もやもや

 会議を終え、時計が昼過ぎを指し示す頃。

 キリハの違和感は、不快感へと変わっていた。



 浮ついているのは、ターニャだけではなかったのだ。



 会議の時には気づかなかったが、ドラゴン殲滅部隊の人々もターニャと同じように、そわそわとして落ち着きがない様子だった。

 そして時間が経つにつれ、そのざわめきは確実に大きくなっていた。



 まるで、祭りやイベントの前のような。

 そんな空気。



 別に、その空気自体が不快というわけではない。

 しかし、キリハが抱いている不快感の原因は間違いなく、そんな雰囲気をかもし出す人々にあった。



「えっ? なっ、なんでもないですよ!」

「そうそう。いつもどおりですって。」

「変? またまたぁ。疲れてるんじゃないのか?」



 誰に何を訊いてもこれである。

 絶対に何かが起こっているのに、それを訊くと、皆が揃いも揃って話をはぐらかすのである。



「むー…。みんなして何さぁ~…」



 キリハは頬を膨らませる。



「ほんとね。私も色々訊いてみたけど、キリハにばれちゃうからって何も教えてくれなかったの。」

「あたしなんて笑顔で『内緒~♪』だよ。ルカは?」

「興味ない。」



 サーシャとカレンが困ったように息をつき、心底関心がない様子のルカは外の景色を眺めている。

 皆が隠していることについて何かヒントを得られないかと、サーシャたちにも協力してもらったのだが、どうやら先手を打たれているらしい。



 キリハは顔をしかめる。



 ここまで皆の息が合っているということは、部隊の副隊長であるミゲルが何かを言い含めているのだろう。

 直接本人に文句を言いに行きたいところだが、どういうわけかミゲルは、朝の会議以降どこにいるのか分からないのだ。



 キリハはむすっとしたまま、視線をぐるりと巡らせる。



 中庭に面したこの外廊下からは、青々とした芝生が一望できる。

 そこに据えられたベンチでは、数人の男性たちが談笑していた。

 休憩中のドラゴン殲滅部隊の人々だ。



 彼らはこちらの視線に気付くと、意味ありげに口の端を吊り上げてこそこそと何かを話し始める。



「絶対に面白がってるー!!」



 唇を尖らせて喚いていると、ふと後ろから小さな笑い声が聞こえてきた。



「やれやれ…。みんな、全然隠せてないね。」



 呆れ半分、苦笑半分といったその声に振り返る。

 すると、柔和な表情で立っているジョーと目が合った。



「ジョー……これって、どういうことなの?」



 救いを見出したキリハは、眉を下げてジョーにすがりつく。

 そんなキリハに、ジョーはただ笑うだけだった。



 ふわふわとした銀色の巻き毛に、くりっと丸い瑠璃色の瞳。

 物腰柔らかな仕草と穏やかな雰囲気。



 剣よりも花を持っていた方が断然似合う風貌をしているジョーだが、これでも剣の腕はドラゴン殲滅部隊トップクラスなのだから、人は見かけによらないものである。

 自分も彼とは何度か手合わせをしたことがあるが、お世辞抜きに強い。



 さらに彼の頭脳は他の追随を許さないほどで、部隊での役職は参謀代表。

 副隊長のミゲルと共に隊長を支える、最重要幹部である。



 ただ気になるのが、どこからどう見ても優しい彼を、親友のミゲルも含めて、部隊や他部署の面々が本気で恐れていること。

 どうしてそんなに怖がるのかと訊ねたところ、そのうち嫌でも分かるから訊かないでくれと言われてしまった。



「そうだね。これは、さすがに気の毒かな。」



 キリハが放つキラキラ光線に負けて、ジョーは困ったように眉を下げた。



「実はね、今日隊長が帰ってくるんだよ。」



 彼から告げられた言葉に、キリハやサーシャたちは目を丸くする。



「隊長って、ドラゴン部隊の?」

「そうそう。ずーっと仕事であちこちに飛ばされてたんだけど、ようやく帰ってこられることになったんだよね。」



 しみじみと語るジョー。



 ドラゴン殲滅部隊の隊長は、自分たちが宮殿に来るずっと前から、常にあちこちを飛び回っていたそうだ。

 ドラゴンが出現したことで早急な帰国を求めるも、彼の出張先との調節が上手くいかず、ずるずるとここまで帰国が伸びてしまったのだそうだ。



「本当に、向こうとの交渉が大変だったよ。あの人の人気っぷりったら、時々憎たらしくなるくらいなんだもん。」



 疲れた吐息をついたジョーは、未だにこそこそと話している男性たちに目をやる。



「ミゲルには顔にも出すなって言われてたのに……やっぱり、みんな楽しみで仕方ないんだね。」



 ジョーの言葉を聞き、キリハは今朝から見てきた光景を思い返す。



 待ちきれないというように浮足立った皆の姿。

 ほのかな期待と緊張感に包まれた宮殿本部。



「……すごい人、なんだね。」



 素直な感想だった。



 これだけの人々が待ちわびていて、あのターニャでさえも期待が表情に出てしまうくらいだ。

 その隊長様は、相当信頼されているのだろう。



「そりゃあね。あの気前のよさと人徳は、尊敬に値するよ。才能の塊みたいな人さ。キリハ君みたいに。」

「いやいや、俺はそれほどでも……――― あれ?」



 ジョーの言葉に流されていやいやと手を振ったところで、ふと違和感に気付いた。



「でも、なんで隊長が帰ってくるっていうのが、俺には秘密だったわけ?」



 皆が何を楽しみにしているのかは分かったが、どうしてそれを自分に隠す必要があったのか。

 キリハが首を傾げると、ジョーはくすりと笑った。



「うーん。半分ばらしちゃったし、言ってもいいか。実は、隊長直々の命令だったんだよね。自分が帰ってくるってことを、キリハ君には内緒にしておいてって。」



「ええーっ!? 何それー!!」



 驚きの事実に、キリハは声を高くして叫ぶ。



 意味が分からない。

 どうして見ず知らずの人から、そんな意地悪をされなくてはいけないのだ。



「まあ、気持ちは分かるけどね。あの人にとって、キリハ君って特別だし。」

「へ? どういうこと?」



「あはは。ヒントはこれで終わり。」



 ジョーは悪戯いたずらっぽく舌を出し、急に手のひらを返してしまった。



「ううう…っ。なんか、逆にもやもやするんだけどー!!」



 キリハは子供のように地団駄を踏む。

 そんなキリハを見下ろすジョーは、面白おかしそうに笑ってその頭をなでた。



「もう少しの我慢だよ。さっき隊長を迎えに行ったミゲルから連絡がきて、もうすぐ宮殿に着くって聞いたから。」



「ほんと? 会ったらすぐに文句言ってやる!」



「まあまあ。割と底意地が悪いし、危機感に欠けるところがある自由人だけど、すごくいい人だよ。絶対にキリハ君も好きになるって。……っていうか、もう大好きなんじゃないの?」



「………? なんで? 第一印象最悪―――」



 その時、キリハの声と動きがピタリと止まる。

 不満そうな表情を一瞬で引っ込めたキリハは、ジョーたちに体を向けたまま中庭へと下がっていった。



「キリハ?」



 いぶかしげに名を呼んで近寄ってこようとするサーシャを、他でもないキリハ自身が手を掲げて止める。



「みんな、近づかないで。」



 そう言うキリハの表情は、何故か嬉しそうな笑みに彩られていた。

 不可解そうなサーシャたちに、キリハはにっこりと笑みを深めてみせる。





「ちゃんと離れとかないと――― 怪我するかもよ!!」





 弾んだ声でそう言った、次の瞬間。

 キリハは突然《焔乱舞》に手を伸ばして、後ろを振り向きざまに剣を抜き払ったのだった。


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