預かってやるから

 思わず顔を上げたルカの視界は、刹那の間に灼熱の赤に染め上げられた。



 ―――――――――っ!!



 ドラゴンが甲高い声をあげて後退する。

 それもそうだろう。



 ルカとカレンの周囲は紅蓮の炎で囲まれ、とても近づけるような状態ではなかったのだから。



「危ない危ない。……あれ? 俺ってば、もしかして美味おいしいところを持ってっちゃった?」



 茶目っ気を含んだ声が、茫然とする全員の鼓膜を叩く。

 ゆっくりと歩みを進める彼の道を開けるように、誰もが身を引いた。



 そして。



「やっぱり、ルカはルカだよね。ひねくれてるけど、曲がってはいないんだよ。」



 炎を隔ててルカとカレンの前に立ち、キリハは笑った。




「キリ…ハ…」




 誰もがドラゴンのことを忘れ、窮地を救った英雄の姿を見つめる。



「……ははっ。初めて名前で呼ばれた。こんな時じゃなきゃ、もっとちゃんと喜ぶんだけどな。」



 そう言いながらも、照れくさそうに笑うキリハからは、嬉しさが十分に滲み出ていた。



「コラーッ!!」



 その時、ハウリングを起こすほどの大声が全員の耳をつんざく。



「キリハ!! 出動はだめだって言ったのに、なんでそこにいるの!?」

「え? 点検が終わった車の荷台にこっそり乗った。」



 爆音に顔をしかめるキリハは、特に悪びれる様子もなくフールに答える。



「結果的に、ルカとカレンを助けられたじゃん。」

「それは……」

「ね? だから、大目に見てねー♪」



 こんな状況なのに軽口を叩くキリハは、まるで《焔乱舞》を取る前に戻ったようだ。

 それで、誰もがじわじわと実感する。



 待ちかねていた存在が、ようやく帰ってきたのだと。



「ああああー、もう!! こんなことなら、ほむらを取り上げておくんだったーっ!!」



 イヤホンの向こうで、フールが癇癪かんしゃくを起したように絶叫している。



「ってか、みんなもいつまで呆けてんの!? 早くキリハを後ろに下げて! キリハ、病み上がりなんだよ!?」



 フールの焦りを滲ませた声に、ようやく現場にざわめきが戻り始める。

 だが、この中で唯一動揺していなかったキリハの行動の方が数倍も早かった。



「もう、うるさいなぁ。」



 溜め息混じりに呟き、キリハは右耳からイヤホンを外す。

 そしてイヤホンが繋がっていた小型のトランシーバーも腰から外すと、あろうことかそれを海の方に放り投げてしまった。



「おい!?」



 さすがに驚愕して、ルカが声を荒げる。



 そんなルカに対して、キリハは悪戯いたずらを企む子供のように、無邪気に笑ってみせた。



「―――……」



 その瞬間、ルカは言葉を飲み込むしかなくなる。



 ずるい笑顔だ。

 こんな風に笑いかけられては、何も言えなくなってしまうではないか。



「ルカ。カレンを安全な所に連れてってあげて。いつまでもだと、さすがにドラゴンも可哀想だからさ。」



 キリハの視線が動いたので、ルカもそれにならってドラゴンを見やる。



 ドラゴンの周囲では、いくつもの炎の蛇がうねっていた。

 炎のおりの中に捕らわれ、ドラゴンは前進も後退も飛ぶこともできず、今までの様子からは想像もつかないほど弱々しい声をあげている。



「お願い。」



 キリハはルカたちを囲む炎に手を伸ばす。

 キリハの手が炎に触れると、炎はまるで幻のように勢いをなくして消えていった。



 ルカはしばし何かを言いたげにキリハのことを見つめていたが、優先事項を己に言い聞かせたのだろう。

 無言でカレンを抱いて立ち上がると、彼は早足にその場を離れていった。



「――― さて、と。」



 カレンが無事に救護班に引き渡されるのを見届け、キリハはドラゴンに向き合った。

 すると、ドラゴンは目に見えて怯えた仕草を見せる。



 相当怖がらせてしまったらしい。

 キリハは眉を下げる。



「ごめんね。すぐに終わらせてあげられればよかったんだけど、……今の俺じゃ、話しながら全力の焔を制御できないからさ。」



 言いながら、キリハは《焔乱舞》を両手で構えた。



 前線に出ることはしないつもりだったのだが、ここまで踏み込んでしまった以上、これはもう自分の責務だ。

 意識を集中させるほどに《焔乱舞》から舞う炎が勢いを増し、両手の中で《焔乱舞》が暴れる。



「………っ」



 キリハは苦しげに眉を寄せる。



 分かってはいたが、やはり今《焔乱舞》を使うには無理があったようだ。

 《焔乱舞》を制御することよりも、自分の体を支えることの方に精神力を使ってしまう。



 危なげにふらつくキリハの体。

 ふいに、それを誰かが支えた。



「……ルカ?」



 後ろを見ると、ルカが複雑そうな表情でこちらを見下ろしていた。



「見ていられないな、まったく……」



 久しぶりに聞くからだろうか。

 呆れ口調の言葉でも、ルカの声をもう一度聞くことができて嬉しく思えてしまう。



「悪かったね。」



 今までと同じように減らず口を叩き返し、キリハは微笑む。

 そして。



「……ごめん。」



 ずっと彼に言いたくてたまらなかった言葉を、音に乗せて伝える。



 ルカに意識を傾けた途端に、手元が狂いそうになる。

 ぎりぎりで踏ん張って《焔乱舞》を抑えながら、それでもキリハはルカへの言葉を紡ぎ続けた。



 きっと、ちゃんと伝えられるのは今この瞬間だけ。

 なんとなく、そう感じたのだ。



「嫌な思いをたくさんさせた。それが嫌で、焔を使うことをけてたけど……ごめん。やっぱり俺は、焔からもドラゴンからも逃げることなんてできない。背負うって、そう約束したから。」



「………」



 ルカは何も言わない。

 自分としても、返事を求めているわけではなかった。



 だから下ろしていた視線を上げ、ドラゴンと《焔乱舞》へ意識を戻すことにする。



「………はあ。お前って、本当に馬鹿だな。」



 聞こえてきたのは、少し笑みを含んだ声。



 そんなルカの声が意外すぎて、思わず体ごと振り返りそうになった。

 しかし、それは他でもないルカに阻止されてしまう。



「ええ!? ちょっと!」

「黙れ。」

「そんな!」





「いいから! お前は焔に集中しろ。――― 背中でもなんでも、全部預かってやるから。」





「―――っ!!」



 キリハは大きく息を飲んだ。



 ルカから贈られた言葉の価値が、こんなにも心を震わせる。

 


 もう一度言ってくれとせがんだところで、二度と聞くことは叶わない。

 それが分かるからこそ、今聞いた言葉を、何度も脳内で繰り返して心に刻み込んだ。



「へへ…」



 ルカに顔を見られていないと知っていたので、キリハは我慢することなく表情を崩した。

 嬉しそうな、そして泣きそうな笑顔がキリハを彩る。



「そういうことなら、遠慮なく。」



 言葉どおり、キリハは思い切りルカに寄りかかった。



 途端に頭上から抗議的な雰囲気が伝わってくるが、それでもルカはちゃんと体を支えてくれる。

 そんな不器用なりの歩み寄りと優しさが、何よりも心にみた。



「ありがとう。」



 小さく放った言葉は、爆発的に勢いを増した炎に掻き消される。



 キリハはゆっくりと《焔乱舞》を頭上まで掲げ、次にそれを一気に振り下ろした。



 炎の波がドラゴンを瞬く間に飲み込み、そして―――


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