LBGT(Love Become Good Time)

U朔

好きな言葉

「LGBT」。この単語を聞くだけで、オレは気分が悪くなる。最悪なことに、今日では国全体でこの「LGBT」に対する差別を無くそうと、毎日のようにテレビや新聞などの特集で、専門家やコメンテイターらが話をしている。オレはこの世界が嫌いだ。テレビに出て、自分の意見をまるで正解かのように言うだけでお金を手に入れることができる。そんな世界が嫌いだ。相手のことを考えているようで、自己の名誉と利益しか考えていない大人のいる、この世界が嫌いだった。一つの言葉に出逢うまでは・・・。


 「カチ、カチ、カチ・・・・・」

時計の針が一つ、また一つと音を立てながら移動している。たかがアルファベット四文字の単語を書くか、書かないか。そんなくだらない二択で、もうすぐ六十分のテスト時間が終わろうとしている。カンニングだと疑われるのを恐れて、少し周りを眺める。オレのことはどうでもいいかのように居眠りしている奴や、わざとシャーペンをノックして音を立てる奴。多くの音が混ざり合い、不協和音となっている。しかし、この音は妙に心地いい。聴いているうちに、アルファベット四文字を書くか、書かないか、というオレのちっぽけな悩みを、消し去ってしまう程の心地良さだ。自分の性別のことなんて、どうでもいいように思えてくる。そんな音だ。最後の最後まで、解答用紙という名の空にペンを走らせる。芯を出さないまま。もちろん、解答用紙には傷しかつかない。残り一分。とうとうペンを置いた。代わりに消しゴムを手に取り、解答はもちろん名前さえも消し始めた。性別の欄に書いた「男」という文字を残して。そして、終了のチャイムと同時に解答用紙は白紙に戻った。あの悩みは解決することはできなかったが、代わりに謎の達成感を得ることができた。しかし、その達成感に浸る隙もなく、あの心地いい不協和音の代わりに、オレの嫌いな音、人の声が耳の奥まで響いた。

(・・・い、・・さい、うるさい、うるさい・・・)

世界の全てがうるさい。オレは、この世界が嫌いだ。


 「受験、どうだった?」

家に帰ると、玄関に立っていた母に聞かれた。

「・・落ちた・・・・たぶん」

オレはそう言い、部屋へ向かった。部屋に着くと、緊張が解けたのか、思わず頬が上がってしまった。オレはドアに鍵をかけ、ベッドへダイブした。「受かった・・・」小声で言い、パソコンに目線を送った。画面に映っていたのは、たった今、オレが入試を受けてきた学校の、裏掲示板だった。そこには、一つの投稿が表示されていた。

「解答用紙の性別欄に、自分の本当の性別を書き、他の欄は何も書かずに提出すると、確実に合格できる」


 四月。桜の舞い落ちる校門の下に、一つの人影がある。黒のパーカーに黒のジーンズを履いた彼、いや、彼女には、どうしてもこの学校に入学しなくてはいけない理由があった。そもそもこの学校は、制服や校則に関するルールはもちろん、性別や名前も規定の書類を提出すれば、全て自由となる、全国で唯一の高校なのだ。そのため、毎年各地からの入学者がこの地に集う。新しい自分への第一歩。それが、今日始まる。キセキとも呼べる力のおかげで、オレはこの学校へ入学することができた。昇降口で上履きに履き替え、「例の」書類を提出するために職員室へ向かった。移動中は周りから送られてくる冷たい視線が気持ち悪い。時々、オレが通り過ぎると、後ろからコソコソと話す声が聞こえてくる。しかし、もう慣れてしまったせいか、何も感じないが、やはり気持ち悪い。しばらくして職員室に着くと、担任であろうか。優しそうな先生が対応してくれ、すぐに教室へ向かうことができた。教室へ入ると、個性の強そうなクラスメイトが一斉にこっちに視線を送ってきた。またか・・・。そう思いながら、平然を装い自分の席へ早足で向かった。しかし、やはり心が痛む。「これから、また苦しみが始まるのか・・・」と。


 自己紹介が始まった。名前の順に一人一人名前と特技を言う。オレの順番は二五番目だから、ちょうど中盤だ。ただし、オレは自己紹介が嫌いだ。一度に周りの視線を集め、これからの高校生活を左右する。さらに、オレの席は教室のほぼ中央と、三百六十度から視線が降り注ぐ。そんな自己紹介が嫌いだ。刻一刻と、順番が近づいてくる。そして、ついにオレの番がやってきた。椅子を少し後ろに引き、立ち上がる。全身に血液が行き渡り、心臓が速く拍動する。唇が、手が、足が、指先がふるえる。うまく声が出せない。出せたとしても、声がふるえる。全身が妙な寒さに覆われ、鳥肌が立つ。まるで、一人だけ南極へ行った後かのような感覚だ。

「オッ・・・オレは、相馬・・・柚月。特技は・・・ない・・です」

一気にからだが熱くなった。その代わりに、教室内の空気が冷たくなった。「相馬さん?って女の子だよね?」「てか、服黒すぎない」「男なんじゃない?一人称俺だったし」コソコソと話す声が三百六十度から聞こえてくる。うるさい、うるさい、うるさい・・・。耳を塞ぎ、フードをかぶり、机とにらめっこをする。うるさい、うるさい、うるさい・・・。

(やはりこの学校にもオレの居場所はないのか・・・)

ああ。やはりこの世界は、うるさくて嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。嫌い・・・だ。突然、机の上に水が落ちてきた。同時に、視界がぼやける。

(どうして、どうして。この世界はオレを嫌っているはずなのに・・・。どうして)

答えのない質問を繰り返す。

(ああ、そうか。オレはこの世界には必要ないのか・・・)

オレなりの答えを出し終え、この空間から逃げたそうと椅子を引いた瞬間、オレの何倍も低い声が教室中に響いた。

「ワタシの名前は、桃月壮真。こんな格好をしていますが、皆さんが聞いた声の通り男です。特技は、家事全般。好きな言葉は――――です。よろしくお願いします」

思わず顔を上げてしまった。目の前には、白いロングTシャツに白いカーディガンで、髪も背中の半分くらいまである。どこからどう見ても女の子にしか見えない、男の子がいた。よく見れば、喉仏がはっきりと出ていて、筋肉はそれほどついているようには見えないが、骨格はしっかりとしている。

(オレ以外にもいたのか・・。自分の性別を嫌っている人が・・)

好きな言葉を聞き逃したせいか、一気に興味を引かれ、「話してみたいなぁ・・・」と思いながら、つぶやいた。


 チャイムと同時に、自己紹介が終わった。入学式までは、まだ三十分ほど時間があるらしい。ふと、桃月くんの席に目線を向けると、席から立ち上がり廊下へ歩いていった。オレは急いで立ち上がり、教室を出て行く桃月くんを追いかけた。


 気が付くとオレは、桜の舞い落ちる渡り廊下に立っていた。

「ここは・・・」

無意識につぶやくと、聞き覚えのある低音が耳に響いた。

「ここは、教室棟から体育館へつながる渡り廊下だよ。ワタシは、校舎の見学をしていたんだけど・・・。入学式までまだ時間あるけど、相馬さんはこんな所でどうしたの」

「あっ・・、桃月くん。えっと・・あの・・・」

オレは戸惑った。なんと聞けばいいのか。どうすれば傷つけないか。

「言葉・・・。自己紹介の時の・・」

口が滑ってしまった。オレは慌てて口を手で覆い、目線をそらした。そらした目線を、少しずつ戻していくと、しばらく無言だった桃月くんが口を開いた。

「自己紹介の言葉・・・。あっ、ワタシの好きな言葉のことかな」

桃月くんは、驚いたような顔をしながら聞き返してきた。

オレは、これでもかと大きくうなずいた。

「LBGT。これがワタシの好きな言葉だよ」

一瞬、オレは気分が悪くなりそうになったが、何故か大丈夫だった。

「LBGT?」

オレは疑問に思い、聞き返した。

「そう。これは、LGBTの文字列を少しいじった言葉で、正式にはLove Become Good Time。日本語だと、愛は良い時間になる。って意味だよ。実はワタシ、LGBTって言葉が嫌いだったの。だけど、この言葉に出会ってからは、少しLGBTと自分自身を好きになれた気がするの。君はどう?相馬くん」

話に集中しすぎて、口を開くまでに時間がかかってしまった。それに加え、オレの名前を呼ばれたせいか、頭が混乱した。混乱を収めるために深呼吸をしてから、オレは口を開いた。

「うん。良い言葉だと思う。LBGT。この言葉のおかげでオレも、自分自身に少し自身が持てた気がする。ありがとう。それで・・・、もし良かったらオレと友達になってくれないかな」

「もちろん。ワタシも、相馬くんと話してみたいと思っていたから。それに、初めて男友達ができてうれしいよ。これからよろしくね、相馬くん」

思考回路が止まった。脳内演算が追いつかない。

「えっと・・・、オレはこの学校では男だけど、世間一般だと女なんだけど・・・」

オレが恐る恐る言うと、桃月くんは固まってしまったが、五秒後に口を開いた。

「それがどうしたの?確かに女だって聞いて驚いたけど、この学校で男なら男友達で間違いないでしょ」

思わず涙がこぼれ落ちた。

「そうだね。よろしく、桃月くん」

「それと、ワタシのことは桃月くんじゃなくて、壮真って呼んでほしい・・・」

桃月くんは、手で赤くなった頬を隠しながら言った。

「分かった。そしたらオレのことも柚月って呼んで」

「うん」

体が妙に熱い。壮真はさらに頬が赤くなっている。

「柚月、顔赤くなっているよ」

壮真に言われ、オレはスマホで顔を確認する。

「ねっ?」

「う、うん・・・」

なぜだか気まずくなってしまった。オレも、壮真も赤らんだ顔を手で隠しながら、しばらくの静寂が続いた。

「あの、壮―」

「あの、柚―」

互いに口を開き、話そうとした瞬間、チャイムが鳴り響いた。

「もう時間だね。教室、戻ろうか。柚月」

「うん。壮真」

オレは、壮真と肩を並べながら教室へ向かって歩き出した。道中、オレがかじかんだ手を温めようと手を擦っていると、壮真の手がオレの手を包み込んだ。

「こっちの方がワタシの手も暖まって、一石二鳥かと思って・・・」

壮真は、再び頬を赤くしながら言った。オレは、思わず笑いが溢れてしまった。


 入学式に校外学習、体育祭、合唱コンクール、文化祭、修学旅行。数多くの行事を通してオレは、壮真とさらに仲良くなれた。誰も知らない、二人だけの秘密もたくさんできた。壮真は、校外学習では方向音痴であることを、体育祭では運動音痴であることを、合唱コンクールでは音痴であることをこっそりオレに教えてくれた。出会ったときはあれほど頼もしかったのに、今になってみればおかしいくらいだった。しかしオレは、そのギャップさえも愛しいと思うようになっていた。文化祭では、オレと壮真は実行委員として働いた。隣から感じる信頼。クラスでの話し合いは、全て壮真がしてくれた。オレはただ、壮真の隣に立っていた。そうしていてほしいと壮真が言ったから。文化祭当日。壮真は人一倍働いていた。それに比べオレは...、いつも壮真に頼ってばかりで何もしてあげられてない。このとき、オレは決めた。修学旅行で恩返しをすると。

 修学旅行。オレたちの学校は、二泊三日の修学旅行の行き先を自由に決めることができる。オレと壮真は話し合い、京都に行くことにした。そして、修学旅行当日。初日は移動に半日かかり、午後に神社を三カ所ほど巡った。その後、ホテルに到着すると、思わぬ事件が発生した。なんと、一人部屋を二部屋ではなく、二人部屋を一部屋予約していたのだ。このホテルの予約をしたのは、もちろん壮真。フロントで、耳を赤くして黙っている壮真にオレは声をかけた。

「大丈夫。壮真のせいじゃないよ」

壮真は、何度も謝りながらチェックインを済ました。部屋へ向かっているときも、壮真は謝ってきた。部屋へ着くと、荷物を置いて大浴場へ向かい入浴を済ませると、部屋へ向かいすぐに眠りについた。翌朝、朝食を食べ終わると、京都の町を探索した。趣のある建物、所々に植えられた植栽によって空気が綺麗。さらに、季節を感じさせる木々。普段の生活では味わうことのできない景色を、一歩一歩を大切にしながら通り抜けていく。壮真は、あちこちにあるスイーツ店を片っ端から回っている。昨日のことを忘れようとしているかのように。クスッ。オレは思わず笑ってしまった。これがいつもの壮真、張り切りすぎると必ずどこかで綻びが発生する。それを忘れるために、スイーツを食べる。やはり、出会った日のように魅力的には感じない。ただ、愛らしさが吹き出てくる。もうあと六ヶ月で卒業ということを頭の隅から引き出し、覚悟を決める。今日の夜が勝負だ・・・。

 修学旅行二日目の夜。夕食を取り終え、大浴場へ行こうとする。

「待って・・・」

オレは、壮真の服の裾を振るえている右手でギュッとつかんだ。壮真は、驚いたような顔をしながら立ち止まった。オレは、恥ずかしさで顔を赤らめながら、震える声で言った。

「きょ...今日は、一緒にお風呂、入らない?」

一気に壮真の耳が赤く染め上げられていく。壮真はしばらく固まり、その後に首を縦に一回振った。

「オレが先に入っているから、後から入ってきてね」

恥ずかしさのあまり、オレは早口で言い、脱衣所に向かった。

 互いに顔を赤らめながら、目線をそらしている。異性の、しかも恋人のありのままの姿を見るのは、オレも壮真も初めてだ。無言のまま、時間だけが過ぎる。どうして声が出ないんだろう、覚悟は決めたはずなのに。オレは、自問自答を繰り返す。フゥーッ。一回深呼吸をして、目線を壮真に向ける。

「修学旅行、あっという間だったね」

そこからは、よく覚えていない。会話が弾みすぎたのか、恥ずかしさで意識が朦朧としていたのか、長くお湯に浸かりすぎたのか、気付いたらオレは、ありのままの姿のの壮真の横でありのままの姿で寝ていた。一体何が起こったのか、それは壮真しか知らない。しかし、壮真はまだ眠っている。それに、もし聞いたとしても事実を言ってくれるとは限らない。もしかしたら、知らない方が良いのかもしれないー。

 卒業式。三年間、あっという間だった。壮真に出会ってから、オレの人生は変わった。LBGTこの言葉に、何度も助けられた。ありがとう、この言葉に出会わせてくれて。

 桜舞い散る校門に、二つの影が並んでいる。三年前、二人が初めて出会った日のように。

 

あの日から十年の年月が過ぎた。そして、二人は再び桜の舞い落ちる道を歩いている。純白のドレスとタキシードを着て。

「新郎・相馬柚月

 新婦・桃月壮真

 息子・相馬咲良

の入場です。盛大な拍手でお迎えください」

大きな拍手と桜吹雪の中、三つの人影が見える。互いに見つめ合い、手をつなぎ、頬を赤くしながら、肩を並べて歩いている。十年前、渡り廊下から教室へ向かうときと同じように。


 後にこれは、世界初のLGBT改めLBGT婚として、世界中に大きな影響を与えることになる。


 LBGT。Love Become Good Time。愛は良い時間となる。どんなものでも見方を変えれば、誰かの力になる。そう、彼らのように。

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