〝今〟を創っているのは、自分たち。

 叫んだフールは、そのまま深くうつむいてしまう。



 彼がここまで感情を乱すのは、ターニャでさえも初めて見るようだ。

 全く予期しなかったその姿に、誰もが狼狽うろたえて騒然としていた。



「僕は……これまで、たくさんの子たちを見てきた。」



 フールの声は、どこか泣きそうな響きを伴って震えている。



「何度も何度も、ユアンがドラゴンと血を交わさなければって……そんな言葉を、腐るほど聞いてきたんだ。キリハだって、一度くらいは考えたことあるでしょ。」



「ないよ。」



「…………へ?」



 こちらの言葉が予想外だったのだろう。

 思わず顔を上げたフールは、ポカンと大口を開けていた。



「俺は、ユアンが間違ってたと思ったことはないよ。」



 もう一度、強く想いを伝える。



「だって〝今〟を創ってるのは、ユアンじゃなくて俺たちだよ。みんな〝これが普通だから〟って諦めて、変わろうとしなかった。そんな俺たちが創った今がこれなんだ。誰も自分のせいだって思いたくないから、歴史の中で目立ってたユアンに責任を押しつけてるだけだよ。そんなことしたって、なんの意味もないのにさ。」





『ねえ。それって、いつまで引きずらなきゃいけない問題なの?』





 ミゲルたちと初めて話した時、彼らに投げかけた問いを思い出す。



 過去に理由を求めて何が変わる?



 不当な理不尽を押しつけているのも、それを諦めて受け入れているのも、結局は今を生きている自分自身に他ならない。



 過去に責任を押しつけて瞳を曇らせているのは、自分たちでしかないというのに。



「過去は過去。今は今だよ。だって、見てみてよ。」



 キリハは周囲の一人ひとりと目を合わせる。



「ここにいるみんなで創ってる今が、俺はすごく好きだよ。みんな、言い訳せずに俺たちと向き合ってくれる人たちだもん。小さな世界かもしれないけど、ここには確かに、色んな人がみんなで笑える世界があるんだよ。」



 たくさんのことがあった。

 何度もぶつかり合って、何度も泣いては、諦めずに何度も手を伸ばした。



 その結果できた〝今〟は、こんなにも輝いているじゃないか。



「俺は、未来が苦しいなんて思わない。ここにいるみんなと創れる未来なら、きっと楽しいよ。俺はそう信じてるし、そのために自分にできることを精一杯頑張るつもり。これまでは変えられないけど、これからはいくらでも変えられるんだから。変わらないことが難しいって言ったのはフールじゃん。ならみんなで、〝苦しい〟を〝楽しい〟に変えちゃえばいいんじゃない?」



 変わることに怯えた自分の背を押したのは、他でもないフールのあの言葉だ。



 進んでも戻っても、同じ場所には帰れない。

 一秒ごとに変わっていくものを受け入れて、自分たちはこの世界で生きていく。



 でも、行き着く先が〝絶望〟だなんて、誰が決められるというのだ。

 もし絶望が待っていたとしても、それは絶対に〝行き止まり〟じゃない。





 そんなもの、ただの〝通過点〟にしてしまえばいい。





「……ほんと、よくそんなことが言えるよね。どうせ、たくさん嫌な思いをするよ。これから、何度でも、いっそ消えたくなるくらいに。」



「そうかもね。でも、それは受け入れるって決めたもん。なっちゃったものは仕方ないし。」



「なんで? 意味が分からないよ……」



 フールはいつになく頑なだ。

 そんなフールの姿に、キリハは思わず微笑んでしまった。



 きっとこれは、いつもおどけて周囲を振り回す彼が、初めて見せた弱い姿。



 彼の正体は未だに分からない。

 でも彼は、自分たちと同じように苦悩する、特別でもなんでもないちっぽけな存在なのだ。



 それが伝わってきて、こんな風に自分をさらけ出してもらえることが嬉しいと思うのは、おかしいだろうか。





「だって、好きになっちゃったんだもん。」





 キリハはフールに、今の素直な気持ちを告げる。



「―――っ!!」



 それを聞いたフールが、ハッと息をつまらせた。



 この場において、自分が変わったことを言っているのは自覚している。

 でも、嘘じゃない。

 そして、この気持ちを恥じるつもりもない。



 だから堂々と、真正面からぶつかってやるのだ。



「レティシアたちのこと、好きになっちゃったんだ。友達になりたいって思った。一緒にいたいって思った。それだけが理由じゃ、だめかな?」



 共に同じ世界を見ようと。

 かつて、リュドルフリアにそう言ったユアンのように。



 自分もまた、レティシアたちと同じ世界を見ていたい。

 理由なんて、本当にそれだけだ。





「―――ああもう…。悔しいな……」





 しばらく呆けていたフールは、ふいにそんなことをぼやいた。



「目が曇ってたのは、僕も同じみたいだ。そんな簡単で大事なことを、君に思い出させられるなんてさ。」



 フールはまたゆっくりと下を向いて、ふいに体を震わせる。



「ははは……はは………はぁ……」



 空笑いが溜め息に変わった、次の瞬間。





「もおおぉっ! ディアの馬鹿ー!!」





 そんな叫びと共に急発進したフールが、これまで部外者を装っていたディアラントに、ロケットの勢いでタックルをかました。



「なんでオレー!?」



 至極当然の抗議が、ディアラントの口から飛び出す。



「なんで、じゃないよ! キリハを育てたのはディアでしょ! なんつー子を育て上げてるのさ!? 少しは、常識ってやつを教えてあげてくんない!?」



「あててっ……じょ、常識っていうのは、覆すためにあるものでして……」



「スケールによるっての! 君といいキリハといい、やることの規模がおかしいの!!」



 猛スピードで柔らかい拳を繰り出すフールに、ディアラントが眉をしかめながらも減らず口を叩く。



「壁は、高くて厚くてなんぼってやつ?」



「黙らっしゃい!! 君をここに引き込んだのは僕だけど、最近割と本気で後悔してるよ! このまんまじゃ、事後処理に慌てる皆の胃がやられちゃうじゃん!!」



「オレらは、みんなの愛で生かされてますからね~。」

「何をぬけぬけと…っ」



「ほんとのことだしー?」



 さすがはディアラント。

 唐突な八つ当たりを、見事に受け流している。



「……なんかよく分からないけど、結果オーライって感じなのかな?」

「まあ、そうなんじゃねぇか?」



 いつもの調子に戻ったフールを見つめながら首をひねっていると、それに答えるように、上から大きな手が降りてきた。



「お前の言うとおり、過去は取り消せねぇしな。腹くくって、やるしかねぇだろ。」

「まったくだね。やらなきゃいけないことがたっぷりだ。」



 両脇で、ミゲルとジョーが口々に言う。



「お前がやらなきゃいけないことって、九割方脅しじゃねぇか。」

「人聞きが悪いなぁ。口止め、もとい交渉って言ってよ。」



 口の端をひきつらせるミゲルに対し、ジョーは唇を尖らせながら、さらりと恐ろしいことを言ってのける。



 そんな二人の掛け合いは、レティシアたちを保護する前と同じもの。

 会議室に満ちる空気にも、不穏なものは一切ない。



 紆余曲折ありながらも、最終的には元通りだ。

 何があっても、最後にはこうして笑える。



 ならば―――





「うん。なら、これでいいよね♪」





 キリハは表情をほころばせて、明るい笑い声をあげた。


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