれっ!?」



「あれ、じゃないわよ! ちょっと目を離すとこれだもん。本当に怖いから、パニクると無意識に外に飛び出すくせはどうにかして。」



「あう…。ご、ごめんなさい……」



 サーシャは眉を下げる。

 そんな彼女に対し、今回ばかりはカレンの態度も厳しかった。



「ちゃんと真面目に考えな。今はキリハが、誰よりも一番悩んでる時なのよ。ここであんたがまた行方不明にでもなったりしたら、キリハが自分のことをちゃんと考えられなくなっちゃうでしょうが。そんな方法で、キリハの気を引くんじゃないの。」



「………」



 カレンの言葉が、ぐさぐさと胸に突き刺さる。



 そうだ。

 〝気付いたらいつの間にか……〟なんて言葉は、言い訳にしかならない。



 でも……そしたらキリハは、少しでも自分を見てくれるだろうか。



 ちょっとだけ。

 ちょっとだけでも。



 自分の前からいなくなる、その前に―――



「う、ううぅー…っ」



 そんな考えが頭をよぎった瞬間、さっきまで出てこなかった涙が、せきを切ったようにあふれ出してきた。



「ああ、もう。泣かないの。泣いてどうするのよ。まだ本当に、キリハがルルアに行くとも決まってないのに。」



「だって……だってぇ……」



 一度あふれた涙は止まらない。



「ルカ君、キリハがルルアに行くことに賛成だって言った。ディアラントさんも、キリハが行きたいなら送り出してあげた方がいいって言った。私、反論できなかった。だって、私もそう思うんだもん。」



 ぽろぽろと、認めたくなかった気持ちが涙と一緒に零れていく。



「キリハは、ほむらに選ばれる前の方が、もっと楽しそうに笑ってた。今みたいに、つらそうに……寂しそうに笑うことなんてなかった…。私、分かんないよぉ…。ルルアに行けば……焔から解放されれば、キリハはまた、幸せそうに笑えるのかなぁ…?」



 キリハには、心の底から笑っていてほしい。

 そう思うなら、ルカやディアラントのように、キリハの背中を押してやるべきなのだろう。



 でも、そんなことが自分にできるか分からない。



「もう! テンパってるのかなんなのか知らないけど、あんたはさっきから何勝手なこと言ってんのよ! しっかりしなさい!!」



 いつになく厳しいカレンの叱責に、サーシャは思わず肩を震わせた。



「前は楽しく笑ってたって、そんなの仕方ないことじゃない! あんたは今のこの生活が、本気で楽しいなんて思ってるわけ!? いつドラゴンが出るかも分からない、いつ自分が死ぬかも分からないこの生活が、本当に楽しいって思えるの!?」



「………っ」



 そう言われてハッとするが、カレンの言葉は止まらない。



「あたしは、ちっとも楽しくなんかないわよ。何も背負ってないあたしが楽しくないのに、焔を背負ってるキリハが楽しいわけないじゃない。きっと、あたしたち以上に悩むこともいっぱいあるわよ。それなのに、そんなキリハにいつも楽しく笑ってろなんて言うわけ!? キリハだって、あたしたちと同じ人間なのよ!? キリハに甘えすぎるのも、いい加減にしなさいよ! 少しでもキリハに笑ってほしいなら、自分から笑わせてあげられるように努力しなさい!! キリハのこと、好きなんでしょ!?」



「うう……でも……でも…っ」



 とうとう、サーシャはしゃくり上げてしまう。



「私なんかに、何ができるの? キリハに告白する勇気もなくて、大事な時ほど怖気おじけづいちゃう私に、できることなんてないよ…。キリハに、迷惑かけちゃうだけだもん…っ」



 自分とキリハじゃ、到底釣り合わない。

 キリハへの好意を自覚してから、何度もそう考えた。



 少しでもキリハの眩しさについていけるように、自分も変わっていこうって。



 そう思っても、肝心な時ほど足がすくんで動けなくて。

 キリハが弱った時に支えてあげることもできなくて、むしろ一緒になって自分も弱ってしまって。



 嫌だ、と。

 行かないで、と。



 そんな一言ですら吐き出せない自分には、キリハに合わせる顔すらないというのに。



「ああもう! サーシャのそこが、あたしは分かんないのよ!! 前はキリハのためにって、ドラゴンに近づくことまでしたくせに、今はキリハに自分の気持ちを伝えるって、そんな簡単なこともできないわけ!? 極端すぎんでしょ!!」



「だって……」

「だってじゃない! しっかりしなさいっつってんでしょ!!」



 カレンは苛立たしげに髪を掻き回し、次にサーシャの肩を揺さぶって、強引に自分の方へと意識を向けさせる。



「やりもしないうちから、言い訳してるんじゃないわよ!! あんたの気持ちが迷惑かどうかは、あんたじゃなくてキリハが決めることなの。何もしないうちからそんなに引っ込み思案で、キリハに何を伝えられるのよ!? 恋ってものはね、待ってるだけじゃ何も実らないんだからね! 今だけは逃がさない。キリハのためにも、あんたのためにも、今はちゃんと踏ん張らなきゃいけない時なの!!」



「―――っ!!」



 サーシャは目を見開いて震える。



 ―――逃がさない。



 カレンにぶつけられた言葉が、後頭部を思い切り殴ってくるようだった。



 そうか。

 結局、自分はまた逃げてしまっているのか。



 混乱して何がなんだか分からなくなっていた気持ちが、カレンの言葉で少しだけ落ち着きを取り戻す。



 一方、そこまで一気にまくし立てたカレンは、サーシャの肩を握る手にぐっと力をこめた。



「本当は、ほとぼりが冷めるまで言わないでおこうと思ってたけど……」

「カレンちゃん……い、痛い…っ」



 肩から伝わるにぶい痛み。

 それが、収まりかけている感情の中から理性を引きずり出してくる。



 ようやく涙を引っ込めたサーシャに対して。



「サーシャ。今から話すこと、ちゃんと聞きなさい。ぶっ倒れるんじゃないわよ。」



 カレンが妙に冷静な口調で告げる。



「キリハがルルアに行くかもって話……本当は、単純にそれだけって話じゃないのよ。」

「え…?」



 戸惑うサーシャを見据えるカレンは、これまであえて言わずにいた事実を伝える。



「ルルアの大統領だっていうあの人、キリハのことを結婚相手としても連れていく気だからね。」

「―――っ!?」



 それを聞いた瞬間、驚きすぎたサーシャは頭を真っ白にしてしまった。



「あの人は、そういう意味でもあんたの敵なの。分かる?」



「えっ……待って…。なんで、いきなり……」



「いきなりじゃなくて、初めっからそうだったの。前にキリハが、もぬけの殻みたいになってた時があったでしょ。あれは、あの人にファーストキスを奪われた上にプロポーズされたせいで、頭が完全にパンクしてたからなのよ。」



「へっ!?」



 次から次へと明かされる衝撃の事実に、サーシャは目を白黒とさせる。



「大事なのはここからなんだから、ちゃんと聞いて。」



 カレンは、もう一度サーシャの体を揺する。



「本当に、このままでいいの? もしあの人とキリハが結婚するなんてことになったら、それこそキリハは、サーシャのことなんて見てくれなくなるよ。本当に、手の届かない人になっちゃうんだよ!!」



「―――っ」



「別に、キリハを引き止めろとは言わないよ。サーシャがそう思うんだったら、キリハを見送ってあげればいいと思う。でもね、キリハのことを諦めたわけでもないくせに、なんにも伝えないままそうやって逃げて、うやむやで終わらせるのだけはだめ。それだけはやっちゃいけない。好きな人がいる女の子として、あたしはそれだけは許せない!!」



 カレンの剣幕に気圧されて、息を飲むサーシャ。

 そんなサーシャを、カレンは宮殿の方へと押しやった。



「行きなよ。」



 まだどこか怯えた表情をしているサーシャに向けて、カレンは言い放つ。



「止めるでも見送るでも、どっちでもいい。せめて後悔しないように、伝えたいことは伝えておいでよ。」

「………」



「行って!!」

「―――っ!!」



 カレンに強く背中を押され、サーシャはもつれるようにして、その一歩を踏み出した。


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