ターニャが身を置く環境
「私、ずっとあなたに謝りたかったんです。」
きゅっと。
掴まれた腕に込められる、ささやかな力。
「へっ!?」
とんでもない展開に、キリハは何度も目をしばたたかせた。
「きゅ、急にどうしたの? 謝りたかったって……ターニャ、俺に何かしたっけ?」
もし何かターニャにそう思わせることがあったなら、絶対に何か誤解がある。
謝るべきは自分の方かもしれない。
キリハは椅子に座るターニャの前に片膝をつき、自分の腕を掴むターニャの手をもう片方の手で包んだ。
「ターニャ?」
できるだけ優しく、刺激しないように訊ねる。
「………アが……」
大きく歪むターニャの表情。
涙は零さなかったものの、今にも泣き出してしまいそうな、そんな彼女の顔を見るのは初めてだった。
「ディアがあそこまでひどい立場に立たされているのは、私のせいなんです。」
必死に
唐突な告白に、キリハは大きく目を見開く。
「……へ?」
「ディアは、私が自分を救ってくれたなんて言いましたけど、本当は違うんです。彼をあそこまで追い込んだのは、私のわがままなんです。」
「ちょっと……」
「ディアのためにも、私のためにも、こうするしかなかった…。でもきっと、そもそも私とさえ出会わなければ、ディアは今頃ちゃんと―――」
「落ち着いて!!」
どうしようかと対処に迷ったが、キリハはターニャの肩を掴んで大きく揺さぶった。
「ディア兄ちゃんもみんなも、ターニャのせいだなんて一言も言ってなかったじゃん。悪いのは、国防軍の奴らでしょ?」
「……では、どうして総督部の人々がディアを排除したがっているのか、あなたは知っていますか?」
「そ、それは……」
キリハは返答に窮してしまった。
「ディアは、影響力がとても強い人です。」
ターニャは
「そんな人が私の味方についていることが、総督部の人々は気に食わないのですよ。」
悲痛さを帯びていくターニャの声。
「私は……役目を終えれば捨てられる、ただのお人形ですから。」
「ターニャ!!」
キリハはもう一度ターニャの肩を揺らした。
「本当にどうしちゃったの? なんか、嫌なことでもあった?」
真正面から目を合わせて、穏やかな口調を意識して訊ねる。
いつものターニャらしくない。
もしかしたら口に出していないだけで、ターニャも総督部の奴らから、何かしらの脅しでも受けているのかもしれない。
「すみません…。困らせていますよね。でも、事実なんですよ。」
「事実って……」
「あなたは、疑問に思ったことはありませんか? 竜使いを
ターニャの問いに、キリハはなんともいえない顔で固まった。
「その様子だと、ないのですね。」
「えっと……その……」
言われてみれば確かに妙な気もするのだが、ターニャがあまりにも神官として立派に振る舞っていたので、これまで全く違和感を抱いたことがなかったのである。
「答えは、責任を取らせるためですよ。」
ターニャは寂しげに口の端を上げる。
「セレニアの各地にドラゴンが眠っているという話を、人々はただの伝承だと言いながらも、心のどこかで恐れていたのです。この国を治めるということは、いずれドラゴンという脅威と向き合わねばならないということ。だから、私たちユアンの直系が選ばれたのです。もし伝承が本当で、いつかドラゴンが目覚めるなら、その責任は私たちが取るべきだと。」
「そんなのって……」
言葉が続かなかった。
そんなの、ただの押しつけだ。
だってユアンがリュドルフリアと血を交わしたのは、ドラゴン大戦よりもずっと前ではないか。
ドラゴンと戦争を起こすことになったから、ドラゴンと共に生きようとしたこと自体が間違っていただなんて。
そんな考え方、あまりにも乱暴すぎる。
「言ったでしょう。私たちは、都合のいいお人形として神官に
彼女がそう言った根拠は、すぐに明らかにされる。
「私の父は病気で他界しましたが、祖父は濡れ衣を着せられて任を追われました。もし私に跡継ぎになる子供でもいたなら、私もとっくに宮殿を追い出されていたかもしれません。ディアほどの人を味方につけて、総督部としては私のことが煙たいでしょうから。」
ターニャは眉を下げて微笑む。
「総督部と神官は、決して相容れない関係です。そしてディアは、たまたま出会った私に手を差し伸べてくれたことで、総督部に目をつけられました。国を追われかけたディアを救うためには、特例を適用してでも、私直轄のこの部隊に巻き込むしかなかった。でも……」
とうとう、ターニャは顔を両手で覆ってしまった。
「ドラゴン殲滅部隊はいわゆる特攻部隊…。彼を助けたかったのに……戦地の最前線に送ることしかできなかった。彼の夢を……潰すことしかできなかったのです。」
悲痛な心の叫び。
それに、何を言うこともできなかった。
キリハが返答に窮している間にも、ターニャの独白は続く。
「私は他人を、ひどい戦いの中に放り込むことしかできないのです。あなた方竜騎士だって、本当はもっと穏やかな生活があったはずなのに、私が《焔乱舞》に選ばれなかったから、こうして巻き込まれることになって……」
「それは……」
「私は皆さんに、無茶ばかりさせています。ディアは私が自分を救ったんだと言ってくれますし、他の皆さんも私のせいだとは言いません。でも、キリハ……あなたにだけは、もう嘘をついていられない…。ディアが愛しているあなたには、これ以上…っ」
「………」
とっさに何か言ってあげようと思ったけど、やはり彼女にかける言葉を見つけられない。
知らなかった。
いつも誰よりも凛としているターニャが、こんなに思い詰めていたなんて。
これは宮殿の闇なのだと、過去にターニャは語っていた。
今自分の前に広がっているのはその闇のほんの一部だけど、その闇の限りなく根幹に近い部分。
そしてその闇は、涙も流さずに小さく震えるだけのターニャの肩に、こんなにも重たくのしかかっているのだ。
自分の味方についてくれた人が、ひどい仕打ちを受けてしまう。
彼女が抱く恐怖と絶望は、その立場を経験していない自分には想像し尽くせない。
こうして自分のことを責めてしまうターニャのことを、誰が〝それは違う〟と諭せるだろうか。
自分を責める必要はないのだ、と。
そう口にするのは簡単だ。
しかし、ちょっとでも彼女の立場を思い描けるのなら、 とてもそんな言葉は言えない。
自分なら、そんな風に励まされたり
「……ターニャ。」
長い沈黙の末、キリハは意を決して口を開いた。
「ごめん。俺には、なんて言っていいのかよく分かんないんだけど。でも……」
きっと、今のターニャには取り繕った言葉など響かないだろう。
それに、彼女がどんな言葉を求めているのかも分からない。
だから。
「ターニャって、神官を続けていることを後悔はしてないよね?」
キリハは率直に、感じたままのことをターニャに告げた。
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