夜の密会

「ふう、随分遅くなっちゃったな。」



 ターニャの執務室を後にし、キリハは自分の部屋に向かっていた。



 あの後はターニャと、他愛もない会話を心行くまで楽しんだ。

 相当溜め込んでいたのか、普段の彼女からは想像もつかないほどの話しっぷりだった。



 人の話を聞いているのは嫌いではないし、自分もそこに乗っかってあれやこれやと話を広げたので、うんと楽しい時間を過ごしていたように思う。



 結局、執務室にフールが帰ってくるまで話が途切れることはなかった。



『すみません…。私ったら、十も年下のあなたを相手に、情けないところばかり見せてしまいましたね……』



 フールが戻ってきたことで自分の行動を思い返したのか、ターニャは赤面して顔を隠してしまった。



 ターニャって、二十八歳なんだね。



 うっかりとそんな暢気のんきな感想が飛び出しかけ、一応デリケートな話題かと思い、気合いで口を閉じた。



 二十八歳ということは、ディアラントがドラゴン殲滅部隊隊長に就任した三年前は二十五歳。



 少なくともその時には、神官として国を治めていたわけだ。

 もしかすると、今の自分の歳にはすでに神官になっていたのかもしれない。



 そう考えると、彼女がこれまでに費やした努力は、並大抵のものではなかったはずだ。



(ターニャって、本当にすごい人だったんだな……)



 今まで、ターニャ個人のことを知ろうとしていなかった自分を反省する。

 その時。





「なあ。もうそろそろ、いいだろ?」





 たまたま通りがかった部屋から、ふと男性の声が聞こえてきた。

 思わず立ち止まって振り返る。



 そこは、普段あまり使われることのない資料室。

 資料室のドアが微かに開いていて、声はその中から聞こえているようだ。



 聞いてしまったら、ちょっと覗きたくなるのが人間のさが

 キリハは足音をひそめて部屋に近づき、隙間からそっと部屋の中を覗き込んだ。



 そこには……



(ジョー…?)



 予想していなかった姿を見つけてしまい、ちょっと覗くだけだったはずの気持ちが、完全に部屋の中に縫い止められてしまった。



 部屋の中にはジョーと、彼を取り囲む三人の男性がいた。

 制服を身に着けていないため認識が確実とはいえないが、おそらく彼らは国防軍の連中だろう。



「もういいって、なんのこと?」



 ジョーはおどけるように首をひねる。

 対する男性たちは、どこか必死な様子だった。



「だから、いつまでもそんな部隊にいる必要なんかないだろって言ってんだよ。もうこっちに戻ってこいよ!」

「ランドルフ隊長も、ジョーを手放したことをかなり後悔してるんだぞ。」



「まあ、ランドルフ上官が僕を必要としてるのは知ってるけどね。」



 ジョーが男性たちの言葉を認めると、彼らはさらに畳み掛けようと次々に口を開いた。



「だったら、渋る理由もないだろ? お前のことだから、ディアラントのことだけじゃなくて、その他の情報も色々と仕入れてんだろ?」



「こっちには、とにかく貴重な情報が必要なんだよ。」



「ジョーをこっちに引き戻すためなら、いくら金を積んでも構わねえって話なんだ。それだけ高く買われてんだから、名誉なことじゃねぇかよ!」



「……ふーん?」



 冷静な表情で男性たちを見据えていたジョーの唇が、ゆっくりと弧を描く。



「僕が持ってる情報って、そんなに高く売れるんだ? じゃあ僕がそっちに寝返ることを約束したら、僕がどんな額を突きつけても、上の方々は言い値でお金を出すつもりなの?」





(――― え…?)





 どくんと心臓が跳ねた。



 今繰り広げられている会話は何?



 頭が真っ白になって、何が起こっているのかが分からなくなる。

 いや、分かりたくない。



 天地がぐるぐると回るようだ。



 この先の話を聞きたくない。

 そう思うのに、体は金縛りに遭ってしまったかのように動かなくて、五感だけが勝手に研ぎ澄まされていく。



 ジョーの口調の変化を感じ取った男性たちの表情が、ぱっと明るくなった。



「お、おう! なんなら、俺たちも上に掛け合ってやるよ。」



「お前なら問題ないって。ランドルフ隊長と繋がってるって噂、多分本当なんだろ? ここで大きく恩を売っておけば、総督部入りも夢じゃないぜ!」



 キリハが聞いているとも知らず、男性たちは口々に言い募る。



「なるほどね。」



 ジョーはくすりと小さな笑い声を零した。

 その唇が、薄く開いて―――


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