第7話
それは創立記念の休日から十日ほどが経ったある日の昼下がりだった。
うたた寝しそうなほどの春先を思わせる陽気、小鳥たちだけでなく、学舎を渡る風さえもさえずりだしそうな心地よさに、時折空を見上げては、手にした本――『歴史と論点』と銘打ってある、この間夜の図書館で読んでいた例の本だ――に目を移し、テーブルに置かれた紅茶に手をやっては、大きな深呼吸を繰り返す。誰にも邪魔されない充実した午後の時間のはずだった。
特にこれと言って特筆すべき特産品や名物があるようには思えないこの帝都だが、紅茶だけは逸品がそろっていると言っていい。学院で供される、おそらくは中級の紅茶ですら、こんなに香り高く、味わいは深い。
学院は午前中に主に座学が行われ、午後からは各自が選択した科目、剣術や護身術、魔導術、巫術などの実技が行われる。ボクが履修しているのは剣術のみで、これは週に二回のカリキュラムが組まれているだけだ。こうやってテラスでのんびりしているのだから、この日、授業はない。
ない日は、もちろん、学院を切り上げて部屋に戻っても差し障りはないのだが、特に戻ってもなすべき何かがあるわけではない。なのでこうやって学院内での読書にボクは時間を割いている。印刷技術がそれほど高くはないこの時代、本が貴重であり、図書館は蔵書を貸し出してはくれないので、学院内で読むしかないからなのでもあるのだが、この日はどうも集中力が途切れがちだった。
「こちら、よろしいかしら?」
もう今日はこの辺で切り上げるするか、と立ち上がりかけた瞬間に、ボクは声を掛けられた。
目をやると、まとまりの悪い、でも鮮やかな蜂蜜色をした肩までの金髪に真っ赤なリボン、大きく好奇心旺盛そうな深い青色の瞳の少女が、近づいてきた。途切れがちの集中力だったせいか、半開きの口が少し間抜けに見えたかもしれないし、その少女のあまりの可愛らしさに見とれてしまっていると勘違いされたかもしれない。彼女の取り巻きの他の娘と違っているのは、彼女が椅子にではなく車椅子を使っている点、つまり、足が不自由なのだ。
彼女はボクのクラスメイトで、名前をユリス・デ・ライデルという。
二万四千年の間に地勢は大きく変わってしまっているのだが、ボクが眠りにつく前で言うと、ユーラシア大陸の中国や極東沿海州、朝鮮半島から日本列島までの広大な地域を支配するライデル朝帝国の第四位王位継承権を持つお姫様だ。
詳細に言えば、現皇弟の第二子にあたり、確か上に男の兄妹がいると聞いている。継承権でいえば、皇帝には息子がおり、その息子はすでに皇太子となっている。その次が彼女の父親、そして彼女の兄という順番だ。
足が不自由でもあり、上位継承権者がすべて男性でもあるため、第四位とはいっても、彼女に皇帝の座が巡ってくる可能性はかなり低いと言わざるを得ない。学業に励み、修道院にでも入って、学研と信仰を深める。それが彼女の描ける精一杯の未来図だともっぱらだ。
「あぁ、もう空きますのでどうぞ」
ボクは本を小脇に抱え、紅茶の載ったトレイを手にとって、テラスを後にした。
見ると、テラスには他にも空席が目立っていた。よほどあの席に固執していたのだろうと、独り合点してその場を後にしたが、件の少女はボクの方に車椅子を向けて、動きを止める。
「いや、そうじゃなくて……」
そう彼女は呟いていた。
でも、ボクは振り返りすらせずにその場を後にしたのだった。
次の日も彼女、ユリスはやってきた。ボクが読んでいたのは『考古学的発見と地政学が示唆する世割りの大戦争の一考察』という、いかにも学者らしい表題の論文だった。
この本の中、というよりはこの世界の一般常識として、約二万年ほど前に、それまでの世界を滅ぼずほどの大きな戦争が起きたとされている。表題にもなっている世割りの大戦争だ。それは考古学的にも神話的にも実際の出来事として認識されている。
それはボクが眠りについてから約四千年後に起こった世界戦争と合致する。その大戦争から二万年ほどかけて、いったいどのようにして今の世界に行き着いたのか、それがボクは知りたいのだ。
本当は手元に地図があればよいのだが、この時代、地図は国家機密に属するもので、結局のところ、自分の足で調べるしかない。
オークやオーガ、ゴブリン、ドワーフなどの諸種族の誕生神話にも、大戦争を示唆する口述があるとされるが、詳細は不明だ。こちらも骨が折れるが自分で調べるしかないのが現状なのだ。
「昨日は失礼したわ。私はこの席に座りたかったわけではなく、この席に座っていたあなたとお話がしたかったの。今日だってそう。読書の時間を中断させてしまって大変申し訳無いのだけれど、少し時間をいただけないかしら?」
目の前に現れたユリスは、注意深くボクを見つめると、意を決したように話かけてきた。鈴の鳴るような澄んだ声に、歯切れのよい口調は、いかにも貴族的だが、自分を落ち着け、居丈高にならないようにゆっくりと、でもボクに逃げられないように言葉を紡ぎ出す。
「二人だけで話がしたい。お前たちは少し下がっていてほしい」
側近くに直立している護衛にそう伝えると、ユリスは車椅子をボクの隣にまで移動してきた。
お姫様だ、よほど質のいい香水か香油を日常的に使っているのだろう、控え目でいて、しかし、確かに存在感を主張する甘い桃の実のような香りが彼女を包んでいた。
【拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。ちょっと堅めだけど、こういう小説嫌いじゃない、先がちょっとだけでも気になっちゃったという方、★評価とフォローを頂戴できればありがたいです。感想もお待ちしています。作品の参考にさせていただきます】
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