足が向かった先

(どうしよう……)



 一方のサーシャは、一人で歩いていた。



 逃げてきてしまった。

 怖いのも、突然のことに驚いたのも皆同じだったはずなのに、自分だけあの場から逃げた。



『サーシャ!!』



 背中に受けたキリハの声が、ずっと頭の中で木霊こだましている。



 あの声は自分を責めるものではなく、心底自分を案じてくれているものだった。

 声を聞いた瞬間にそれは分かったのに、自分はあの優しい声からも逃げてきてしまった。



「ごめんなさい……」



 今頃心配しているであろう彼のことを思うと、胸が苦しかった。

 その苦しさを紛らわせるように、謝罪の言葉を口にする。



 宮殿に入ってから、ずっと孤独だと思っていた。



 宮殿の人々もルカやカレンも、立派に己の責務と向き合っていた。

 大きくて眩しい彼らの中では、小さな自分は押し潰されて消えてしまう。

 ずっとそう思っていて、一人でただ泣くことしかできなかった。



 でも、キリハの存在が少しだけ自分を変えてくれた。



 怖いなら一緒に戦おうと、手を差し伸べてくれたあの日に。

 自分はそれでいいのだと、笑ってくれたあの日に。



 彼は明らかに大きくて眩しい人なのに、気づけば影のように自分の寄り添ってくれていた。

 どんな弱音も泣き言も、当然のことだからと受け止めてくれた。



 だからだろうか……



 夕暮れ色の地面と自分の影を見つめていたサーシャは、ふと顔を上げる。

 古びた学校を思わせるその建物は、見ているとなんだか懐かしい気持ちが込み上げてくる。



 どうしてここに足が向いたのかは分からない。

 とにかく宮殿にいるのがつらくて、気づけばここへ向かう電車に乗っていた。



 もしかしたら、無意識に彼の面影を探したのかもしれない。

 彼という人間を作り上げた、この場所に。



 サーシャは門の前でしばらく建物を見つめ、深く息を吐いて肩を落とした。



「……帰ろう。」



 何を考えているのだと、理性が訴えてくる。



 自分は逃げてしまったのだ。

 それなのにこの期に及んでまで、彼に助けを求めようとでもいうのだろうか。

 これ以上、彼の重荷にはなりたくないのに。



「あら、あなた……」



 一生懸命気持ちを整えていたところに、その声は残酷なまでに甘く脳内に響いてきた。



「年寄りの勘も、たまには当たるのね。何かご用?」

「えっと……そのっ……その……」



 慌てて言い訳を探したが上手い言葉が思いつかず、サーシャは徐々に声を小さくしていく。

 そんなサーシャに、声をかけたメイは数秒目を丸くしていたが、彼女はサーシャの表情から何やらわけありだと察したらしい。

 メイは驚愕の表情を引っ込め、うつむいているサーシャにゆっくりと近づいた。



「何かあったんだね。」



 そっと肩に手を置かれ、穏やかな声で問いかけられる。

 顔を上げれば、ものすごく優しげで包容力に満ちたメイの笑顔が迎えてくれた。



 ……ああ。

 この人も、彼と同じように笑うのだ。



 無意識に求めていた面影を見つけてしまい、もう我慢ができなかった。



「私……私……」



 何か言おうと努力したが、せきを切ったように流れ始めた涙が邪魔をしてくる。

 結局サーシャは何も言えないまま、メイの胸の中に飛び込んで思い切り泣いた。


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