ぴつたりとくつついてゐた信仰――魍魎の匣を読んで

鶴川始

ぴつたりとくつついてゐた憑物

 魍魎の匣という小説は所謂いわゆるミステリであり、他人にこの本を薦めるにあたっては当然最後まで読み、そのすべてを味わってもらいたい。しかし、私がこの本によって私の憑物が落とされた瞬間というのはこの小説を読み終えた時ではなく、三分の一ほどを読み終えたあたりであった。


 小学生のときに弟が死んだ。病死である。生まれつきの心臓病で、秋に生まれた彼はその年を越すことなく夭逝した。生家は今日こんにちでは限界集落と呼ばれるような田舎で、老人であれば誰も彼もが信仰に篤いような地域であった。

 弟が生まれて一月過ぎた頃、一家全員で遠方の神社へとお参りしたことがある。遠い記憶のことなので詳細は覚えていないが、そういうことをしたのは確かだ。そこには有名な霊能者が居て、なにかにつけ難事が起こると特に地域の老人たちはその霊能者にまず相談するという風潮があった。


嬰児あかごが病に苦しむのは、既に居る子供を可愛がりすぎるからだ」


 霊能者からそう云われたのだという。その言葉を直接聞いたわけではない。祖母がそのように私に教えた。だからこれから弟の病気が治るまではものを買い与えたり甘やかしはしない、と云われた。

 やがて弟は死んだ。

 遺体が戻ってきたその日、家族全員で弟の遺体とともに座敷で一夜を明かした。布団の中で祖母の言葉が脳内で反芻された。

 弟が病に苦しむのは、家族が私を可愛がりすぎるからだ。それはまるで私が弟を死に追いやったように聞こえ、罪悪感を抱かせた。その罪悪感は長じるにつれて薄れたが、代わりに宗教や霊能への嫌悪感へと変わった。老人達が神様仏様を有り難がる理由がわからず、それは私が弟を死なせたと責めているように見えた。


 小説の主人公・京極堂は私のそういった宗教や霊能への認識を解体した。それらが本来どのようなものであるべきか、どう捉えるべきものなのかと。

 私は漸く、赦されたような気持ちになれた。


 それが私の憑物が落ちた瞬間だった。

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ぴつたりとくつついてゐた信仰――魍魎の匣を読んで 鶴川始 @crane_river

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