価値観を変えるのは……
「キリハさん、休憩時間にお茶でもどうですか?」
ララからそんな誘いを受け、キリハは彼女の休憩時間に休憩室へと顔を出すことにした。
廊下を歩くキリハの肩には、当然のようにフールが乗っている。
もう慣れたことなので、キリハもあえて何も言わなかった。
「お疲れー。」
休憩室のドアを開け、キリハは思わずその場で固まった。
室内でキリハを待っていたのはララだけではなかったのだ。
「よう、キー坊!」
先に来ていたらしいミゲルが、気さくに手を振ってくる。
「どうしたの? 突っ立ってないで座りなよ。」
ミゲルの隣に座るジョーに椅子を示され、そこでキリハはハッと我に返った。
「ごめんごめん。まさか、二人も来てるとは思わなくて。」
その言葉は、決して二人を拒絶する意味で放ったものではない。
普段は昼休み以外の休憩時間が全く被らないので、こうして彼らが休憩室にいることが純粋に意外だったのだ。
「私が無理に呼んだんですよ。」
ララがお茶目に舌を出して言う。
すると、ミゲルが大袈裟な仕草で溜め息をついて頭を振った。
「やれやれ。嬢ちゃんの呼び出しとあらば、逆らうわけにはいかねぇだろ? 無理に休憩をもぎ取るのに、苦労したんだぜ。」
「何言ってるんですか。キリハさんの様子を見に行くって言ったら、皆さん二つ返事で休憩を代わってくれたじゃないですか。私が脅したみたいな言い方しないでくださいよ。」
頬を膨らませて唇を尖らせるララ。
キリハは首を
「俺の?」
訊ねると、その場にいた全員が優しげな表情を浮かべた。
「そういうことです。さあ、座ってくださいよ!」
ララに背中を押され、キリハは戸惑いながらも勧められた椅子に座る。
ララがてきぱきとお茶の準備を進める中、その合間を埋めるようにジョーが口を開いた。
「みんな、君のことが心配なんだよ。怪我の方は大丈夫?」
「あ……うん。まだ包帯が取れるのには時間がかかるし、寝転がると痛むんだけどね。不満があるとすれば、動けないことかな。どうせ攻撃は全部かわせるんだし、手合せくらいはいくらでもできるんだけど、先生がだめだって言うから……」
「さすが。ディアの愛弟子は、言うことが違うな。否定できねえところが悔しいぜ。」
ミゲルは皮肉げに言い、次ににんまりと目を細めた。
「んじゃ、問題ありなのは内側か?」
「へ?」
キリハはきょとんと
内側とは、どういう意味だろうか。
ミゲルにそう聞き返そうとしたところで、ずいっと目の前に湯気を立てる紅茶が出された。
「もう。ミゲルさんは聞き方が回りくどいし、意地悪いんですよ。」
呆れた口調で口を挟んできたのはララだ。
お茶とお菓子の用意をし終えたらしい彼女はキリハの隣に座ると、キリハのことを気遣わしげな顔で見つめた。
「何かありましたか? 怪我した頃から、キリハさんずっと元気ないですよ。」
その指摘に驚いて周りを見回すと、ミゲルもジョーも真面目な顔で答えを待っているようだった。
肩の上のフールまでもが、同じような表情をしている。
皆が心配しているのは、単純に怪我のことだけではなかったようだ。
「俺、そんなに顔に出てた?」
自分の頬に手をやるキリハ。
返ってきたのは、肯定を表した全員の頷きである。
ルカにはああ言われ、こうして呼び出されている状況。
自分の落ち込みは、思っていた以上に周囲に影響を与えていたようだ。
これだから、慣れない悩み事などするものではない。
「なんか……ごめん。」
ここまで心配をかけるつもりはなかったのだが。
申し訳なく感じて謝ると、皆を代表してララが首を振った。
「いいんですよ。誰でも、悩むことはありますもの。もしよければ、話してみませんか? すっきりするかもしれませんよ。」
ララにそう微笑みかけられ、なんだか胸の奥がほっと温まる気分だった。
ララもミゲルもジョーも、そして他の人々も皆、こうして優しくしてくれる。
最初の方こそギスギスしていた空気が、今はこんなにも温かくて優しいものに変わった。
変えることは、できるはずなのに……
「難しいなぁ……」
急に気が抜けてしまい、キリハは机に突っ伏した。
こんな穏やかな雰囲気に触れていると、最近考えていたことの重さがずんと増してくるように思える。
「難しいって、何がです?」
当然の流れで投げかけられた質問。
「うーん…。竜使いと他の人の歩み寄り?」
ぽろっと零すと、途端に室内になんとも言えない沈黙が下りた。
しばらくの間が空いて。
「それはそれは……」
「随分と壮大なスケールの悩みだな。」
ララの呟きを、ミゲルが引き継いだ。
「まあ、俺が悩んだってしょうがないんだけどさ。もったいなくない? お互いに、見た目と先入観だけで壁を作っちゃうなんてさ。」
中央区に行くようになってから、何人かと顔なじみになった。
だが言葉を返してくれるようになった彼らは、こちらも竜使いだから少しだけ気を許しているだけで、全然安心はできていないという感じだった。
「ちょっとでも、何かできるといいんだけど……」
ぽつり、と。
思うところを述べる。
常に周囲を疑っていては、いつか心身ともに限界がきてしまう。
全部を受け入れて信じろとは言わない。
ただ、敵だけじゃなくて、味方になれる人だってちゃんといるのだということも知ってほしいと思う。
だけどそれは、簡単そうでとても難しいこと。
その難しさを表すように、その場の誰もが気まずそうに口を閉ざす。
「キリハ。」
重い沈黙を振り払うように、今までずっと黙っていたフールが口を開いた。
「人はさ、自分の持っている手札でしか勝負できないんだよ?」
言われたのは、そんな一言だった。
「持っている手札?」
横を見ると、フールは「そうそう。」と首を縦に振る。
「だって、どんな人間だって、自分の価値観の中でしか生きられないものでしょ? 価値観には、価値観をぶつけるしかないんじゃない?」
「価値観をぶつける…?」
それはつまり、あれこれ考えずに正面からぶつかれと?
本当に、そんな簡単なことでいいのだろうか?
眉を寄せるキリハに、フールは笑みを絶やさずに頷くだけだった。
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