訪ねてきたのは……

 宮殿とは、セレニア国の中心にある大きな施設の名前だ。

 神官と呼ばれる最高権力者を筆頭に国中のエリートが集まり、この国の全てを統括している政治の中枢。



 つまり自分からすると、雲の上のさらに上の存在なわけで……



「なんでそんな人が俺に!?」

「私に分かるわけないじゃない!! だからてっきり、キリハがとうとう何かやっちゃったのかと思って……」



「ナスカ先生、俺をそんな目で見てたの!?」

「普段素行のいい子ほど、びっくり仰天なことをやらかすもんなのよ!!」



 廊下を走りながら、キリハとナスカは混乱する頭をごまかすように言い合う。



 来客は食堂にいるらしい。

 いつもならすぐだと思える食堂への道のりが、もどかしいほどに長く感じる。



『できるだけ早く説明要員を派遣するね。』



 まさか。

 嘘だ。



 唯一の心当たりと、それを否定したい気持ちが目まぐるしく脳内で暴れまくっている。

 頼むから、誰か性質たちの悪い冗談だと笑ってくれないだろうか。



 近づいてくるドアと喧噪。

 それらを叩き割る勢いで、キリハはドアを開いた。



 食堂内は大パニックだった。

 孤児院中の子供たちが巨大な垣根となって、来訪者たちを押し返そうとしていたのだ。



「帰れ! 帰れよ!!」

「キリハ兄ちゃんは、なんもしてないぞ!」

「お前らなんかに渡すもんか!」



 一体化した子供たちは職員たちでも止められず、完全に暴走状態になっていた。

 相手の方はというと、三人ほどの兵士たちが宮殿のシンボルマークがあしらわれた盾をバリケードにして、困った様子で子供たちを見下ろしている。



「みんな、ストーップ!!」



 キリハは大慌てで子供たちの中を掻き分けて進んだ。

 そして、最前列でおもちゃの剣を振り回している子供の一人を抱き上げる。



「はなせよーっ!」

「落ち着いて! お客さんになんてことするの!?」



「だってこいつら、キリハ兄ちゃんをつれていくって言うから!」

「何かの間違いだって。俺が話を聞くから。ね? あの、キリハは俺です…けど……」



 暴れる子供を押さえつけて前を向き、キリハは言葉を失う。

 盾を構えていた兵士たちが、皆一様に目を見開いてこちらを凝視していたからだ。



「あらあら。」



 ふいに彼らの後ろから、涼やかな声が聞こえてくる。

 その声を聞いて、後ろの兵士たちがハッとして道を開けた。



「………っ」



 子供たちを含め、キリハたちは兵士たちの間に立つ新たな登場人物に目を奪われた。



 綺麗な女性だ。

 肩辺りで切り揃えられたくせの一つもない髪は白銀色で、切れ長な目は碧色と赤色のオッドアイ。

 真ん中で分けられた前髪の後ろから覗く額には、花のような模様が描かれている。

 肩が大きく開いた裾の長い青色のドレスは、女性の細い体の線をくっきりと強調していた。



 彼女は姿勢を正して、凛と澄ました表情でそこに立っている。

 聡明そうで、どこかおごかな雰囲気を醸し出している女性だった。



「ターニャ様、どうぞ。」



 兵士の一人が女性を促す。

 キリハや職員たちは、その名を聞いて我が目を疑った。



 ターニャ・アエリアル



 この国にいて、その名を知らぬ者はいない。



 セレニア国初代の竜使いであるユアン直系の子孫。

 そしてこの国で唯一、神官の称号を名乗る人物。



 この国の最高責任者だ。



「フールに言われて来てみたけれど……本当に、こんな所に竜使いがいたのですね。」



 キリハの姿を品定めするように眺め、ターニャはそんな一言を述べた。



「フ、フールって……」



 戸惑いながらも、キリハは自分の予感が的中していたことを知る。



 確かにあいつは何かの説明要員を寄越すと言っていたし、何度かターニャという名前も口にしていた。

 だがまさかそれが本当に神官のことだなんて思わないし、あんなふざけたぬいぐるみの一言で、こんな偉い人が来るなんて思うわけないじゃないか。



 そう思いはしても、そんなことを目の前にいるお方に言えるわけもない。



「こちらの責任者の方は?」



 ターニャに問われ、キリハは答えられず視線を泳がせる。

 すると、後ろの方で椅子が引かれる音がした。



「私です。」



 聞こえるはずのない声に、キリハは慌てて食堂内を見回した。

 視線を巡らせた先には、食堂の隅で険しい表情をして立つ老婆の姿がある。



 彼女はこの孤児院の院長であるメイだ。

 いないと思っていたのに、いつからか彼女はこの騒ぎの様子を見ていたらしい。



 キリハは目の前にターニャがいることも忘れて、メイの元へと駆け出した。

 メイの傍まで辿り着くと、痩せた彼女の体をそっと支える。



「ばあちゃん、起きちゃだめじゃん。熱もまだ下がってないのに。」



 心配そうにメイの顔を覗き込むキリハに、メイは眼鏡の奥にいつもどおりの優しい光を宿して笑いかけた。



「大事な息子の一大事に、のんびり寝ちゃいられないよ。」



 メイは一層笑みを深め、次にまた険しい顔でターニャの方に目を向ける。



「院長のメイと申します。本日はこのような辺鄙へんぴな場所まで、どんなご用件でしょう?」

「そこのキリハさんにお話があります。ですがここでは観衆も多く、いらぬ混乱を招くだけでしょう。どこか静かにお話しできる場所を提供していただきたいのと、責任者であるあなたには同席していただきたいのですが。」



「無理だって! ばあちゃんは―――」

「分かりました。こちらへ。」



 抗議しようとした矢先、その言葉は他でもないメイに遮られてしまう。



 杖をついて歩き出したメイは、珍しく頑なだ。

 一人で離れていってしまう彼女の背中が、異論は受けつけないと語っている。



 メイに何も言うことができなくなったキリハは、ターニャに促されるまま、メイの後ろについていくしかなかった。


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