第4章 触れ合い

優しく諭してくれる存在

 翌朝、キリハはだだっ広い飛行場跡地にいた。



 事情は今朝の会議で、ターニャとディアラントから聞いた。

 だからこうして、これから来るはずの客を待っているわけなのだが……



「ノアたち、遅いねー…」



 キリハはのんびりと呟いた。



「珍しいわね。緊急でもないのに、私たちを外に出すなんて。」



 頭上から降ってくるレティシアの声。



「なんか、しばらくはここで自由にしてていいんだって。」

「なんでまた急に?」



「人間的な都合を言うと、ちょっとここで、お客さんの相手をしてほしいってことらしいよ。」

「お客さんって……はっ! まさか、この前会ったあいつのこと!?」



「うん。」



 あるがままの事実を答えると、レティシアが溜め息をつきながら地面に首を横たえた。



「ええぇー……気が重いわぁ。絶対にあいつ、自分のご主人自慢しかしないじゃないの。またあれを、延々と聞かされなきゃいけないわけ?」



 本気で嫌そうだ。



「そんなに嫌なら、狭いけど地下に戻る? ルーノが帰るまでは俺もここに寝泊まりしようかと思ってるから、ロイリアのことなら心配しなくても大丈夫だよ?」



 レティシアの頭をなでながら訊ねる。



 自分はレティシアたちが羽を伸ばせるならと思って、ここに連れてきただけなのだ。

 レティシアが嫌がるなら、それを無理いしようとは思わない。



 だけど……



「だめよ。」



 こちらの予想に反して、レティシアは即で否を唱えた。



「あいつとロイリアを、二人だけにしてみなさいよ。ロイリアのことだから、あいつに上手いこと乗せられて、競うようにご主人自慢をしちゃうわ。それは、情操教育上よろしくないじゃない。可愛い弟を、変態の域に到達させたくはないわよ。」



「変態って……」



 キリハは苦笑い。

 そんな風に言うなんて、レティシアはルーノから何を聞かされたのだろう。



「さすがにロイリアは、そこまで―――」



「いきそうな素質が十分あるから、気をつけてんのよ。ロイリア、びっくりするくらいにあんたのことが大好きなんだもの。」



「そ、そうだね……」



「ああ、でも。だからって、ロイリアも一緒に地下に戻そうとか考えなくていいからね。私が心を無にして聞き流せばいいだけなんだから。」



「でも…」



「いいの。」



 レティシアはきっぱりと言い切った。



「だって、せっかくの楽しみを取り上げたくはないじゃない。」

「……それもそうだね。」



 レティシアの視線が飛行場の向こうに滑ったので、キリハもそれを追って微笑む。



 ロイリアはここに着くや否や、森の向こうに広がる海へと繰り出していってしまった。



 一応日が傾く頃には戻ってくるようにと言ってあるが、あのはしゃぎようだと、迎えに行かないと帰ってこないかもしれない。



 仕方ないとはいえ、普段は地下に閉じ込められているのだ。

 時間を気にせずに外で過ごせるというこの状況が、たまらなく嬉しいのだろう。



「………」



 しばらく海がある方向を見ていたキリハは、ふとその目をレティシアへと戻した。



 レティシアは穏やかな表情をして、ロイリアが消えていった方を見つめている。

 優しくなごんだ瞳には、ロイリアに対する愛情が詰まっているように見えた。



 そんなレティシアの姿を見ていると、ドラゴンも人間も全然変わらないのだと実感する。



(人間と変わらない、か……)



 はたと思い至った。



「ねえ、レティシア。一つ、訊いてみてもいい?」

「なあに?」



「レティシアって、誰かを好きになったことってある?」

「そうねぇ…………え?」



 ごくごく自然な流れで答えようとしたレティシアの言葉が、ふと途切れた。

 数秒固まった後、彼女の首がぎこちなく回って、青い双眸がキリハを見つめる。



「それは……多分、ロイリアがあんたのことを大好きなのとは、違うたぐいの〝好き〟ってことよね?」



「うん。」



 キリハが頷くと、レティシアは「んん…?」と小さくうめいた。



「急にどうしたのよ。変なものでも食べたわけ?」

「んー…。最近の俺の課題、かな? 昨日ルカに色々と訊いてみたけど、いまいちピンとこなくて。」



 キリハは難しげにうなりながら首を傾げた。



 昨日は自分も混乱していたので、訊き方が悪かったのかもしれないが、ルカもルカで相当パニックになっていたように思う。



 一生懸命答えようとしてくれた気持ちは伝わったのだが、やたらと言葉を選んだり、言いよどんだり……



 結局、ルカが何を言いたかったのかは分からずじまいだった。



 ただ、一つ分かったことがあるとすれば―――





「実際に、誰かを好きになってみないと分かんないのかなぁ…?」





 逃げるようにシミュレート室から飛び出していったルカが、最後に投げつけてきたこの言葉くらいだ。



「まあ、恋愛を課題って言うあたり、あんたにはまだ早すぎる価値観かもね。」



 レティシアは、そう言って息をついた。



「あんたって、好きだって思える人がたくさんいるでしょう?」

「うん。」



「じゃあ、その好きな人たちを順位づけすることってできる?」

「えっ…」



 唐突にそんなことを問われ、キリハは思い切り返答に詰まってしまった。





『キーリハ。ナスカちゃんとオレ、どっちが好き?』





 幼い頃、ディアラントやナスカによくそう訊かれていたことがあったのを思い出す。



「順位…」



 あの時は、無邪気に『どっちも好き』なんて答えたその問いについて、今真剣に考えてみる。



 好きな人はたくさんいる。

 レイミヤの人たちに、宮殿本部の人たち。



 これまで出会ってきたたくさんの人たちの姿を、一人ひとり丁寧に思い返し、やがて一つの結論に辿り着いた。





「無理。」





 はっきりと、首を横に振る。



 別に博愛主義というわけではないが、自分が好きだと思える人々を天秤にかけるなんて、到底できなかった。



「でしょうね。」



 初めから答えは分かっていたのか、レティシアは特に驚きはしなかった。



「いい、キリハ。その気持ちを、早く理解しようと思わなくてもいいのよ。長く生きていればね、その大好きな人たちの中から、特別だって思える相手が出てくる時がある。別にそれは、悪いことじゃないわ。だからそんな時はね、きちんとその相手と向き合ってあげなさい。もっと会いたい。離れたくない。ずっと傍にいてほしい。そんな風に思える相手が現れたら、きっと今とは違う好きの意味が分かるわよ。」



 優しく諭すように、レティシアはそう語った。



「ふーん、そっか……」



 なんとなく分かったような、やっぱり分からないような。

 そんな気持ちだ。



「やっぱ、難しいなぁ……」



 十人十色な価値観の数々。

 その一つ一つを理解するのは難しいし、それらと付き合っていくのもまた難しい。



 そんなことをしみじみと思っていると、ふと遠くから低い音が聞こえてきた。


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