第15話 5
わりと本気で掴まれたこめかみは痛かった。しかしこれは自業自得と晴香も文句が言えない。
「無理矢理する気はさらさらないが、我慢の限界ってのはあるんだよ。あんまり焦らすとあとがだいぶ覚悟いるけど大丈夫か?」
口の端を上げて笑う葛城の凄みたるや。はは、と晴香の口からは乾いた笑いがこぼれ落ちる。
「じ……焦らしているわけではないのですけども……」
そもそもそんな高等な真似ができるわけがない。こちらは処女だしそれ以前に恋愛ごとに慣れなさすぎだ。
「恥ずかしい?」
「それもありますけど……」
勿論恥ずかしいし照れるしかないし、葛城に対して恋心などと言う甘ったるい感情を自覚したのも昨夜なわけで。つまりは早い話が「気持ちが追いつかない」という状態だ。それを素直に伝えると葛城もしばし考える。
「告白してすぐにこういう展開ってのについていけないと」
「ぶっちゃけるとそうなりますね」
我ながら面倒くさい、のではないかと思う。そこで晴香の脳裏に閃くものがあった。そうか、と葛城を見れば途端に顔を顰められる。何故にと思いつつも晴香は元気に言い放った。
「これが処女は面倒くさいってやつですか!」
「うるせえ」
ベシリと額を叩かれる。
「どっちかって言えばお前が面倒くさいってだけだろうし、俺は別に面倒だとは思ってねえよ」
「優しいのか暴力的なのかどっちなのか先輩がわかりません!」
「これ以上はないくらい優しくしてんじゃねえか」
「頭掴まれるしおでこ叩かれるしなんですけど」
「昨日の時点で突っ込んでないだけでも優しさの極みだぞ」
「先輩もっと言葉を! 選んで!!」
あまりにも露骨な言い回しにこれまた羞恥が募る。
「そりゃ大人同士ですからね、お付き合いってなるとまあそういうコトもするってのはわかってますよ? わかってますけど」
「大人ねえ……」
「ものすごく言いたげな眼差しですねその裏の意味はわかりますよ子供って言いたいんでしょおおおお! その子供相手に欲情してるの誰だと」
「俺」
「だから! 答えが! 早い!!」
「どうしたらお前の気持ちが追いつく? つか、落ち着く? のが正解なのかこの場合」
ん? と葛城は晴香の様子を伺う。こちらに合わせてくれようとしているらしい。その気遣いが嬉しい反面、ではどうしたらいいのかと具体的な答えは出てこない。
「え……と」
「お前がやりたいこととかさ」
なんかねえの? と問われればポンと浮かぶ一つの単語。
「あ、デート! やはりお付き合いと言ったらまずはデートでは?」
仕事で平日は元より下手をすれば休日だって一緒に行動していたけれども、完全なるプライベートを共に過ごした事はない。
「先輩の私服って見たことない気がします」
「さすがにそんなこと……あるか……あるな……俺もお前の私服見たことねえや」
「でしょう! なのでここはお互いを良く知るためにもですよ」
「良く知るったってお前の私服以外だと大抵把握してるけど。性格とか。性格とか。」
「一度で充分です、ってなにを言ってるんですか仕事中のわたしとプライベートのわたしが同じだとでも」
「同じだろ」
「人の話は最後まで聞いてください」
「性格使い分けるとか、お前がそんな器用な真似できるわけ」
ハハ、と失笑までされては次の言葉が出てこない。悔しいかなその通りである。
「先輩こそどうなんですか」
「俺だって仕事中と変わらねえぞ」
「口の悪さとガラの悪さは増してる気がしますよ」
「仕事中はお利口にしてるからな」
「あれで」
「あれでって言うな」
晴香の額を軽く小突いて「ならデートするか」と葛城は軽く口にする。
「明日どっか出かけようぜ。お前行きたい所とかある?」
「先輩なににおいても即決すぎでは?」
「答えが目の前にあるのにそれにグダグダ悩んでどうするんだよ」
「そうですけど」
「近場でもいいし、車で少し遠出でもいいし」
「あ! 職場の人に会わない所がいいです!!」
咄嗟に出てきた言葉は葛城の眉間に皺を刻ませるには充分すぎた。ほほう、と低くなる声と周囲の温度に晴香はまたしても己の失言を知る。
「俺と二人で出歩いてる所を見られたくないと」
「いや……二人でいる所は構わないと言えば構わないんですが……」
おそらくは休日に二人で一緒にいる所を目撃されたとしても「日吉さん休みの日にまで呼び出されてるんだなあかわいそうに」と思われるのが関の山だ。それはそれでなんだかちょっとだけ悲しいのではないか、と思わなくもないが、葛城と所謂恋人同士になったというのが職場の人間にバレるのよりはマシである。
「俺は他人に紹介できるような相手じゃないと」
「言葉の卑屈さのわりには態度が高圧的ぃ!! ちょ怖い! 先輩のその顔が怖い!!」
美形の凄み笑いを真上から喰らう身にもなってほしい。腕の中の枕にしがみつくのがやっとだ。
「あ、でも先輩もうすでに言って……」
彼女が待っている、と飲み会を断ってきたと言っていたのを思い出し晴香はサッと青ざめた。そんな晴香を見やり葛城は重く息を吐く。
「お前の名前は出してねえよ。言い捨ててそのまま帰ってきたし。中条は分かんねえけど他の連中はそれこそ信じてるかどうかも怪しいな」
あまり他部署との飲み会には顔を出そうとしない葛城なので、今回もただの断る口実と思われている可能性が高い。しかし、付き合いも長く普段そんな事を理由にはしないと知っている中条はどうであろうか。
「それでも相手がお前だとは気付いてねえと思うけど」
ほ、と晴香は安堵のため息をつく。当然葛城の機嫌はさらに悪くなった。
「そこまであからさまに安心されるとなあ……!」
「先輩落ち着きましょう昨日からキレやすさが跳ね上がってます!」
「そんなに俺と付き合ってるのが周りにバレんの嫌なのか? うちの会社は社内恋愛禁止ってわけでもないのに?」
「いやに決まってるじゃないですか! 先輩ほんと見た目だけはいいからその見た目につられてきゃあきゃあ騒いでる女子社員多いんです! そんな人達にやっかまれるのとか面倒くさすぎて考えるのもいやですし、あと他の子から絶対からかわれる未来が見える!」
これまで散々「葛城さんってかっこいいよね」と話題を振られても適当に返していた晴香が、この期に及んでお付き合いを始めましたとなると一体どれだけ弄られる事か。
「それに社内恋愛禁止じゃないにしても、さすがに付き合ってるってなるとその……部署異動とかもあるじゃないですか。先輩と一緒に仕事できなくなるのが一番いやなんです!」
葛城の気迫に気圧されてつい正直に気持ちを吐露すれば、葛城は一瞬目を見開いた後すぐに顔をフイと反らした。ん? と首を傾げる晴香は今の話の威力を理解していない。
「なら……しばらくはそれでいいけど」
ほんのりと頬に赤みが増しているけれど、葛城は明かりを背にしているのでベッドに押し倒されている晴香からはその差は判別できなかった。
「そしたらまあ場所は明日適当に決めるにして、デートするのは確定ってことで」
「了解です……って先輩?」
「なんだ?」
「なんだってその……ちょっ、手ぇっ! なにやって」
「ボタンを外してる」
「だからーっ!! 今の流れで!? これ!? こうなるんですか!?」
プチプチと晴香の着ているシャツのボタンが葛城により外される。その手を上から抑えつけどうにか動きを止めさせるが、いつでも再開できるという余裕を見せつけ葛城は口の端をゆるりと上げた。
「わた、わ、わたしの気持ちが追いつくのを待つのでは!?」
「そんな流れだったし待つ気はもちろんあるけど、それはそれとしてこっちはこっちで進めない、とは言ってない」
「これだから口の回る営業トップはタチが悪いってー!!」
「お前がなーもう少しだけでもなー俺の彼女って自覚があれば今日は大人しくしないこともなかったかもしれなかった」
「回りくどい!」
「でも出がけに宣言しといたし」
抑えつけてくる晴香の両手を軽く纏めて身動きを封じると、葛城は片手で器用に残りのボタンを外していく。
「全身舐め回されてもいいように風呂に入ってろって宣告してやってたんだ、今更無理とは言わせねえからな」
無理、ともだめです、とも口にできす、晴香は「ひえええ」とどこか気の抜けた悲鳴を上げることしかできなかった。
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