ノアからのお誘い

「ディアラント! キリハ!」



 ふいに名前を呼ばれる。

 顔を上げると、ノアがつかつかとこちらに歩み寄ってくるところだった。



 ノアはディアラントとキリハの手を掴み、二人を自分の方へと引き寄せる。



「ターニャに言っても、門前払いで意味がない。せめてお前らのどっちか、私と一緒にルルアに来い! というか、二人まとめて私のものになれ!!」



「え? 俺も?」



 ここで初めて、キリハの顔に衝撃が走った。



「また、えらく直球できましたね。」

「えええ…? ディア兄ちゃん、どういうこと…?」



 ひきつった笑顔を浮かべるディアラントに対し、急に当事者ポジションに放り込まれたキリハは大慌てだ。



 そして、そんな隙をのがすノアではなかった。



「キリハ。今朝私は、お前のことが気に入ったと言ったではないか。」



「う、うん……」



「お前にはぜひ、私とルルアに渡ってほしい。そうだな…。ゆくゆくは、ドラゴン使いの最高責任者なんてどうだ? お前なら、そつなくこなせるだろう。」



「……ええっ!? そ、そんな、急に言われても…っ」



 ストレートに言われたことで、自分が立たされている状況をようやく理解できたのだろう。

 キリハは混乱した様子で身を引こうとする。



 しかし、ノアにキリハを離すつもりは皆無。



「なあに、急すぎることは分かっている。だからまずは、ルルアに短期留学をしてみないか?」

「……短期留学?」



 それを聞いたキリハの双眸が、ささやかな好奇心で揺れる。

 キリハの呟きに一つ頷いたノアは、満面の笑みで先を続けた。



「もちろんその時は、ちゃんとセレニアに帰れる保証はつけてやる。私の国がどんなものか、お前の目で見極めてほしい。ディアラントが自慢していたくらいだから、剣の腕は申し分ないのだろう? 仮にも武術大国を名乗る私の国だ。退屈はさせん。お前も、もっと剣の腕を上げたくはないか?」



「………」



「それにお前は、ルルアのドラゴン管理体制にひどく感心していたな。お前はドラゴン使いの資格を持っていないが、特別にドラゴン管理の裏側を見せてやっても構わないぞ。私が直々にナビゲートしてやろう。」



「………っ」



(やめろやめろ! キリハの顔がどんどん輝いていっちゃうから!!)



 ディアラントは冷や汗を浮かべる。



 さすがは魔性の改革王。

 問答無用でキリハのツボを突いていく。



 興味津々といった様子でほのかに頬を染めるキリハを見つめるノアの顔には、思い切り〝勝った〟と書いてあった。



 ―――だが。



「うーん…。でも、今は無理なかぁ。こっちでやらなきゃいけないことが、いっぱいあるんだ。ごめんなさい。」



 あそこまでノアの期待を煽っておきながら、キリハはあっさりとそう言って頭を下げたのだった。



「はああっ!? お前、今のは完全にルルアに行くと答える流れだったではないか!!」



「いや、興味あるのは確かなんだよ? でも、ここを離れるわけにもいかないしなぁって思って。またいつか、機会があったらよろしくね。」



「ちょっ……私だって、そう何度もセレニアに来られるわけでは……って、ディアラント! 何を笑っている!!」



「い、いや……お、面白くて……」



 我が愛弟子ながら、なんと素晴らしい切り返し。

 魔性の改革王も、天然記念物級の純粋少年には敵わないと見える。



 珍しく振り回されているノアが面白くてたまらない。



 どうやらそれは自分だけではなかったらしく、ターニャの方を見ると、彼女の隣にいたウルドまで肩を震わせていた。



「くう…っ。さすがはディアラントの一番弟子。師弟揃って、この私の誘いを断るとは…。まあ、だからこそ落としがいがあるというものだが。」



「いや、普通に諦めてくださいよ。」



 ディアラントは溜め息を吐く。



 このカリスマ王に足りないものがあるとすれば、それは引き際を悟る能力かもしれない。

 これまでの半生で負けを知らないせいか、彼女の中には潔く退くという手段がないようだ。



 その証拠に、ノアはディアラントの言葉に即で首を振った。



「嫌に決まっているだろう!? せっかくセレニアまで来たのだ。手ぶらで帰るなんてもったいないことができるか!!」



「んなこと言ったって……」



 だめだこれは。

 彼女をねじ伏せるには、ジョーレベルの頭脳要員が必要だ。



 かといって、ここにジョーを呼べば、彼の優秀さにノアがまた騒ぎ出すのは必至。



 完全に自慢だが、ドラゴン殲滅部隊の全員がノアのお眼鏡にかなう自信は大いにある。



 特に、ノアが何かしらの成果を求めているこんな状況では、誰を助っ人に呼んでも事態が収集するとは思えなかった。



 ディアラントが打開策を模索して、頭をひねらせていると……



「おそれながら、ノア様。」



 これまでずっと見物に徹していたウルドが口を開いた。



いささか、わがままが過ぎるようですよ。あれもこれもと欲張っていては、人の心は離れていってしまいます。」



「ううう、だがな……」



 いさめられたノアが、悔しげに唇を噛む。

 いつものことだからか、ウルドは特に表情を変えなかった。



「それに本当は……ディアラント君のことは、半分以上諦めがついているのでしょう?」

「それは……」



 次なる指摘に、ノアが初めて言葉を濁した。



「え……本当ですか!?」



 ディアラントが期待を込めて訊ねると、ノアは唇を尖らせながら二人から手を離す。



「仕方ないではないか。さすがに、ここまで揺るぎない関係を壊すのは非道というものだろう。」

「ノア様…っ!!」



 感激のあまり、ディアラントはノアの手を両手で掴んでぶんぶんと振った。



「なんだ、分かってくださってるんじゃないですか!! ただ駄々をこねてる子供みたいなお方じゃなかったんですね!」



「お前…。少しは言葉を選ばんか。」



「すみません。嬉しくて本音がつい!」



「悪いと思ってないな。相変わらず、気持ちがいいくらいに機嫌取りをしない奴だ。そこが気に入ってたんだがな……」



 ノアは深々と溜め息をつく。

 しかし、ほぼ諦めているとはいえ、未練を完全には捨てられないらしく……



「むむー…。やはり、諦めるには惜しすぎる。ターニャがうらやましいぞ…っ」



 ノアの全身を包むオーラが、不服という意思を全力で訴えていた。

 すると。



「では、あなたもそういう相手を見つければよいのですよ。」



 ウルドが静かに告げる。

 それを聞いたノアが、途端に渋い顔をして眉根を寄せた。



「……私に、それができると思うか?」

「さあ…。それは、あなた次第なのでは?」

「そうですよ。あなたなら、選びたい放題でしょう?」



 ディアラントは、すかさずウルドに加勢した。



 せっかくウルドが助け船を出してくれたのだ。

 ここに乗っからないで、どうやってノアを引き下がらせることができるというのか。



「選びたい、放題……」



 ノアはディアラントを一瞥いちべつし、次にキリハを見つめながら口元に手をやった。



「ふむ…」



 さっきまでのノアにはなかった、何かを深く考え込む仕草。



 ぜひともこのまま、考えを改めてルルアに帰ってほしい。

 無言の圧力と期待をかけながら、ディアラントはノアの結論を待った。



「……そうだな。悪くはない。」



 しばらくして、ノアはぽつりと呟く。



「じゃあ―――」



 ディアラントの表情に明るみが差すが……



「……へ?」



 キリハが目を丸くする。

 ノアが突然、キリハの両肩に手を置いたのだ。



「ノア様?」



 ディアラントがいぶかしげに声をかけるが、ノアはそれに一切応えなかった。



 彼女はおもむろに両手を上げ、キリハの頬を優しく挟む。

 そして―――





 ―――――――――





 時が止まる。

 その表現は、まさにこういうことを言うのだろう。



 この場にいた誰もが、石像のように固まった。



 一瞬で真っ白に染め上げられる意識。

 水を打ったように静まる空気。





 そんな中、ノアはゆっくりと―――キリハの唇から、自分のそれを離した。





「うん、悪くない。」



 満足そうに頷いたノアは、にっこりと笑う。

 そして彼女は、キリハに向けてとんでもないことを告げるのだった。





「キリハ、どうだろうか。私の伴侶にならないか?」




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