雨の日
昼過ぎから降り出した雨は夕方を過ぎても衰える事はなく、今もザアザアと降り続けている。先輩濡れずに帰って来ますかねえ、と言う後輩の呟きに中条は上手い事地下鉄で来るでしょ、と軽く返す。
定時を少しばかり超えた時間。ついそんな雑談混じりで仕事をしていれば、その後輩が外に目をやったままぼんやりとしている。
「日吉ちゃん? どうした?」
呼ばれて晴香が中条を見る。あ、これ面倒ってかデッドボール飛んでくるやつと中条は身構えた。
「雨に濡れて先輩が増えるとするじゃないですか」
「――うん?」
子供が突然静かになった時はたいていロクでもない事が起きる、と幼子を持つ先輩達から聞いていたのでデッドボールの予測はできた。しかし、だからといってその中身までは無理である。吹き出さなかっただけ偉いでしょ、と中条は自分を褒めつつ晴香に向けて乾いた笑いを向けるしかない。
「先輩が雨に濡れて増えるとしてですよ」
あ、その話続けるんだ、ってかその前提ってまずもってなに!? と突っ込みたい気持ちは山々なれど、とりあえず人の話は最後まで聞かねばと中条は続きを待つ。それにより自分の腹筋と精神に多大なるダメージがあるのはもう諦めた。
「一人は先輩の実家にあげて、もう一人は会社に。あと先輩の友達グループに一人わたすとして……中条先輩と五月先輩がどうしてもって言う時は一人ずつあげますね」
なるほど分からんけどもどうやらこの目の前の後輩にとって、自分と五月は特別に分け与えてもいいくらいの存在であるのは分かった。それだけ信頼と親愛を向けられているのだと言うのは純粋に嬉しいが、その与えてくれようとしている物はいらない。とてもいらない。例え話であったとしても全力でお断りしたい一件だ。
「うん、おれも五月も気持ちだけで充分かなー」
「これで五人分で……残りはわたしの総取りだなってなんかそんな感じのことを考えてました」
ふへへ、と笑う後輩はひいき目抜きにしても可愛いと思うけれども、その話の中身がやはり中条には理解できない。
増えた葛城を五人分配布したとして、その残りは総取りってことはこれ増えたのダース単位だよな……半ダースとかじゃなくて最低でも一ダースだよなこれ……
脳内に十二人に増えた同僚の姿を思い浮かべ、なんとも言えない顔になる。例えそれがミニサイズであったとしても、一人たりともいらない。欲しくない。しかし晴香は残りは全部自分のだと言って嬉しそうにしているのだから、なるほどこれが惚れた欲目ってか日吉ちゃんもたいがい葛城のことアレだよね、とついからかいたくなってしまう。
いまだに職場では隠しているし、残業で人が少ないとは言えこのフロアにいるのは自分達だけではないので、中条は手元の珈琲と共にその言葉を飲み込んだ。
「……まあ、うん、似た者同士って感じでいいと思うよ……」
「ん? なんですか?」
中条の独り言に晴香が不思議そうにしているが、なんでもないよと軽く返しつつ中条は数日前の記憶を遡った。
「日吉がもう一人欲しい」
「――あ゛?」
居酒屋入ってだいぶ時間が経つとはいえ、目の前の同僚も自分と同じく酒に強いからしてこの程度の酒量で酔うはずはなかった。ああでもここ最近残業続きだったりこいつだけ短期で出張だったりで忙しかったしな? と中条はグラスに口をつけたまま葛城を静かに眺める。
「俺の飼育レベルもだいぶあがったと思うんだ」
「あ゛ー……うん?」
「だからそろそろ日吉がもう一人増えても上手に飼育できるはず」
「なにがだよ……つか仮にも彼女相手に飼育とか言うな! 捕まるぞ!」
「俺以上にあいつの世話を上手くできる奴なんかいないからな!」
「いてたまるか!」
酔っ払いに突っ込んだところで無駄でしかないが、つい叫ばずにはいられない。その後も珍しく酔った葛城の話は続き、どうやらこの増えて欲しいのは過去の晴香でも未来の晴香でもなく、現状の晴香であると知り、中条はどこからどう突っ込んだらいいのか分からず遠い目をするしかない。
「あいつちっとも俺に興味もちやしねえんだもんなあ……」
付き合い始めてそれなりの時間が経つが、いまだにその意識が薄い年下の彼女に振り回されている同僚。その姿が哀れやら滑稽やらではあるけれども、本当に普段よく知る相手のこういう姿はなんとも微妙な気持ちになるからあまり見せないで欲しい。しかしそう突き放すには気の毒であるし、ぼやきたくなるのも分からないではないので、中条はむず痒い気持ちに耐えつつひたすら酔っ払いの話を聞き続けた。
「日吉ちゃんさあ……今の話を葛城にしてやったらいいと思うよ」
「え? 何の話ですか?」
「だから今の、葛城倍増計画」
「え……ええー……」
晴香の目が若干泳ぐ。改めて先程の話を振られると恥ずかしいらしい。
「喜ぶと思うよー」
「ええええ絶対コイツまた馬鹿な話してんな、ってブリザード向けられる未来しか見えませんけど」
「まあ……確かに」
葛城は酒に酔っても記憶を無くすまでではない。あの時の会話の中身も覚えているだろうから、晴香に言われて喜びはするだろうが、それを素直に表に出すかはまた別の話だ。
「でもまあ言ってあげてみてよ、二人の時にでも」
今日は二人で帰るんでしょ? と目を向ければ晴香はピャッ、と体を震わせる。その後、誤魔化す様にパソコンに向かいだしたので、中条も再び仕事に取りかかった。
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