今唯一の逃げ場

 現在、宮殿の外に安息の地はないといえよう。

 普段なら好き好んで立ち入らないはずの中央区にまで、あんなに人が集まってくるのだ。



 全く理解できない状況である。

 わざわざ自分目当てに集まるほど、彼らは暇なのだろうか。



 とはいえ、さすがに野次馬たちもこんな所にまでは来ないだろう。

 というか、こんな場所にまで押しかけてくるやからがいたなら、全力でそいつを軽蔑する。



 真っ白い廊下を、念のためにフードを深く被って進む。



 途中で何人もの人とすれ違ったが、彼らはこちらの事情を知っている上に自身も忙しいからか、こちらに気づいても軽く会釈をしてくるくらいだった。

 自分もそれに会釈を返しつつ、建物の隅にある薄暗い階段から地下に向かって下りていく。



 地下には全く人の気配がなく、床を踏む音が甲高く響いて聞こえた。

 無機質な鉄の扉が並ぶ中で、かすれた文字で〈倉庫〉と書かれたプレートが取りつけられたドアを開く。



 倉庫の中にはたくさんの段ボールが乱雑に置かれていて、少しほこりっぽかった。

 その段ボールの間を縫って部屋の奥に進むと、そこでようやく捜していた姿を見つけることができた。



「いらっしゃい、キリハ君。」



 段ボールの中に埋もれる室内になんとか確保された空間で、彼は気さくに笑いかけてくる。



「ごめんなさい。なんか、避難所みたいに使っちゃって……」



 椅子に腰かける彼の前には弁当が置かれていて、それを見るとどうしようもなく気分が沈んでしまう。

 いつものことながら、彼にこんな所で昼食を取らせることになるのは、あまりにも申し訳なかった。



 だが気まずい自分とは対照的に、当人は全く気にしていないようである。



「いいんだって。そもそも、呼び出したのは僕なんだし。むしろ、こんな場所しか用意できなくてごめんね。僕が外出できればいいんだけど、院長が許してくれなくてねぇ。」



「そりゃあ、優秀なお医者さんにはいてもらわないと困るでしょ。」

「んん…? 休憩時間って、何なんだろうね?」



 納得はしているけれどと、エリクは笑った。



 ルカの兄であるエリクとは、知り合ってから二ヶ月ほどが経つ。

 初めて会った時からやたらと彼に気に入られてしまい、今では実の弟であるルカ以上にエリクに会っているのではないだろうか。



「まあ、文句はこれくらいにして、と。さあさあ座って。」



 向かいの席を勧められ、キリハは素直に椅子に腰を下ろした。



「それにしても、毎度毎度よくこうやって部屋を使えるよね。本当は、俺が入っちゃまずいんじゃない? ってか、まずいよね?」



 この倉庫は、エリクと定期的に会うようになってから、なかば私物化されている。



 誰かに文句を言われたことはないのだが、仮にもここは病院だ。

 関係者でもない自分が、安易にこんな所にまで足を踏み入れていいはずがない。



 渋面を作るキリハだったが、エリクは笑うだけだった。



「大丈夫、大丈夫。見てのとおり、ここは雑貨や机しかない物置だから。それに、病院から出るなって言うんだったら、このくらいは融通をかせてもらわないとね。ここなら、他の医者や看護師もそうそう来ないし。」



 言われてみれば、ここにいる時にエリクの携帯電話が鳴ることはあっても、他の誰かが入ってきたことはなかった。



 つまり、ここでは周囲の様子を気にする必要もないということか。



 そう思い至ったら、無意識に肩の力が抜けた。

 そんな自分の態度に、エリクはくすりと苦笑を漏らす。



「あ、ほっとしたね?」

「そりゃあもう……」



 エリクにはいつも話を聞いてもらっているので、キリハは特に隠すことはせず、感情のおもむくままに机に突っ伏した。



「もう散々だよー。どこに行っても誰かが見てくるし、周りに迷惑かけないようにって思ったら宮殿から出られないし。テレビをつけりゃ、胸くそ悪くなるしー……」



「うんうん、それで?」



 愚痴を垂れ流している状況なのだが、エリクは嫌がる様子もなく頷きながら弁当を食べ始める。



「それに……ルカとも、どんどん微妙な感じになってくしさ……」

「へぇ……」



 ルカの名前が出た瞬間、ハンバーグをくわえるエリクの目がきらりと光ったように見えた。

 改めて言うまでもないが、エリクは相当なブラコンである。



「ルカに何か言われた?」



 穏やかな口調なのに、目が訴える食いつきようが半端じゃない。



「うん、まあ……」



 その瞬間、思わず言葉を濁してしまった。



 自分で話題を振っておきながら、エリクに促されると続きを躊躇ためらってしまう。

 だが、ここまで言っておいてやっぱり言わないというのは、逆に失礼だろう。



「………《焔乱舞》なんて、なければよかった……って。」



 口に出して、自分で覚悟していた以上にへこんだ。



 《焔乱舞》なんてなければよかったと。

 自らの口で音に出すだけで、こんなにも精神的に受けるダメージが違う。



「ああ、なるほどね…。いかにもルカが言いそうなことだね。」



 エリクはばつが悪そうに表情を引きつらせ、言葉を探すように弁当のおかずをつついている。



「あの子は、分かりにくい上にひねくれてるからなぁ…。多分、本心から言ってるわけじゃないよ……って、信用ならないか。」



 そう言ったエリクは、どこか悲しげに微笑むのだった。


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