その後

 《焔乱舞》の一撃は昔から伝えられているとおり、すさまじいものだった。



 《焔乱舞》から放たれた煉獄れんごくの炎は瞬く間にドラゴンを包み、ドラゴンが苦しげな声をあげる間もなく、その体を焼き尽くしたのだ。

 後には、何も残らなかった。



 しかし《焔乱舞》の炎はドラゴンのみを焼くにとどまり、周囲の田畑や家に被害を振りまくことはなかった。

 《焔乱舞》の炎に当てられて火傷を負った人は何人かいたようだが、それも軽症の範囲を出なかった。



 こうして初めてのドラゴン討伐は、奇跡的に一人の犠牲者も出すことなく終結した。

 ただ農耕地であるレイミヤに対する被害は甚大で、国内市場と貿易市場への影響は避けられないと言われている。



 とはいえ、いずれ来ると想定されていた事態だ。

 長きに渡って対策を練っていた宮殿側の対応は、とても早かった。



 地下シェルター内には住居設備を整えてあり、ドラゴンに家を壊されてしまった人々は、家が建て直るまでそこに住むことになっている。

 また、ほとんど被害を受けていない孤児院も、緊急避難住居として解放するそうだ。

 作物がだめになってしまった田畑に関しては、地道に育て直していくしかないだろう。





「あ~あ。」





 バルコニーに設置されたベンチに腰かけ、キリハはなんとも間の抜けた声をあげて両腕を伸ばした。



「覚悟してたとはいえ、帰れなくなっちゃったなぁ……」



 経緯はどうあれ《焔乱舞》が手元に現れてしまった以上、ドラゴンの討伐が終わるまで、自分はこの宮殿を離れるわけにはいかなくなってしまった。



 《焔乱舞》のあの威力を間近で見てしまえば、なおさらに逃げるわけにはいくまい。

 一度ドラゴンと戦ったからこそ、この《焔乱舞》の力の偉大さが身にみて分かる。



 どうせ一年で帰れるからとメイやナスカに言ったのに、現実はこうも簡単に期待を裏切ってくれるものだ。



「そうね。」



 隣に座っていたサーシャが、こちらに同意して頷いた。



 横を見ると、彼女は風に吹かれて気持ちよさそうに目を閉じている。

 今まで見てきた中で、一番柔和で無理のない自然な姿だ。



「お疲れ様。」



 キリハは、サーシャにねぎらいの言葉をかけてやる。



「ターニャから、話は聞いた?」

「……うん。」



 訊ねると、サーシャはほんの少しだけ表情を曇らせてこくりと頷いた。

 ドラゴン討伐を終えた後、サーシャにはターニャから話があっただろう。



 何が起こったのかは未だに分からないが、《焔乱舞》は自分が手にすることができた。

 だからもう、サーシャが無理をしてまでここにとどまり、戦う必要はない。

 彼女が一声望めば、彼女が求めていた日常に帰ることができるのだ。



「ありがとう。私のためにキリハやカレンちゃんが交渉してくれたって、そう聞いたよ。」

「えっ……ああ、まあ……その……」



 キリハは気まずげに頬を掻いた。



 フールの奴め。

 心の中で毒づく。



 変に罪悪感を持たせるつもりなどないのだから、わざわざそういうことは言わなくてもいいのに。



「でも、私は帰らないよ。」

「……へ?」



 無理をしているのだろうか。

 すぐに思ったことはそれだ。



 サーシャは、なんだかんだと責任感が強い。

 彼女以外の皆はここに残ることを決めているわけだし、その中で一人だけ中央区へ戻るとは言えないのかもしれない。



「あの時も言ったじゃない。キリハとなら、私は戦いと向き合えるって。」



 サーシャは体をキリハに向け、キリハの手を自分の両手でそっと包んだ。



「もうちょっと、あなたの隣にいさせて。」



 微笑みかけられて、キリハは小首を傾げた。



 頼ってくれるなら全然それで構わないし、そもそも一緒に戦おうと言ったのは自分だ。

 彼女一人くらいなら守れる自信はある。



 だが、本当にいいのだろうか。

 無理をしてまで、怖い思いなんてしなくてもいいのに。



 そんなキリハの心の声が聞こえているのか、サーシャは恐怖など微塵も感じさせないように笑みを深める。

 そして、話題を変えるようにキリハの首元に手を伸ばした。



「それにしても、ばっさりと切っちゃったね。」

「え? ああ……」



 サーシャが何のことを言っているのかを察して、キリハも自分のうなじに手を当てた。

 そこに今まであったはずの後ろ髪は、綺麗に切り揃えられてなくなっている。



「まあ、見事に焼かれちゃったから。」



 《焔乱舞》が出現した時、なんだか頭が軽くなったような気がしていたのだが、事が終わってその違和感の正体に気づいた。



 頭が軽くなったのは単純に物理的なものだったようで、今まであったはずの後ろ髪がなくなっていたのである。

 おそらく《焔乱舞》が出現した際の炎で、髪が焼き切れてしまったのだろう。



「まだすかすかしてるのが落ち着かなくて、困ってるよ。」



 寂しくなってしまった首元をなでて苦笑するキリハ。



 ずっと、自分の心の一線を保っていてくれていた命綱がなくなってしまった。

 数日は突然空いてしまったその心の穴に、随分と戸惑ったものだ。

 ついくせで後ろ髪を探し、ただ空を掻く手に切なくなる。



 それでも今笑っていられるのは、こうして隣にいてくれるサーシャや、相変わらず明るく声をかけてくれるララやミゲルたち、そして優しい思い出をくれたレイミヤの人々のおかげだ。



〝きっと、もう大丈夫。〟



 宮殿に来る前に、両親に向かってそう言った。

 それに、ちゃんと知っているから。



 レイミヤの人々も宮殿の人々も、温かく笑ってくれる。

 悪意に満ちた視線は多いけど決してそれだけじゃないし、変えようと思えば変えられることだってある。



 その事実は、自分という人間を作り上げる地層になっているはずではないか。

 《焔乱舞》に髪を焼き切られたのも、もうそんな形のあるものにすがるなという意味なのかもしれない。



「それにしても、いい天気だなぁ。」



 キリハは暢気のんきに呟いた。



 これから、長い戦いが始まる。

 封印されているドラゴンの数は、詳しくは分からないらしい。

 何が起こるかなんて想像もつかないし、その戦いで自分がどう変わっていくのかも分からない。



 未来に待っているのは、不安ばっかりだ。



 それでも、今は小休止。



 抜けるような晴天の空を見上げ、キリハは表情をやわらげた。


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