誘拐未遂
目が留まったのは、向かいの道に建つビルとビルの隙間。
人々の雑踏の中に紛れて存在感をなくしているその暗がりに、数人の男の姿が見える。
彼らは明らかに挙動不審で、人々の目を気にしながらも何やら作業を急いでいるようだった。
なんだか、嫌な予感がする。
そんな直感だけでキリハは車道をきょろきょろと確認し、車の切れ目で一気にそこを駆け抜けた。
「おい、何してるんだ!!」
暗がりに飛び込み、キリハは厳しく問いかける。
キリハの声に驚いて、そこにいた三人の男たちが弾かれたように顔を上げた。
その内の一人の手には、大きな布袋が抱えられている。
もぞもぞと動く布袋。
中に詰められたものが何であるかを悟り、背中を嫌悪感が駆け上がっていった。
「てめえっ!」
男が怯んだ隙に布袋を奪い取り、彼らから距離を置いた所で固く結ばれた紐を剣で切る。
「―――っ!?」
中身をあらためたキリハは、戦慄を覚えた。
袋の中には、両手足を縛られて口をガムテープで塞がれている少年がいた。
大きく見開かれて涙に濡れた双眸が、鏡のように自分の姿を映している。
そして――― その左目は、綺麗な赤。
意識を白く染め上げてしまうほどの動揺は、致命的な油断となってしまった。
後頭部に重い衝撃が響き、巨大な熱の波が全身を襲う。
殴られたのだと理解した時には、第二撃が振り下ろされようとしていた。
「―――っ!!」
その余力で体がよろけそうになるが、剣を杖にしてなんとか踏みとどまる。
「おい、こいつも竜使いだぞ。」
気づいた男が、鉄パイプを握り直す男に指摘する。
「剣持ちの竜使いってことは、竜騎士じゃないっすか? こいつも連れていっちまいましょうよ。竜騎士なんてレアな奴、ゼッテー高く売れますって!」
別の男が興奮したように言うと、他の二人の目の色が変わった。
邪魔者を見る目から、極上の獲物を見つけた
「悪く思うなよ。」
じわじわと迫ってくる男たちに、キリハは歯噛みして剣の柄を握る。
退路を切り開くのは己の剣のみ。
でも、ここで人を斬るのか?
その自問がキリハを
「――― まったく、世も末だな。」
路地裏に第三者の声が響く。
いつの間にか、そこにはルカが立っていた。
ルカは男たちの視線を自分に集めると、手に持っていた携帯電話をゆっくりと回す。
携帯電話は、一定のリズムで光を放っている。
どうやら彼は、今の状況を録画していたらしい。
「―――っ!?」
顔を撮られたことに思い至った男がルカに飛びかかろうとするが、ルカは無表情のまま空いていた方の手をひらめかせた。
銀の軌跡を描き、一瞬で男の首筋にルカの短剣が突きつけられる。
「オレは、そこのお人好しほど甘くない。邪魔だと思えば、容赦なく斬るぞ。」
言葉の
男を見据えるその瞳には、底冷えするような光と凄みが宿っている。
これは脅しではないと悟ったのか、男たちが息を飲んで小さな悲鳴をあげる。
そのまま情けなく逃げ出した男たちを、ルカは
どうにか危機は脱したらしい。
ほっと肩を落としたキリハは大慌てで少年に向き直り、細い手足に食い込む縄を切って、ガムテープを剥いでやった。
「大丈夫?」
そっと訊ねると少年は何度も頷き、弾かれたようにこちらの胸に飛び込んてきた。
安心して気が緩んだのか、胸の中で大泣きする少年をしっかりと抱き締めてやり、キリハはその頭を優しくなでる。
「よしよし、怖かったね。もう大丈夫だから。」
「お前って奴は、本当に甘いな。あんな連中に
呆れ顔で近づいてきたルカが、言葉の途中で表情を一変させる。
「カ、カミル!?」
驚いた様子のルカがキリハたちの傍に膝をつき、少年の肩にそっと手を触れる。
名前を呼ばれて顔を上げた少年が、さらに表情を歪めた。
「ルカお兄ちゃん……」
カミルの目からは、未だ止まらない涙があふれ続けている。
ルカがぐっと奥歯を噛んだ。
「あいつら、本当に斬り捨てればよかった。」
ルカはしばらく人々が行き交う大通りを睨み、一つ息を吐き出すことで殺気を収めた。
「なんで中央区を出たんだ?」
カミルにそう訊ねたルカの声は、今までに聞いたことがないほどの穏やかさに満ちていた。
「今日……お姉ちゃんの誕生日、だから……ママにおつかい頼まれたの。でも、いつものスーパーは売り切れてて……」
カミルが指差す先には、ビニール袋から飛び出しているイチゴとチョコレートがある。
「そんなの……売り切れてたって、正直に言えばよかっただろう。」
「だって…っ。お姉ちゃん、楽しみにしてたから……」
「だからって、お前がこんな目に遭ったって知ったら―――」
「ルカ。」
言い募ろうとするルカを、キリハは静かに制した。
「言いたいことは分かるけど、理屈じゃ気持ちは割り切れないよ。特に、こんな小さい子じゃあ……」
キリハはカミルの頭をなでながら、優しく問いかける。
「お姉ちゃんに、喜んでほしかったんだもんね。」
「うん。」
「だから、ここまで一人で来たんだもんね。」
「うん。」
「怖かった?」
「うん、うん……すごく、怖かった。」
「そっか。よく頑張ったね。」
そう言ってやると、カミルはまた火が点いたように泣き始めた。
そんなカミルを抱いたまま、キリハは無言で立ち上がる。
途端に殴られた場所から
「送っていこうよ。ついでに、それも買い直そう。」
「……言われなくてもそうする。」
腰を上げて先を歩き出したルカの後ろに、キリハも無言で続いた。
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