第18話 澄子の野望

 ハネムーン最終日、二人はフランスに滞在していた。劉生は結婚祝いに土産を渡したいと、ロンドンからパリへ飛んだ。


 劉生が二人を引き連れたのは、シャンゼリゼ通りに位置する石造りの歴史的建造物。ブレイクリーパリ本店。


「善財家にとっては珍しくもないだろうけど、やはりここの品は本物だよ。流行に流されず、長く持つことができる。結婚祝いには一番かなと思って」


 良一はいくら金持ちになっても前世の貧乏根性が染み付いてブランド品には無頓着。


 一方、澄子の目は、上品なライトアップの優しい光に反射して輝いている。 


 重厚な扉を開くが、店員はこちらを見向きもしない。観光らしき多くの客は、化粧品やアクセサリー、バッグなどの小物を手に取り、


 値札を確認しては頭の中で電卓を叩いている。


 劉生が店員に何かを言うと、奥から金色のネームプレートを付けた中年の男性が現れ、慇懃無礼な挨拶をして、3階へと案内された。


 3階のサロンは、下の階とは様相が違い、店員がつきっきりで接待している。上客たちなのだろう。サロンの奥の方、応接セットで中東系の男性とアジア系中年女性が商談をしている。石油王の大口オーダーといったところか。


 澄子の眼光が鋭く光り、商談中のおばさんを捕らえた。前世の記憶が蘇る。


「Ecec!美麗は本当に頭が悪いわ。お兄様を少しは見習ったらどうなの? この恥さらし」


 ブレイクリーの実質全権者。ブレイクリー 美 鈴みすず。前世で見麗を罵り続けた、美麗の母親だ。五歳のとき、野良猫を連れて帰り、密かにウオークインクローゼットで飼っていた。その猫がクローゼットを抜けだし、美鈴の大事にしていた歴史的価値のある日本画で爪を研いだのを境に、美麗は優しいだけの馬鹿だと突き放した。そのせいで、美麗は素行の悪い人間に育ったようなものだ。


「もっと、良いものが見たいわ」


 美麗は美鈴に聞こえるように言い、奥の方の一段とプレミアムなラックに近づい

た。


 美鈴は一瞥し、気にも留めない様子で、石油王のご機嫌取りを続けた。


 このときの、天よりも高い上からの目線に、澄子の中でふつふつと滾っていたマグマが爆発した。


「いつか、この女を私の前で、ひれ伏させてみせる」


 劉生からの土産を良一に選ばせる間、澄子はブレイクリーでも超一級品のドレス、家具、食器、アクセサリーの類を品定めし、フロアの中心で叫ぶ。


「これと、あれと、あれと、あれの一番良いものを全部頂くわ」


 これには店員をはじめ、厚顔の美鈴も驚いたが、一番びっくりしたのは良一と劉生である。


「す、すみちゃん?」


 良一が、目を丸くして澄子に駆け寄った。


「これは投資よ。いつか、ブレイクリーと企業提携できれば、財善にとって良いこと尽くめ、物はお父様とお母様へのお土産よ」 


「そ、そう」


 未だに贅沢に罪悪感がある良一は、泣く泣くブラックカードを店員に渡した。


 サテンのソファで呆然として、お会計を待つ良一に、劉生が声を掛けた。


「どういうことだよ。昔の澄ちゃんは、お金は困っている人のために使うものだって言っていたのに」


「あぁ。きっと、なにか考えがあるんだろ」


 日本に帰ってからも、澄子は事業で利益をあげることに邁進した。


 例の手を使って、澄子自身が財善貴金属の代表取締役に就任し、ブレイクリー・ジャパンの株式の4割を取得した。澄子の変貌に比例して、夫婦関係は悪化の一途だったが、良一は澄子を嫌いには慣れなかった。


 それというのも、澄子は会社経営で手腕を発揮する一方、慈善事業にも熱心で、その人間性はやはり尊敬に値する人物だからだ。


 澄子の立案で、善財の後継者夫婦は、いわゆる『子供食堂』や『保護猫カフェ』を法人化して全国展開し、1%寄付プロジェクトと銘打って運営した。


 財善グループの商品を購入すれば、間接的に寄付ができると、偽善者たちの商品選択では有利に働き、そのうえ財善の企業イメージは大幅に上がった。事実、1%は価格に上乗せしているし、税額控除も受けているので、財善の財布は痛くも痒くもないのだが、国民は良心を持て余しているのだ。

 

 良い人でいたいけど、なにができる? お年寄りにも、野良猫にも出会わなければ、坊や、食べ物に困っていないかい? だなんて、戦中戦後じゃあるまいし。


 澄子は着々と事業成績を伸ばし、経済誌にも顔を売って、ついに、ブレイクリー社との企業提携話に漕ぎ着けた。


 これで、ブレイクリー美鈴に頭を下げさせることができる。意気揚々とパリに乗り込んだ澄子だったが、結果は惨敗だった。


 美鈴が商談の場に顔を出すことは無く、代わりに、頭の禿げた汗っかきの男を送り込んだ。商談こそうまくいったものの、その屈辱は澄子の野心を更に掻き立てた。



(善財を自分のものにするしかない) 


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