第18話 あの子が水着に着替えたら えくすとらすてーじ! その4
とん、とん、とん
リズミカルな足音に続いてドアが開いた。
「あや――」
頭を上げて入り口に顔を向けた
部屋に入ってきたのは、もちろん
わかっていても、言葉を失った。
――うわ……
首筋が見える程度に切り揃えられた艶めく黒髪は、わずかに空気を孕んで膨らみを帯び。
煌めく大粒の黒い瞳。すーっと通った鼻梁。桃色に濡れた唇。きれいに整えられた眉。
かつては眼鏡で隠されていた美貌は、余すところなく白日の下にさらされて。
うっすらと朱が散った頬と緩やかに弧を描く口元が、最高に可愛らしい。
頭部から首筋を経て視線を下げると、とんでもない光景が続いている。
綾乃の肌はどこまでも透き通った白ながら、血色はよくて生気が溢れていた。
鎖骨のあたりからなだらかな曲線によって豊かに盛り上がった柔らかな胸の双丘は、ストラップレスのチューブトップブラによって危ういバランスで支えられているものの、その守りは最小限で上も下も膨らみのほとんどが丸見えで。
大ボリュームな胸元に反して滑らかな腹部から鼠径部にかけて描かれた曲線には、贅肉はひとかけらも見当たらない。
腰回りはビキニスタイルのボトムスに覆われて、そのままスラリと伸びた脚に続く。
「大樹?」
「あ……ああ」
小首を傾げながらの綾乃の声で、ようやく正気に戻った。
あまりの美貌、あまりの色気に意識を持っていかれてしまっていた。
ドアを閉めた綾乃がととと……っと歩みを進め、大樹の横に腰を下ろす。
耐えきれなくなった大樹は入れ替わりに立ち上がり、綾乃と正面から向かい合った。
――これは現実なのか?
高校受験を共に戦い抜き、紆余曲折を経て恋人となった『
未来のクイーンとも謳われる現役JKグラビアアイドル『黛 あやの』
両者はともに同一人物であり、今この瞬間に大樹のベッドに腰を下ろしている。
大樹が選んだ、ほとんど裸同然の水着を身にまとって。
ほっそりした両腕で上体を支え、まっすぐに見つめてくる。
あまりにも見事過ぎる己の肢体を隠す心づもりは、まったくないらしい。
「大樹、私……準備できたから」
準備?
何の?
撮影だ。
衝撃的な姿を前に言葉を失ったどころか、意識が飛びそうになった。
辛うじて目的を思い出し、手の中のカメラを強く握りしめた。
見ているだけで本能が暴走しそうなのに、目が離せない。
カラカラの口から干からびた喉に唾を飲みくだした。
「お、おう、じゃあ……撮るぞ」
「うん」
促されるままにカメラを構える。
ファインダー越しに見る綾乃の姿は、より一層に蠱惑的で。
写真を撮らなければならないのに……シャッターに指をかけたまま身体が動かない。
大樹の脳裏に撮影会の記憶が甦った。
他の参加者たちが綾乃に群がる光景。
無意識のうちに撮影を拒否した自分。
今は違う。
この部屋には自分と綾乃のふたりしかいないのに、身体が言うことを聞かない。
さっきまで隣に座っていた綾乃は、メイクを直すと言って部屋を出た。
戻ってくるまでにさほどの時間は経過していないので、部屋を出る前とあまり変わっていないはずなのに……全身から発するエロスと存在感が半端ない。
情けない話ではあるが、完全に気圧されていた。
昼間の撮影会の比ではなかった。
綾乃は――何も言わない。
ただじっと大樹を見つめたまま、決意が定まる瞬間を待っている。
静かな時が流れた。
うるさい。
雑音がうるさい。
身体の内を駆け巡る血液の流れる音。
乱雑に跳ねて響く心臓の鼓動。
乱れに乱れた呼吸の音。
こめかみから汗が流れ落ちる音すら、うるさい。
――動け、動けよ!
心の中で何度唱えても、指が動かない。
ほんの少し力を籠めるだけなのに、シャッターを押し込めない。
綾乃が好きだ。綾乃と道を違えるなんて嫌だ。
綾乃は好きな道を往けばいい。自分はどれだけ傷ついても構わない。
豪語したのだ。胸を張ったのだ。その気持ちに嘘はないのだ。
なのに――
「大樹」
「綾乃……俺は……」
「笑って、大樹。肩の力、抜いて」
「綾乃……」
「大丈夫だよ。私……その、恥ずかしいけど、ずっと待ってるから」
薄く頬を染めて、それでも綾乃は大樹を急かそうとはしない。
小さく身じろぎするだけで、身体を隠そうとはしない。
「恥ずかしいのか?」
「うん。いつも恥ずかしいけど、今日が一番恥ずかしい。大樹に見られてるって思うとドキドキする」
心なしか綾乃の頬が赤みを増した。
恥ずかしいと口にしながらも、瞳は大樹を誘っている。
目に見えない滑らかな手が、焦りを覚える大樹の首筋を優しく撫でた。
「なぁ、何でそんなに俺を信じてくれるんだ?」
「何でも何も、大樹だから信じるんだけど」
情けない声で漏らした問いを即答された。
思い込みではない圧倒的なまでの信頼があった。
自分に向けられる綾乃の心を、改めて思い知った。
カメラを下ろし、目蓋を下ろして深呼吸。一回、二回。
目蓋を開けると、穏やかな笑みを浮かべる綾乃と目が合った。
きれいな笑顔だった。
大樹を思って涙した顔もきれいだったが、この笑顔の方がきれいだった。
笑顔に見惚れていたら、いつしか狭まっていた視界がきれいに晴れた。
身体から熱気は消えてくれないし、相変わらず心は落ち着かない。
でも――今なら撮れると思った。
「よし」
再びカメラを構え、綾乃を捉えた。
そして――
カシャ
驚くほど簡単に指が降りた。
あっさりと響く機械音。
実感はなかった。
「撮れた?」
「大樹……やったね」
綾乃の笑顔が一層に華やいだ。
やっと実感が追い付いてくる。
ひとつ壁を乗り越えた喜びが、胸の奥から溢れ出す。
「綾乃、もう一枚いいか?」
「いいよ。好きなだけ撮って。言ってくれたらどんな格好でもするから」
「お、おう……でも、どんな格好でもとか言うな」
「こんなこと言うの、大樹だけだから」
カシャ
カシャ
カシャ
指が止まらない。
本能の赴くままにシャッターを押した。
飢えた獣が獲物を貪る姿に似た原始的な欲求があった。
永らく思い描いていた綾乃への欲情が声となって形となって、そして綾乃はすべてに応えてくれた。
一部始終を、ひたすらに捉え続けた。
撮り続けた。
「なぁ」
「ん~?」
鼻にかかった声。
気持ちよさそうに細められた眼差し。
「その水着、どうして撮影会で着なかったんだ?」
「それはぁ……う~ん、そんなこと今はどうでもいいじゃない」
「いや、気になる。わざわざ俺に選ばせておいて着ないなんて、結構ショックだったんだが」
本音だった。
裏切られたとまでは思わなかったが、衝撃はあった。
喜んでいたのか、悲しんでいたのか。憤っていたのか。
あの時の大樹の心は複雑怪奇の様相を呈していたが、とにかく衝撃はあった。
「……だって、見せたくなかったし」
「は? 見せたくないって……」
「大樹以外の人に、だけど」
「それ、何のために買ったんだよ」
「だって……大樹が選んでくれた水着を、大樹の前で着て、大樹以外の人に写真撮られるって想像したら物凄く恥ずかしすぎて……それで、麻里さんに別の水着を買ってきてもらったの」
「俺とふたりきりの時に着る分には構わないってことか」
「だから今着てるでしょ、ばか。察しなさい」
せめて最初はふたりきりがよかった。
綾乃が頬を赤らめながら付け加えると、大樹の中で熱が爆発した。
シャッターを切る指が加速し、ファインダー越しに綾乃を見つめる瞳が血走った。
――そんなこと言われたら、我慢できなくなるんだが!
呼吸が荒い。
心臓がうるさい。
全身を流れる血潮が熱い。
いつしかふたりの距離はゼロに近づいていた。
綾乃はベッドに寝そべって、しどけない姿を晒している。
大樹から滴り落ちた汗が綾乃の肌に零れ、色づいた柔らかな曲線に沿って流れ落ちる。
一滴、また一滴と。
綾乃は蕩けた笑顔で大樹の汗を受け止めた。
「んっ」
「綾乃……綾乃、俺ッ」
「大樹、もっと、もっと。私、私……」
綾乃の瞳も、さらに煌めきを増した。
綾乃の肌が色を増し、わずかに汗ばんでいた。
小さな舌がちろりと覗いて、桃色の唇を濡らした。
僅かに開いた口の端から、火が付きそうな熱い吐息が零れた。
「はぁ……はぁ……熱いよ、大樹」
「綾乃?」
「身体が、熱いの。私……我慢できないよ」
「冷房入れた方がいいか?」
「ばか、もっと撮って。私を撮って」
熱いのがいい。
激しいのがいい。
メチャクチャにして。
シャッター音が綾乃を興奮させている。
自分の手で綾乃を興奮させている。
思い至った事実が大樹をエスカレートさせる。
桃色に霞む頭で指示に従って様々な姿を見せる綾乃、そのすべてをカメラに収めた。
柔らかく弾む胸、張りのある尻。
滑らかに伸びる肢体、そして脚。
ベッドの上で、大樹の下で、身をよじらせて、くねらせて。
苦しげな……否、悩ましげな表情が、いよいよ艶を帯びて。
「大樹、もっと近くに来て」
「写真が、撮れなくなるだろ」
「もう……焦らさないで。接写にすればいいでしょ」
「あ、ああ。あれか。そんな機能あったな」
カメラを買った際に一応マニュアルに目を通しておいた。
近接した被写体を撮影するためのモードも知悉していた。
ほんのわずかな逡巡を経て、大樹はさらに身を寄せた。
肌はとっくに触れ合っている。
綾乃を感じる。体温を、吐息を、その存在を。
綾乃もまた、大樹に応えた。これまでに学び得たすべてを尽くして。
カシャ
カシャ
カシャ
ギシ……ギシ……
「はぁ……はぁ……」
「あぅ……んう」
シャッター音に合わせてベッドが軋んだ。
ひとり用のベッドがふたりを支えている。
いつしか大樹は綾乃に乗りかかっていた。
お互いに言葉はなく、拒絶の意思もなく。
ひたすらに写真を撮り、写真を撮られた。
カシャ
カシャ
カシャ
ギシ……ギシ……
カシャ
カシャ
カシャ
「熱いよ、大樹。私……頭がおかしくなりそう」
ギシ……ギシ……
音が、リズムが加速する。
そして――綾乃の手が伸ばされた。
白い腕が大樹の首に巻き付いて、ふたりの距離は完全にゼロになった。
「ん……」
「むぅ」
唇が重なり合った。
甘く、柔らかく、瑞々しい感触が大樹の脳を灼いた。
永遠にも一瞬にも感じられたキスが終わり、綾乃の唇が離れた。
濡れた吐息が、大樹の耳を掠めた。
「届いた♡」
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