想いが通じる瞬間
「ところで、だ。」
そう言ったノアは、またキリハにぐいっと詰め寄った。
「ドラゴンの言葉が分かるのなら、一つ訊きたい。お前、ルーノの言葉も分かるのか?」
「え? えーっと……」
訊ねられたキリハは、視線を上へと持っていく。
頭上では、レティシアとルーノが何やら話しているようだった。
「へえ……あっそう…………ふーん……」
と、レティシアが微かに相づちを打っているのは聞こえる。
しかしルーノの方に意識を傾けても、そちらからは小さな鳴き声が聞こえるだけで、理解できる言語は入ってこなかった。
「ごめん、だめみたい。今のところ、レティシアとロイリアの言葉しか分からなくて……」
正直にそう答えると、ノアはかなり残念そうな顔をして肩を落としてしまった。
「そうか……」
「な、なんか、期待させちゃってごめん……」
「いや、いいのだ。私が勝手に舞い上がってしまっただけだから。」
「えっと……なんで、ルーノの言葉を知りたかったの?」
あまりにも申し訳なくて、ひとまずは目的だけでも聞こうと、キリハはノアに問いかけた。
「いや、別に大したことではないのだ。」
そう言って、ノアはルーノの足にそっと手をつけた。
「ルーノが私のパートナーとなって、もう七年…。言葉が分からないなりに互いを知ろうとしてきたし、今では誰よりも理解し合っていると思う。だが、もし知ることができるのなら……一度でいいから、ルーノの気持ちをちゃんと知ってみたいと思ったのだ。何か不便に思っていることはないかとか。私のことをどう思っているのか、とかな……」
そこに見えるのはルーノに対する大きな信頼感と、ささやかな寂しさ。
放っておけるわけがなかった。
「ねえ、レティシア。」
キリハは後ろを振り返る。
しかし、レティシアはルーノを見たまま、微動だにしない。
「レティシア。レティシアってば!」
「え…? ああ……」
キリハが何度か呼びかけると、レティシアはハッとして頭を振った。
「何よ?」
「ちょっと、ルーノに訊いてほしいことがあるんだ。」
「え…? こいつに?」
「うん。ノアがね、ルーノが自分のことをどう思ってるのか知りたいんだって。」
「お前……」
ノアが目を丸くして呟く。
そんなノアに、キリハは明るく笑いかけた。
「待ってて。直接は分からないけど、レティシア
彼らが何を思っているのかが分からなくて、切なくなる気持ち。
それは、自分にだって痛いほど共感できる。
ここで出会ったのも何かの縁だ。
できる限りのことはやりたい。
そう思ったのだが……
「あー…」
レティシアはルーノとノアを交互に見つめ、心底嫌そうな声を出した。
「レティシア? どうしたの?」
彼女がこんな反応をするなんて、一体何があったのだろう。
「いや、そのことなんだけどね……」
口元をひきつらせるレティシア。
「訊く必要もなく、自動的にあっちからずーっと語ってるのよねぇ…。適当に聞き流してたんだけど、まだ終わらないのよ。完全に、一人の世界でご満悦だわ。」
「へぇ…」
キリハはルーノを見つめる。
時おり体を揺らしながら、機嫌がよさそうに高い鳴き声をあげるルーノ。
そんなルーノを見ていると、そんなに悪いことを語っているわけではないだろうと察せられた。
「まとめると、どんな感じ?」
「そうねぇ……」
レティシアは難しげに
「百枚くらいのオブラートに包んで、差し
「そっか。分かった。」
キリハは頷き、次にノアへと向き直る。
先ほどまで自信に満ちあふれていたはずの彼女は、一転して緊張の面持ちでこちらの言葉を待っていた。
嫌われていないと感じてはいても、その気持ちを知るとなると、ちょっぴり怖くなる。
その気持ちが分かるから、早く言ってあげたい。
―――大丈夫だよ、と。
「〝心底尊敬しています。一生お供させてください〟だって。」
にこやかに、キリハは告げる。
ノアは大きく目を見開いて、ゆっくりとルーノを見上げた。
何かを熱心に語っているらしいルーノは全くそれに気付いていない様子だったが、彼女としては別にそれでも構わなかったらしい。
「そうか……」
嬉しそうに。
本当に嬉しそうに、ノアは笑った。
その姿を見ていると、ノアとルーノの絆の強さが自分のことのように嬉しく思えて、キリハも微笑んで彼女たちのことを見つめていた。
レティシアたちと言葉を交わせてよかった。
心の底から、そう思える瞬間だった。
「ありがとう。今日の出来事は、私にとって唯一無二の宝となった。」
感動の余韻を噛み締めていたノアは、ふとした拍子にこちらを向くと、今まで以上に親しげな笑みを浮かべた。
「お前、名前はなんという?」
「あ、そういえば……」
うっかりしていた。
「ごめん。俺、まだ名前を言ってなかったね。キリハだよ。」
かなり遅れての自己紹介だったが、ノアは大して気にせずに頷いてくれた。
「キリハか。―――よし。私は、お前が気に入ったぞ!!」
「……ん?」
またバンバンと背中を叩かれ、キリハは不思議そう首を傾げる。
なんとなく、今の言葉をきっかけにノアの雰囲気が変わった気がするのだが、気のせいだろうか。
「この場限りの縁で終わらせるのは、あまりにも惜しい。だが、今日はもう時間がないな……。キリハ。お前はいつも、この時間にここに来るのか?」
「いや…。その日によって違うけど……」
「では三日後のこの時間、またここに来い。詳しい話はその時だ。」
「え? ちょ、ちょっと―――」
「ルーノ! そろそろ時間だ!」
戸惑うキリハを
その音を聞いたルーノはすぐに姿勢を正し、ノアに向かって自分の前足を差し出す。
「そうだ、キリハ!」
ルーノの助けを借りてその背中に乗ったノアは、ルーノの首の後ろからひょっこりと顔を出した。
「私はドラゴンや、お前のようにドラゴンに理解ある人間が
最後にそんな晴れやかな宣言を残し、ノアたちはあっという間に空の向こうへと消えていってしまった。
「……なんだったのかしら、あいつら…?」
「うん、そうだね。……なんか、嵐みたいな人だったなぁ。」
レティシアとキリハはそれぞれに呟き、思わず溜め息をついてしまった。
一方的に約束を取りつけられてしまった。
いつドラゴンが出現するか分からない手前、
「とりあえず、私たちもそろそろ帰る?」
「そうだね。」
何を言おうにも、すでに相手がいないのでは仕方ない。
三日後のことは、また後で考えるとしよう。
キリハはレティシアに頷きを返し、暇になって眠っていたロイリアを起こしに行くことにする。
この時のキリハに少しでも国際的な知識があれば、また状況は変わっていただろう。
ノア・セントオール
その名がとんでもない意味を持つことを、この時のキリハはまだ知らない。
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