ラブホ・2




 週初め早々の気怠い残業タイム。それでもぼちぼち終わりの目処が付き、ぐう、と椅子に座ったまま中条は背を伸ばした。と、その目の前の机にドンと紙袋が置かれる。


「中条先輩にお土産です」


 若干自慢気に立つのは可愛い後輩で、それにより中条は察するしかない。これはきっと、間違いなく、これから面倒な展開になると。





「あー……りがとう?」


 ひとまず礼を言い、袋の中身を確認する。


「――食パン?」

「パン業界のカリスマの食パンです」


 パン業界、とはなんぞや。そんな突っ込みを入れそうになるが、それを飲み込み中条は晴香に笑みを向ける。


「日吉ちゃんありがとう。なんかよく分からないけど凄そうなパンだねこれ」

「そうですよなんてったってカリスマですよカリスマ。実際すっごく美味しい食パンなんです。冷凍して保存してても、焼いたらパリッとふわっとしてるのでぜひ!」

「おおー……それは楽しみ。明日の朝から早速いただくよ」


 美味しい物をわざわざお土産としてくれるのは素直に嬉しいしありがたい。


「それにしてもそんなすごい食パン、買うのも大変だったんじゃないの?」

「普通に買おうとしたら朝から整理券ゲットして、そこからお店に並んで、それでも買えるかどうかみたいです」

「え、日吉ちゃんわざわざ並んだの?」


 いいえ、と晴香は首を横に振る。


「土曜に先輩とラブホ女子会した時に貰ったやつなので」


 はいきたー、と中条は軽く背を仰け反らせた。暴投、そしてワードの圧が酷すぎる。どこから突っ込めばいいのか、と言うか突っ込む所しかない。


「ええと……誰と、どこで、なに?」

「先輩と、ラブホで、女子会」


 素直な後輩は素直に答えるが、結果としては中条の手に余る。おれには無理、と即座に突っ込みを放棄し中条は責任者を呼んだ。


「葛城ーっ!! さっさと戻ってこい! 助けろ!」


 責任者、もとい、飼育員、もとい晴香の直属の上司で先輩で彼氏である葛城は休憩スペースで一休のため離席中。しかし丁度のタイミングで戻ってきた。入り口でギョっとした顔で立ち尽くすが、中条の机に置かれた紙袋を見て即座に現状を理解したのか真顔になる。


「……美味かったぞ、それ」


 自販機で買ってきた缶コーヒーとペットボトルの紅茶をそれぞれ中条と晴香に手渡しつつ、葛城は自席に腰を下ろす。


「お前終わりそうなのか?」

「あ、わたしの分は終わりました」


 晴香の返事に葛城は頷くと、そのまま中条に視線を移す。


「おれも終わっ……てないけどもう終わる……終わりにする……」


 この一瞬で中条のやる気というかなんというか、全てが一気に吹き飛んだ。とてもじゃないが仕事をする気になどなれない。


「先輩は終わりそうです?」

「俺は終わってから一息入れに行ったからな」

「じゃあ今日はこれで?」

「終わりだ終わり。休み明けからフル残業なんかしてられるか。俺と中条はすぐだから、お前帰り支度してこい」


 で、飯行くぞ、と葛城は晴香をシッシと追い払う。扱いが雑、と文句を言いつつもいつもの事なので晴香は気にしない。貰った紅茶のペットボトルを手元でコロコロと転がしながらご機嫌に更衣室へ向かった。


「……おまえ……なにやってんの」


 晴香の姿が完全に消えた所で中条は絞り出す様に突っ込んだ。葛城は「あー……」と気の抜けた声をしばし漏らしながら背もたれに身を預ける。


「日吉と、ラブホで、女子会」

「だからぁっ!」


 二人が付き合っているのを知っているのは中条(と今週も社長の出張に付いていっている五月)くらいだが、そこを差っ引いても成人した男女がラブホで以下省略、など浮かぶ答えは一つしかない、はずなのに。


「おまえいつから女子になった」

「土曜限定で」

「そうかー……っておい」

「宿泊プランでもサービスで付いてきたんだよ」

「食パンが?」

「パン業界のカリスマ、の食パンな」


 ピコン、と中条の携帯から電子音が響く。見れば葛城からメッセージが届いており、そこに記載されたリンクを開くと件のラブホのホームページが開く。なるほどこれか、と中身に目を通した所で中条はハタと気付いた。


「……宿泊プランでも、ってことは、泊まった、んだよ、な?」


 葛城は頬杖を付いたままぼんやりと窓の方を見ている。ずいぶんと遠い目してるじゃないか、と思うがそれと同時に察してしまう。葛城のこの態度だけでも充分すぎるが、晴香が元気に「ラブホで女子会してきた」と口にしたということは。


「……健全に一泊してきただけ……?」

「大画面でAV観たのも健全、ってことなら健全だったな」

「おまえなにしてんの!?」

「なんだっけ……あいつがホラ、前騒いでた女優の出てたのが配信されてたんだよ……」

「えええ……枕営業と言えば、とか言ってた人?」


 そう、と葛城は窓を見たまま頷く。最近はあまり出演が減っていた伝説の女優の、若かりし頃の一本が配信リストに載っていた。それを見つけた時の晴香の謎のテンションたるや。


「それを一緒に観たのか!?」

「風呂から出たら画面に釘付けだったんだよ」

「だからって!」


 晴香にそのつもりがあろうがなかろうが、少なくとも葛城にはそのつもりはあった。が、しかし。とてもじゃないがそういう雰囲気ではなかった。


「中坊みたいなノリで観ててなあ……」


 羞恥に耐えかねてあえてそういうノリでいた、のであればそこを突破口にもできたけれど、それすらも無くひたすら二人でAV鑑賞。


「そのまま続けて三本くらい観ながら、あの体位が取れる女優の身体能力すげえなとかそんな話で盛り上がって」

「なにやってんだよ!」

「騒ぐだけ騒いで気付いたらそのまま寝落ちられた」

「おまえ……ほんとに……」

「なにやってんだろうな?」

「おれの台詞!!」

「まあそんな俺の金で追加で買ってきた土産だ。ありがたく喰え」

「詳細知らなかったら喜んで食べれたやつなのに!」

「食パンに罪はない」

「うるせえよ!」


 本来突っ込むべき相手が突っ込みを放棄すればもうどうしようもできない。おれに回ってきたら倍突っ込まなきゃじゃないか! とグッタリとなる中条、そしてひたすら虚無っている葛城の元へ、帰り支度を済ませた元凶が元気に戻ってきた。


「お待たせしました!」


 おー、と軽すぎる返しをしながらノロノロと立ち上がる先輩二人。週明け残業だから揃ってお疲れなんだなあと、大間違いではないけれども一割程度しか当たらない考えを晴香は浮かべる。



 とりあえず明日は二人が少しでも楽になるように頑張ろうと力強く思った。



 

 

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