欠落した満月と冷酷な太陽
武臣 賢
第1話
冴えた満月を、緩慢に雨雲が覆っていく。月光は明滅し、このままでいけば明日の朝には空模様は崩れていくに違いない。
銀色のコールドスリープカプセルの扉がゆっくりと開かれた。ボクの頭の中に大量に情報が流れ込んでくる。
「分かっているよ。結局、上手くはいかなかったんだね?」
記憶に欠落はないものの、完全に意識を失ってから、情報は途絶えている。身体は……、とりあえずは問題ないようだ。
まるで、ボクの覚醒が分かっていたかのように、カプセルの脇にあるロッカーには衣服が一揃いぶら下がっている。適当に見繕って袖を通し、ボクは身体に起こっていた異変――決して問題ではない――を自覚した。
「あぁ、そういうわけか……。差し当たって障りはないか……。ただ、心細いものだな」
部屋にたったひとつだけある扉を開けると、廊下も何もなくただ上に向かって階段が延びている。
感触を確かめるようにゆっくりと上がり詰めたところにもまた扉がある。こちらは先程のものよりよほど頑丈に設えてあるようだ。キーはないが、取っ手にセンサーがついている。親指を押し当てると、カチリと鍵が外れた。
手入れが行き届いている、訳はないのだが、扉は音もなく、まるで重さなどないかのように軽く押し開かれた。
外は漆黒の闇、しかも深遠とも言える森の奥深くだった。明かりは全くない、瞬く星の光さえも。鬱蒼とした樹々が覆いかぶさっているうえに厚い雲が空を覆い始めている。
「せっかくの門出が闇夜なのも癪だけれど、目覚めたのが真夜中なのも、これまた幸先が悪い」
ボクは、大きくため息をついた。
寒さは感じないけれど、コートの一枚でもあった方がいいだろうな、などと考えながら、もと来た階段を下っていく。吐く息が白い。どうやら季節は冬のようだ。
ヒクヒクと鼻をうごめかすと、かすかに人の匂いがする。しかし、かなりかすかだ。
「こりゃ、五百kmほどはありそうだな」
ボクは、先程よりひときわ大きなため息をついた、誰が聞くとはなしに。木霊した声は木々の間を縫うように森に溶け込んでいった。
「やぁお嬢ちゃん、こんな時間に一人歩きかい。ここは街といっても場末だよ。危ないから早くお帰り」
まるで千年も前からの子供をあしらう決り文句のように、すれ違うおじさんがそう声をかけてくる。
「ありがとう。今お使いの帰りなんだ、急いで行くよ」
これもまた、千年前からの決まった切り返しのようにボクは応えた。両手に抱えた紙袋には、パンや果物、野菜に燻製肉が入っている。明日のランチ用に買い揃えたものだ。無理をして重そうに抱えるふりをして、片手でおじさんに挨拶をすると、ボクは足早に路地を曲がり、小さな建物の階下へと降りていった。そこがボクのとりあえずのアジトだ。とはいっても住居兼だけれども。
大きな鍵穴にキーを通し、ガチャリと回す。侵入者の気配はなし。侵入されて困りはしないし、これといった動きもまだだ。アジトとはいえ、単なる官制学院生の下宿部屋にしか過ぎない。
部屋の中央やや手前に置かれた丸テーブルに紙袋を置き、手早くランプに火を灯すと、椅子に腰を掛ける。椅子の真横に置かれた姿見には、だらしなく両手を下げた少女の姿が映り込んでいる。
「いい加減、ボクってのも止めてしまわないといけないけれど……」
今日も特に収穫はなし。
収穫を求めて出歩いているわけではなくただ通学しているだけなのだから、それも仕方がない。
人間というものはある程度の強制がなければなかなかに動きはしない、これは二万四千年経ってもそうそう変わらない。いや、一億年経ったとしても。
いつもの習慣で情報を反芻する。
今。姿見に映っているのは眉間に皺を寄せ、やや不機嫌そうに俯くロングの銀髪ストレートの少女の姿だ。
大きな二重、アーモンド型の眼に、瞳も大き目でかなり薄めのアイスブルー、遠目だとほぼ白目に見える。鼻梁は細いが程よい高さで、若干の眼窩の窪みもあり、一見彫りが深いように見える。しかし、若い女の子らしい肌のハリが、削り出した金属のような雰囲気を和らげている。メリハリのある作り物のような顔立ちは、まだ幼さとあどけなさが残るが、かなりの美少女といっていい。
肌はこの街の人には珍しく抜けるように白い。やや青みがかってすらいる、小さくきれいに並んだ歯を包む唇は薄い桜色、背は小さめで、胸の膨らみも控えめ。細い手足は長く腰周りにも無駄な肉が付いていないだけに、いっそう華奢な印象だ。
この街――帝国首都エレプタール――に住み着いてようやく二年ほど。湖の神のご加護の上に誕生したと言われる穏やかな気候に恵まれたこの街は、ボクとも何か機縁がありそうで、一足踏み入れるなり気に入ってしまい、すぐさま根城になった。
時代はボクが知っている近世の半ばといったところ。産業革命は起こっておらず、異様に長い中世期を経て、特に大きな戦争もなく、これもまた長い近世期が過ぎているといった歴史をたどっている。治めるのはライデル朝帝国で治世千五百年程といったところか。
両親を病気でなくし、寄る辺なき孤児という触れ込みで――実際に身寄りはないのだが――官制学院の推薦試験を受け、好成績で合格し、帝国立高等学院に在籍中だ。
【拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。ちょっと堅めだけど、こういう小説嫌いじゃない、先がちょっとだけでも気になっちゃったという方、★評価とフォローを頂戴できればありがたいです。感想もお待ちしています。作品の参考にさせていただきます】
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