エピローグ
雨降って地固まる
「あ、笑った。」
「笑ってない。」
「いやいや、気付いてないだけだって。写真撮っていい?」
「死ね!」
病室から漏れ聞こえる、騒がしくも微笑ましい会話。
廊下では、その会話を盗み聞きする姿が四つほどあった。
「……おい。これ、いつまでこうしてるんだ?」
口を開いたのはミゲルだ。
「仕方ないじゃない。入るタイミング探してたら、どんどん入りにくい雰囲気になっちゃったんだもん。」
病室の引き戸に張りついていたカレンが、気まずげにそう言い返す。
「じゃあ、素直に出直せばよかったんじゃないか? 盗み聞きなんて無粋だぜ?」
「一緒になって聞き耳立ててる時点で同罪じゃない。そう言うなら、なんでミゲルさんはここにいるのよ。」
「いや、ルカをからかういい材料になるかと思って。」
「根性腐ってるのはそっちじゃないの!」
「まあまあ。二人とも……」
一歩引いた場所から、サーシャがやんわりと仲裁に入ってくる。
その隣には。
「ルカ……大人になって……」
感極まった様子で涙を浮かべているエリクがいた。
ひしひしと感動を噛み締めているエリクに、ミゲルが懐疑的な視線を向ける。
「ってか、あんたもよくこんな頻繁に見舞いに来れるな。医者なんだろ?」
「そりゃあ、やっとキリハ君の意識が戻ったってなれば、顔も見たくなるよ。こんな時のために、今まで休日を返上したりして、院長にはうーんと恩を売っといたんだから。」
自慢げなエリクだが、ミゲルはいまいち納得していないようだ。
「知り合いに医者やってる奴いるけどよ。休日返上なんてざらにあるって言ってたぞ。あんたの場合、恩を売ってるだけじゃなくて、何か院長の弱みでも握ってるんじゃねぇのか?」
「あれ? ばれちゃった?」
さらりと言うエリク。
そのあまりにも自然かつおどけた笑顔に、ミゲルはぱちくりとまばたきを繰り返した。
「うわ、とんでもねぇ奴と知り合っちまった。とてもあのルカの兄貴だとは思えねぇな。……ちょっと、腐れ縁のあいつと被ったわ。」
直情的で分かりやすいルカとは正反対だ。
ミゲルの言葉を受けたエリクは、少し不満そうだ。
「ええー。僕はけっこう、ミゲルさんと気が合うと思うんだけどなー。今度、飲みにでも行こうよ。」
「そりゃ構わねぇが、こっちはキー坊から情報もらってんだぞ。ブラコン話はなしだからな。」
「そんな! 僕からそれを取ったら何が残るの!?」
「知るか! 誇らしげになんつーこと言ってんだよ!」
男性陣が漫才のような会話を繰り広げる中、サーシャは引き戸の隙間から病室の中を覗き込むカレンの隣に並ぶ。
「どうしたの?」
サーシャが訊ねると、カレンは引き戸の前から身を離さないまま、薄く唇を開いた。
「ルカのあんな顔、初めて見た……」
キリハの隣にいるのは、苛立ったように怒鳴りながらも楽しそうなルカだ。
物心ついた時からずっとルカのことを見てきたが、あんな風に肩の力を抜いている姿など、一度も見たことがない。
嬉しい反面、心は複雑だ。
「なんか、
自分しか知らないルカの表情なんていっぱいある。
その自信はあるのだが、今ルカが浮かべている表情の価値は、それらの価値を易々と超えていくものだと思えた。
きっと、これからルカはどんどん変わっていく。
そんな毎日の中で、少なくともキリハはルカの本当の姿に気付いて、ありのままのルカを理解していくのかもしれない。
そんな気がした。
知っているのは、自分だけでよかったのに……
つい、そんなことを思ってしまう。
「もう、あたしだけのものじゃないんだな……」
あんなルカを目の前で見られるキリハへの
すると。
「キリハ君が男の子でよかったよねー。もし女の子だったら強敵だったよ、あれは。」
いつから背後にいたのか、エリクがしみじみと言った。
「ちょっ……お兄ちゃん! 変なこと言わないでよ!!」
独り言を聞かれていた羞恥心から、カレンは頬を紅潮させて背後を振り返る。
見上げた先には、エリクだけではなくミゲルの姿まで。
墓穴を掘ってしまった。
そんな風に後悔しても、もう遅い。
「なんだ、もうお兄ちゃん呼びか? 気が早いねぇ~。」
案の定、ミゲルが意地の悪い笑みで食いついてくる。
「いやいや、違うよ。僕が昔からそう呼ばせてたの。」
いつも自分とルカの関係をおちょくってくるエリクが、珍しくフォローに回ってくれた。
一瞬見直しかけたカレンだったが、次の彼の発言で優しいエリクなど幻であったと知る。
「だってほら、カレン以外がルカの相手をできるとも思えないし、ルカがカレン以外の子をお嫁さんにするとも思えないしね。」
「なっ…!?」
「ああ、確かになぁ。」
「―――っ! お邪魔しまーす!!」
次の瞬間、カレンは病室の引き戸を思い切り開け放っていた。
この二人を組ませたら危険だ。
瞬間的に、本能がそう訴えてきたのである。
「カ、カレン!?」
ルカが
「お前…っ。いつから……」
「たった今だしー? ルカがキリハに背中を預けるとか、聞いてないしー!!」
「ばっちり聞いてんじゃねえか!!」
そこに。
「どーもー♪ 馬鹿兄貴でーす。」
「よお、ルカ。クソヒゲ親父で悪かったな。」
エリクとミゲルが、それぞれ面白そうな表情で続く。
彼らを見たルカの表情が、これまでにないほどに歪んだ。
「げっ……兄さん、なんでここに!?」
「なんでって、宮殿に入れる特別許可が出てる内に、少しでも可愛い弟たちに会いに来たいじゃない。それにしても、ルカ!! お兄ちゃん、感動したよー!!」
「寄ってくんな!! ってか、どっから聞いてたんだくそ兄貴ー!!」
嬉々としてルカに抱きつこうとするエリクと、それに必死に抵抗するルカ。
完全に機嫌を損ねているカレンと、そんなカレンをからかうミゲル。
「なんか、すっごく賑やかになっちゃったね。」
すっかり見物人になってしまったキリハの傍に、苦笑を浮かべたサーシャが座った。
「そうだね。みんなずっと外にいるのに、なんで入ってこないんだろうと思ってたけど。」
「ふふ、気付いてたんだ。なんか、邪魔しない方がいいかなって。ルカ君のためにも。」
「なるほど。みんなが見てる前じゃ、ルカは絶対にあんなこと言えないもんね。」
サーシャと笑い合い、キリハはルカたちの方へと目をやる。
《焔乱舞》を取ったことで、何かが変わっていくことが怖かった。
皆の心を歪めてしまうことが嫌だった。
でも、それだけじゃない。
きっとこの先、つらい思いをすることなんて腐るほどあるだろう。
今回みたいに、死にかけることもあるかもしれない。
それでもこんな風に、予想外の変化を見ることだってできるなら。
周りの優しさに、心を震わせることができるなら。
きっと大丈夫。
身を折ることがあっても、きっと前を向ける。
「みんなと笑ってられるなら、俺はそれでいいや。」
目の前に広がる楽しげで幸せな景色に、キリハはそう言って満面の笑みを浮かべるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
【第2部】はこれで完結となります。
ここまでお読みくださった皆様、本当にありがとうございました。
【第3部】あらすじ
最強師匠、ついに帰国!
だが彼の帰国は、キリハに今までとは種類が違う嵐をもたらすことになる。
季節は太陽が高く照りつける夏。
その熱気に包まれ、年に一度の一大イベントが幕を開ける。
その見どころは――― 最強の師弟対決!?
新たな登場人物を迎え、物語はさらに加速します!
ちなみにこちらのお師匠様、先行公開している別サイトでは人気ナンバーワン(多分)です!
どうぞ、【第3部】もよろしくお願いいたします!
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