最初に手を差し伸べてくれたのは―――

 疑問に思ったのは、いつもまぶたを刺激してくる陽の光がなかったことだった。



「んん……今、何時…?」



 頭が重い。

 珍しいこともあるものだ。

 こんなに眠気を引きずって起きることなど、そうそうないのに。



 手探りで時計を探していると、ふと髪の毛を優しく引っ張られた。



「ん?」



 目をこじ開けると、甘えた声ですり寄ってくるドラゴンの頭がある。



「あ、そっか……」



 思い出した。



 どうりで朝日が差さないわけだ。

 こんな地下じゃ仕方ない。



 キリハはゆっくりと体を起こすと、大きく伸びをした。

 そして、近寄ってきたドラゴンの頭を優しく抱き締めてやる。



「おはよう。お腹空いたよね?」



 そう訊ねると、ドラゴンはそれを肯定するように頭を押し寄せてきた。



 キリハはそれに微笑みを浮かべ、次に頭上を見上げた。

 そこではいつものように、大きなドラゴンが母親のように穏やかな瞳でこちらを見つめている。



「ねぇ……昨日、誰かここに来てた?」



 かなりぼんやりしているが、このドラゴンと誰かが話していたような記憶がある。



『これは夢なんだよ。』



 彼はそう語っていたが、どうにもあれが夢だとは思えなかった。



 いや、夢だと思いたくないのかもしれない。

 自分以外にもドラゴンとあんなに楽しげに話す人がいるんだと、そう信じたいだけなのかもしれない。



 分かってはいても、どこかそう期待する自分を止めることはできなかった。



 …………



 ドラゴンは黙ってキリハを見下ろしている。

 そしてしばらくすると静かに目を閉じ、わずかに頭を振った。



 縦ではなく、横に。



「そう、だよね……」



 落胆しながら、自分に言い聞かせる。



 そうだ。

 そんなはずない。



 今の宮殿に、自分と同じように彼らに歩み寄ろうとする人などいない。

 それは、この一ヶ月でよく分かったではないか。



「あはは、ごめんね。変なこと訊いちゃって。」



 曇りかけた表情をなんとか取り繕って、キリハはドラゴンに笑いかける。

 ドラゴンはそんなキリハを見つめ、次に顎をしゃくってキリハの後方を示した。



〝後ろを見ろ〟



 そんなニュアンスが伝わり、キリハは首をひねりながらも後ろを振り返る。

 そして。



「うわっ!?」



 そこに、一気に目が覚める光景を見たのだった。



「ここまでくると、お前の神経の図太さには感心するな。」



 心底驚いたようなキリハに対し、壁際に座っていたルカは、溜め息を吐きながら呆れ顔を向けた。



「なんで……」



 全く予想していなかったルカの姿に、それ以外の言葉が出ない。



 ――― イツモ、キテル。



 疑問に答えたのは、ルカのものではない微かな声。



「いつも…? ルカが?」

「なっ!?」



 キリハが顔を上げてすぐ傍のドラゴンを見つめると、ルカが途端に顔色を変えた。



「お前、そいつらの言葉が分かるのか!?」



「えっ? えっと……はっきりとは分からないんだけど、なんとなくそんな風に言われてるような気がしてる…だけ……かな?」



 自分でも自信がないので、キリハは曖昧あいまいに答えるしかない。



 ルカはキリハの言い分にぱちくりとまぶたを叩いていたが、ふとした拍子に我に返ると突然頬を赤くした。



「ち、ちがっ……別に毎日来てるわけじゃなくて、今日はたまたま…っ! カレンたちからお前がいないって聞いて、捜しにきただけで!!」



「………」



 キリハはきょとんとしてルカを見つめる。



 別にこちらから事情説明を求めたわけではないのだが、勝手に慌てて弁解しているルカを見ていると、なんとなく事の真相は見えてくるわけで。

 何も言わないキリハにさらに調子を狂わされたのか、ルカは苛立ったように髪を掻き上げている。



「つーか、そいつらに飯やるんだろ? さっき、ミゲルの奴が置いてったぞ。」

「あっ…」



 指摘され、考えるよりも先に体が動いた。

 ルカの隣を通ってドアを開くと、廊下には大量の肉が入ったバケツがいくつも置かれている。



「おわっ!?」



 ちょうど手近のバケツに手をかけた時、後ろからルカの戸惑った声が聞こえた。

 何事かとシェルター内を覗いたキリハは言葉を失う。



 すぐそこにいたはずのルカの姿がない。

 小さいドラゴンが首を伸ばし、ルカのパーカーのフードをくわえて、彼のことをずるずると引きずっていたのだ。



 ドラゴンは自分の傍までルカを引き寄せると、まるでじゃれつくように、その金色の髪をもぐもぐとむ。



「だから! オレの髪は食いもんじゃないって、何度言えば気が済む!? なんでいっつもお前は―――」



 そこでキリハが見ていることに気付いたらしく、ルカは大袈裟に見えるほど大きく肩を震わせた。



「よく来てるんだ?」

「………」



 意地悪く訊いてやると、ルカはぐっと言葉につまって、そのままそっぽを向いてしまった。



 それからドラゴンたちの食事を運ぶ作業を繰り返し、しばらく。

 キリハは元気よく食事をするドラゴンたちの様子を眺めて満足し、ルカの方へと視線を移す。



 ルカはドラゴンから解放されるや否や、そそくさと壁際に退散してしまった。

 今は自分と同じように、ドラゴンたちを見つめている。



 キリハはそっとルカに近づくと、その隣に腰かけた。

 文句の一つでも言われるかと思ったが、意外なことに彼は何も言わなかった。



「ねぇ、なんで教えてくれなかったの? ルカもここに来てるって。知ってたら……あんなこと、言わずに済んだかもしれないのに……」



 その言葉は、尻すぼみになって消えていってしまった。


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