遠くを見る瞳
「ほほう、これはまたデカイな!」
周囲の緊迫感など完全に無視して、ノアは目の前に広がる光景に目を輝かせていた。
「ちょっと! 頼みますから、後衛ラインからは絶対に出ないでくださいよ!? ウルドさん、ジョー先輩、もしもの時は死ぬ気で止めてくださいね!?」
「心得ているよ。」
「大丈夫、手加減はしないから。」
冷静な口調で頷くウルドと、それとは対照的に地を這うような低い声で答えるジョー。
「ジョー先輩…。別に、無理して出動しなくてもよかったんですよ?」
前衛部隊の動きに目をやりながら、ディアラントはずっと思っていたことを口にする。
レティシアたちを外に出してから、ジョーが昼夜逆転の生活を送っていることは誰もが知っている。
いくらドラゴンが出現したからといって、無理に起きて討伐に参加しなくても、誰も責めなかったと思うが……
「そう思うなら、さっさと終わらせて。僕は眠い。」
ここ数日のストレスと寝不足からか、ジョーの反応はガラになくつっけんどんとしている。
イヤホン越しに聞こえるキーボードを叩く音が異常な速度に至っているのは、彼がそれほどの極限状態にあることを示す何よりの証拠なのだろう。
「はは…。善処しまーす……」
ディアラントは空笑いで返し、前方のドラゴンに集中した。
さて、緊急出動にノアが無理やりくっついてきた想定外はあったが、今はジョーのためにも、少しでも早く討伐を片付けてしまおう。
とはいえ、ここ最近のドラゴン討伐は、ある意味平和そのものなのだが。
「そういえば、キリハはどうしたのだ? ドラゴン討伐は、キリハが要だと聞いたが……」
相も変わらず空気を読む様子のないノアが、そう訊ねてくる。
「キリハ君なら、別ルートでこっちに向かってますよ。」
答えたのはジョーだ。
「途中までは僕と同じ車に乗ってたし、そろそろ来る頃なんじゃないかな。」
「了解です。前衛はぼちぼち、待避指示に備えといてください。」
「待避?」
「ノア様、ちょっとお静かに。」
首を傾げたノアに短く告げ、ディアラントは前衛と後衛の間に立って五感を研ぎ澄ませる。
パソコンのキーボードを
こちら側の準備は完了だ。
あとは自分とジョーと、そしてキリハのタイミング次第。
前方で繰り広げられている攻防。
それとは全く違う方向に、意識を集中させる。
「カウントいきます。十秒前…九…」
宣言すると、ミゲルが率いる前衛部隊の動きが変わった。
「八、七…」
ディアラントが一つカウントを刻む度、ミゲルの指示に従って前衛部隊の面々が数人ずつ後ろへと下がってくる。
大丈夫。
カウントを続けながら、ディアラントは確かな手応えを得る。
「六、五、四…」
今回もタイミングはばっちりのようだ。
「三、二、一 ―――今です!」
「残ってる奴らは伏せろ!!」
ディアラントとミゲルの声が綺麗に重なり、次の瞬間に後方から爆音が炸裂する。
絶妙なタイミングで打ち込まれた弾丸がドラゴンの首筋に命中し、甲高い絶叫をあげたドラゴンが完全にこちらから注意を逸らした。
―――――――ッ
間髪入れずに
それに思わず身をすくめた一瞬の間に、空を滑ってきた黒い影がドラゴンへと体当たりをして、その体を地面に叩きつける。
なす
その隙を
それは見計らったかのようにドラゴンの腹に命中し、その体内へと深く深く潜り込んだ。
暴れようとするドラゴンを、それより遥かに大きなドラゴンが押さえ込む。
そこから時間が流れること、わずか十数秒。
それまで拘束から
にわかにその体が
ゴオオォォッ
ドラゴンたちの背後から、灼熱を伴った赤い津波が襲来した。
かつての同胞を押さえていたドラゴンは、その巨体に見合わず俊敏な動きで空へと飛び上がる。
爆裂的な勢いで噴き出した炎が、地面に横たわるドラゴンだけを瞬く間に飲み込んでいく。
肉が焦げる
皆が息を飲んで立ち
ドラゴンと比べるとかなり小さいその影は、ゆっくりとこちらに近寄ってくる。
「よ。いつものことながらさすがだな、キリハ。」
合流してきたキリハに向かってディアラントが手を上げると、キリハはくすりと微笑んで肩をすくめた。
「ディア兄ちゃんがタイミングを取ってくれたから、今回もやりやすかったよ。ありがとう。」
そう答え、キリハは次に上空へと目をやった。
「レティシア。もう降りてきて大丈夫だよ。」
空中で待機していたレティシアは、キリハの言葉を聞くと静かに下降を始める。
レティシアとロイリアを保護してから、彼女たちはキリハについて、ドラゴン討伐に協力するようになった。
その効果はさすがというべきか、最近のドラゴン討伐は、これまでの半分以下の時間で片がついている。
レティシアが確実にドラゴンの隙を作ってくれるのと、最近研究部から試験的に渡されている血液薬のおかげであることは明らかだろう。
レティシアがドラゴンの気を引きつけている間は、キリハも《炎乱舞》だけに集中でき、そのおかげでより効率的に炎を扱えるようになった。
結果として、こちらも下手な怪我をせずに済んでいるし、出現したドラゴンの苦痛も最小限で済んでいるはずだ。
しかし……
ディアラントは、目の前のキリハをじっと見つめる。
キリハは地面に降りてきたレティシアの足を
レティシアたちと言葉を交わすようになってから、キリハはこうして遠くを見つめることが多くなった。
その目に
絶望もない。
ただ穏やかな瞳が、遥か遠くを―――世界の果てまでもを見透かすようで。
この瞬間だけ、キリハが孤独になったように見えて……
「キリハ。」
できるだけ刺激をしないように、そっと肩を叩く。
微かに震えたキリハはゆっくりとこちらを見つめ、ほんの少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。
「帰ろっか。」
「……そうだな。」
何もかける言葉を見つけられず、ディアラントは
「………」
そんな二人の様子を、ノアはじっと黙して見つめていた。
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