芽生えた好奇心

「どうした、キリハ。なんか、ぼーっとしてないか?」

「……へ?」



 剣が交わる寸前に問われ、キリハは生返事をする。



 相手の剣がちょっとした隙を突くように迫ってきたが、特に意識はせず、体が動くままに受け流して体をひねる。



「ああ……うん。今朝、ちょっと変わった人と会ってさ。そのことを考えてた。」

「変わった人、ねぇ……」



 話しながら互いに数回ずつ攻撃を仕掛け合ったところで、どちらかともなく距離を取って一度動きを止める。



「なんか複雑だな。キリハの成長の早さは嬉しいんだけど、もうこのレベルに意識半分でついてこれるようになったのかと思うとなぁ。オレも精進しなきゃ。」



 苦笑を交え、ディアラントは数度剣を空振りする。



「ええー。ディア兄ちゃん、まだ強くなるの?」



 冗談めかして言うと、ディアラントは当然だと言わんばかりに頷いた。



「当たり前。まだまだ、お前に追いつかれるわけにはいかないんでね。ちょっと休憩するか。」

「うん。」



 ディアラントが剣をしまうのを見て、キリハも同じように剣をさやにしまう。

 近くの自動販売機で飲み物を買ってベンチに座ると、ディアラントは缶を開けながらしみじみと呟いた。



「いやぁ、平和だなぁ…。こう言っちゃ不謹慎だけど、ドラゴンが出てからの方が、よっぽど平和なんだよな。」



「そうなの?」

「おう。」



 訊ねると、ディアラントは大きく頷いた。



「緊急事態でもないと、軍なんて暇だからな。その暇を使っては、オレを追い出そうと無駄な知恵絞り大会だよ。今はドラゴン討伐の責任者としてオレがいなきゃいけないってんで、討伐が終わるまでは目をつむってもらえるから、本当に平和。……ま、それも来年の大会に差しかかる頃には、分からないけどなぁ。」



 面白おかしく語るディアラントだが、これが本当は笑える話じゃないことは知っている。

 キリハは思わず顔をしかめた。



 今年の大会を経験したからこそ分かる。



 今総督部がディアラントを好きなようにさせているのは、ドラゴン討伐に関わる面倒事を彼とターニャに押しつけられるからだ。



 彼の実力があるからドラゴン討伐が円滑に進んでいることは明らかだし、それで国への被害が最小限に収まっているのだから、総督部としては楽ができて助かっていることだろう。



 まあそれでも、ドラゴン討伐で何か問題が起こった場合には、あることないことを騒ぎ立てて、ディアラントを宮殿から追い出す気なのは確か。



 現に彼らは、自分がレティシアたちを無断で放した際、それとなく国民の不信感を煽り、公衆の面前でディアラントを袋叩きにするつもりでターニャに協力したようなのだ。



 その結果―――ディアラントとジョーのコンビに、華麗な手腕で目論みを叩き潰されたわけだが。



『ランドルフ上官から聞いたよ。総督部の人たち、相当悔しがってるって。』

『マジですか? へっへーん……ざ・ま・あ・み・ろ♪』



 ランドルフからもらったという総督部会議の音声データを聞きながら、満面の笑みでダークなトークに花を咲かせている二人を見た時には、何故か総督部が可哀想に思えたくらいだった。



「ねえ、ディア兄ちゃん。」

「んー?」



 キリハが呼びかけると、ディアラントは炭酸飲料を飲みながら、視線だけをそちらへと向けた。



「ディア兄ちゃんってさ、海外に出張してたでしょ?」

「うん。」



「色んな所に行かされたって言ってたけど、何ヵ国くらい行ったの?」

「んー、そうだなぁ…。ざっと五、六ヵ国くらいは回ったかなぁ。」



「そうなんだ。じゃあさ―――」



 キリハは、朝からずっと気になっていたことをディアラントに訊ねてみることにした。



「他の国の人って、どんな人たちだった?」

「は?」



 完全に予想外の質問だったのかもしれない。

 その質問を聞いたディアラントは、きょとんとしてまばたきを繰り返した。



 そんな彼に、キリハは矢継ぎ早に続ける。



「他の国だと、ドラゴンってどう思われてるの? 俺たちみたいに、ドラゴンと特別な関係を持ってる人っているの? レティシアたちみたいに、人間と一緒にいてくれようとするドラゴンっていた?」



 質問の衝動になるのは、純粋な興味と好奇心だった。



 海外のことなんて、所詮はテレビでしか見ない別世界。

 そんな風に映像を見流すだけだった自分は、セレニアの外というものを考えたことがなかった。



 でも、今日ノアと話してみて、初めて海の向こうの世界というものに目がいったのだ。



 そうか。

 生まれた国が違えば、こんなにも考え方が変わるのか。



 笑って自分を認めてくれたノアの言葉が、本当に嬉しくて。

 そしたら、どんどん興味が湧いてきてしまった。



 だからといって《焔乱舞》を持つ自分がセレニアから出ることはないけど、知ろうと思えばいつだって、他の国について知ることができる。



 そう思ったら、少しばかりわくわくする自分がいた。



 こんなに心が躍るのは、ディアラントに剣を教わっている時以外では初めてかもしれない。



「お、おう…。どうした、急に……?」



 さすがのディアラントもついてこられないようで、戸惑った様子で頬を掻いている。



「あのね、実は―――」



 ディアラントに今朝の出来事を話そうとした、まさにその時。





「ディアーっ!!」





 中庭をつんざくように、悲鳴じみた声が響き渡った。

 そちらを見ると、慌てふためいてこちらに駆けてくる人物が一人。



「ジョー先輩?」

「?」



 ディアラントと一緒に、キリハも首をひねる。



 珍しいこともあるものだ。

 普段鉄壁ともいえるほどに笑顔を崩さないあのジョーが、あそこまで取り乱すなんて。



「どうしたんです?」

「どうしたも、こうしたも……大事件だよ。ちょっと、こっちに来て!」



 辿り着くなりディアラントの腕を引いたジョーは、ディアラントの耳元に口と手を寄せた。

 ジョーの口が微かに動く。



「はあぁっ!?」



 彼から何かを聞いた瞬間、ディアラントが綺麗に声を裏返した。



「ええっ⁉ ちょっ……なんで!?」

「僕が知るわけないでしょ! 早くこっちに!!」



「分かってますって! キリハ、ごめん! 話は後な!!」

「う、うん……」



 一応頷くと、ディアラントとジョーは全速力でその場から駆け出した。



「それって、事前アポイントとかは……」



「あったら僕の耳に入ってないわけなくない!? おかげで今、宮殿中大パニックだよ!!」



「ですよねー。……ってか、やばくないですか!? このままじゃ宮殿どころか、国中がパニックになるんじゃないですか!?」



「だから! 今、ケンゼル総司令長やランドルフ上官が必死に手を回してるよ! 僕も後から合流するけども!!」



「うえぇっ!? ちょっと待って!! こんな白昼堂々と、魔王三人が集まって大丈夫なんですか!?」



「どうせ総督部だって、こっちを気にする余裕なんかないよ! それにこの際、四の五の言ってらんないの! とりあえず、最低限の体裁が整うまでは、意地でも隠さないとなんないんだから! あと、しれっと僕を魔王のくくりに入れないでくれる!?」



 どう見ても喧嘩にしか聞こえない口調で、せわしないやり取りを交わしながら駆けていく二人。



 そんな彼らを、キリハはかける言葉もなく見送るしかなかった。



 どうやら、ただごとではないようだ。



 ジョーだけではなく、知らせを聞いたディアラントでさえ、あんなに大慌てするのだ。

 相当大変なことが起こっているのだろう。



 とはいったものの……



「んー…」



 キリハは大きく伸びをして空を見上げた。



 抜けるように青い空。

 黙っていれば、鳥の鳴き声さえ聞こえてくるような静けさ。



 ディアラントたちの慌てようとは裏腹に、目の前に広がる世界は平和そのものだ。

 こうして何か問題が起こってものんびりしていられるのは、あくまでも自分が民間人だからなのだろう。



「ディア兄ちゃんたちも大変だなぁ……」



 キリハはのんびりと呟く。

 この長閑のどかな時間が嵐の前の静けさだと気付くのは、まだまだ先のお話。


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