第10話 6




 先輩、とおずおずと片手をそっとあげれば、葛城は「ん?」と首を傾げて動きを止める。


「あのですね……散々話の腰折っておいて今さらすぎるんですが」

「なんだよ?」

「……萎えません?」


 葛城が眉を顰める。その表情に晴香は勘違いさせたと気付いた。口は悪いしガラも悪くて散々人をからかって遊ぶ人ではあるけれど、傷付けたりは絶対にしない優しい自慢の先輩なのだ。


「ああああああ違うんですよ先輩これは別にトラウマとかじゃなくってってこんな慌てて言ってる時点で信憑性皆無かもですけど! ほんとうに! そんなんじゃないんです!」

「分かってる落ち着け、単にこの状況が恥ずかしすぎてテンパってるだけだろ」

「わたしへの理解度が高すぎじゃないです?」

「お前育てたの誰だと思ってんだ」


 それにしたって高すぎでは、と思わなくもないけれども。これ以上その話を引っ張るとまたどんどんと逸れて行く上に、葛城からとんでもない攻撃もくるので今は置いておく。それよりも、だ。


「前の男の話か?」


 だから理解度、となりつつ晴香は頷いた。自分が処女である、というとんでもない話をしているからにはまあその話もしたんだろうなあと思ってはいたけれども。本当にしているとは酒の力とは恐ろしい。あとそんな話を突然聞かされた先輩にはお詫びのしようもない、と晴香は心の中で土下座する。


「話の中身まではさすがに覚えてないんですけど、その、元カレに萎えたって言われたのがまさにこんな感じだったなあって」

「剥かれて押し倒された?」

「いやそれ先輩だけですからね! 剥かれもしなければ押し倒されてもないです。なんかやたらとわたしの住んでたアパートに来たがるから、じゃあお茶くらいなら、って昼間に呼んだらなんと言いますか……」


 抱き付いてきたのにあまりに驚いて、突き飛ばしこそしなかったが壁にへばりつく形で距離を取った。


「イヤ……ではなかったと思うんですけど……なにしろ突然すぎたのでテンパりまして」


 今宵の葛城との間の様に、あちこちに話が飛ぶ上に突っ込みどころしか無い会話を繰り広げてしまった。


「そしたら最終的に萎えた、って言われて怒って帰ってったんですよ」


 すぐに追いかけるなり電話をするなりすれば良かったのかもしれない。しかし突然襲われたのは晴香の方だ。いくら恋人同士の付き合いをしていたとはいえ、だ。


「抱き付かれて驚いただけなのか?」

「あー……」


 イヤではなかったと思う、と口にはしたものの改めて問われると考えてしまう。


「突き飛ばすのはさすがにマズイかな、っては思いましたけど」

「ってことはやっぱイヤだったんじゃねえの?」

「先輩が言うならそうなんでしょうねえ……」

「……お前俺の言うこと信じすぎじゃ」

「だって先輩ですもん」


 あー、と今度は葛城が呟く。ずっとそう言ってるのに、と晴香は特に気にせず話を進める。


「わたしから謝るのがいいのか、でもそれもなんだかなあ、ってしてる内に気付いたら別の子と付き合い始めてて、ああわたしフラれたのか、ってなりました」

「マジでクズだよなあ」

「ですよねえ」


 思わずしみじみとしてしまう。


「ってまあそれはいいんですけど」


 いいのか、と葛城が鼻白む。晴香はいいんです、ともう一度繰り返す。


「そんなだったから、先輩は萎えたりしないのかなという、ええと……最後の質問です」


 最後の、と言う事は、これが終われば後はお察しくださいというやつだ。なんとか体面を取り繕ってはいるが、晴香の内面は嵐の如く羞恥心が吹き荒れている。そんな晴香の心情を思い遣ってか、葛城は優しい手つきで頭をポンポンと撫でてやる。


 続く発言はそれを見事に台無しにしたが。


「安心しろ、ずっとたってる」

「え、なにがですか? クララ?」


 秒、でいいから考えれば分かる答えであったが、葛城の優しい顔と声、に晴香は完全にノーガードだった。「たつ」と言えばアルプスの、と安直に出てきた名を口にすれば、葛城も頷く。


「――そう、俺のクララが勃ってる」


 ぐ、と葛城は晴香の脚を軽く自分の腰の方へと引き寄せる。そこに触れた熱の塊。ち、ち、ち、と三つ数えた辺りで晴香は渾身の力で叫んだ。


「さいていいいいいいいい!! あやまって! 世界の名作に! 児童文学にあやまれええええ!!」

「触ってみるか?」

「おこ、と、わり! します!!」

「一番手っ取り早い上に確実だろ」

「先輩わたし初心者ぁっ!」

「初めては誰にでもある」

「それにしたってひどすぎでは!?」


 そして先輩の落差もひどすぎでは!? と晴香はバシバシと葛城の腕やら胸やらを容赦なく叩く。


「今日一番の暴れっぷり」

「先輩が今日一番のひどい発言するからですよ!」

「クララにそこまでキレるとは」

「わーっっっ!!」


 ひとしりき暴れた後、テンションの登り下がりに疲れ切った晴香はぐったりとベッドに沈む。まだ何一つコトに及んでいないというのに、気力体力共にゼロに近い。


「悪かった、ほんと今のは悪かった」


 やはりそこまで悪い、とは思っていない声音で葛城は晴香の腕を引くとそのまま体を起こさせた。急に視界が変わってふらつく晴香の体をヒョイと抱え、自分の胡座の上に横向きで座らせる。

 押し倒されていた時と違い、常に葛城の顔が近い。それどころかこれでは全身が葛城に抱き込まれている様な錯覚に陥る。瞬時に赤くなる顔を隠したくて、今一度ベッドにうつ伏せになろうと逃げる晴香を葛城はより一層抱き締めた。


「逃げんな」


 どれだけキレようとも結局の所晴香の行動は羞恥に耐えかねてだ。耳まで真っ赤に染めて、それでも顔だけは見せまいと葛城の胸元、というか脇に頭をめり込ませる勢いでグリグリと動かしてくる。


「照れ隠しが激しすぎだろ」

「キャパオーバーさせるからです!」

「それ言うなら俺もなんだけど」


 理性の泉はとっくに許容量を超えている。表面張力でももう無理だ。それでも劣情をぶつけずにこうして晴香とのやり取りを続けているのだからして


「お前は俺をもっと褒めろ」

「褒める要素おおおお」

「今で言うなら萎えてねえのが褒められる要素になるんじゃ?」


 膝の上に抱えられているので晴香にもダイレクトに伝わっている。晴香はビクリと体を震わせた。


「……なんで?」


 萎えないんですか、とおそるおそる見上げてくる晴香に劣情が刺激される、が、それを臆面にも出さずに葛城はさらりと答えた。


「惚れた女と話ししてんのに萎えるわけねえだろ」

「……なんでですかあああああ!!」


 ゴッ、と晴香の頭突きが葛城の胸に炸裂する。見事心臓に決まり一瞬葛城の鼓動が止まる。


「殺す気か!」

「先輩こそさっきからわたしを大量虐殺!!」

「ンなこと言ってもしょうがねえだろ、事実だ事実」

「だからそういうところがああああ!!」

「お前と話すの好きなんだよ、単に」


 どれだけ会話がデッドボールとファウルボールだらけだとしても。


「さすがに居酒屋での処女連呼やらAVやらは驚いたけど」

「記憶にないところを抉るのやめてください」

「でも面白かったよ。お前があそこまで酔っ払った姿見せてくれるのも俺だけなんだろうし」

「先輩ですもん」

「お前も俺の良心抉るのやめろ」


 俯いたままの晴香の頬に葛城はそっと手を伸ばす。


「こんな理由なんだけど、答えになったか?」

「……イケメンは答えまでイケメンなんて卑怯ーっっっ!!」


 はいはい、と軽く流して頬から顎に指をかけ、葛城は晴香の顔を持ち上げる。


「ということで、これでひとまずラストってことで?」

「いちいち訊くの趣味悪い」

「意思の確認だろ」

「お察しくださいなのでは!?」

「俺の都合の良いように勘違いするかもだろうが」

「先輩の勘違いなら勘違いになりませんよ」

「煽るなお前ほんとに!」


 何を、と開きかけた唇は葛城からの噛みつく様なキスで塞がれた。




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