アナタの望まぬ赤い糸

姉御なむなむ先生

「アナタの望まぬ赤い糸」

『運命の赤い糸』

 それは神々の戯れだとも言われた世界の祝福。何億分の一の確率で結ばれた愛の糸。

 未婚の男女の左の薬指に突如として結ばれたその糸は、結ばれた相手との位置がわかるものだった。


 だから、運命の赤い糸が結ばれたその男女は必ず出会うことができる。

 そしておとぎ話や童話のような、幸せな結末が来るのだと誰しもが語った。


 私も運命の赤い糸は幸せの象徴。永遠の愛の象徴だと信じていた。

 けれども、その運命は結ばれた相手は選べない。そして、思いが通じ合うわけでもないという当たり前のことを、私は今更ながらに知ることになる。


 貴方に結ばれていなかったら、私はどう思っていたのかな。


 ****


「あ、かい糸……?」


 フヨフヨと繋がれた赤い糸は、何の前触れ無く私の薬指に繋がれていた。

 触れることができないそれはまさに人知を超える力が働いているとしか思えないようなもので、私はそれをただ呆然とみていることしかできなかった。


 だって、こんな事があるなんて思わなかった。何億分の一の確率で起きる、幸せな運命。それが私に結ばれるなんて、ありえないと思っていた。

 だから納得した。結ばれた相手を見て、私はやっぱりどこまでも幸せになれないんだと分かった。


「なん、で……お前にそれがあるんだよ」


 呆然と、驚くように私を見下ろすのは同じように薬指に繋がれた私の幼馴染。

 真っ直ぐに繋がったそれは、私とついになってそこにあった。ありえないと、幼馴染は私を見ている。


 同じだった。その気持は。私もありえないと思ったから。


「なんで……。なんでか、な」


 もし本当にこれを付けたのが神様だって言うなら、私はその神様にどうしても聞きたい。何で私と彼にこれを結んだのかと。

 だってそうじゃない。私が望んでも、彼はこれを望まない。


「ふざけんな、ふざけんなよ! お前を誰が運命と認めてやるか!!」


 怒声を上げて彼が私を睨む。私はそれをただ見ていることしかできなかった。


 ――彼は、私のことが嫌いだ。憎んでいると言ってもいい。理由は、私は知らないけれども。


「……ごめん、なさい」


「っ! クッソ!!」


 私に背を向けてどこかに行く貴方。それでもきっと明日になったらまた顔を合わす。

 だって私と貴方の家はすぐとなりで、幼馴染だから。


「……私は、貴方と結ばれて……嬉しかったんだけどなぁ」


 運命なんてクソ食らえだ。こんな糸があったところで私達の仲が縮まることなんてなかった。

 それどころか、溝ばかりが深くなっていってきっとわかり合うことはない。

 こんな恋をするぐらいなら、他の人と運命を結びたかった。そう思うぐらいには、私は苦しい恋をしてしまった。


「好き、だよ……」


 貴方に伝えられない、私の本当の想い。

 赤い糸に向かってしか言えない。こんな意気地なしの私。そんな私のもとに、ある噂が耳に入った。


 赤い糸を切ることのできる人がいるという、噂を。


 ****


「本当に切るのですか? せっかくの運命ですよ?」


「……どうせ結ばれたところで、叶うわけではないですから」


 目の前に立つ、不思議な雰囲気を持つ男性とも女性ともわからない、中性的な風貌の人に私はそう笑った。

 この人が、噂される赤い糸を切ることのできる人だと言うらしい。


「お願い、できますか……?」


「もちろんできますよ、お嬢さん。しかしそれを切ってしまえば、私は縁を結ぶわけではありませんから二度と戻すことはできませんよ。それでも、良いのですか?」


 二度と戻ることがないと、不思議な笑みを深めて私を見ている。蛇のような目に、私はそっと身体を抱えた。


「……あの人は、私との運命を否定したんです。私、嫌われちゃってて……」


 余計なことを言ったと思って、場を変えるように笑い飛ばす。しかし目の前の糸切り屋の人は先程と変わらぬ笑みでただ私を見るだけだった。


「良いでしょう、その糸切らせて頂きます。ああ、もちろん。報酬はいりませんのであしからず」


「え、それは」


 私がいい切る前に、その人はいつの間にか持っていたハサミを私の薬指に繋がれた糸に刃を滑らせる。

 触れることのできない、絶対の糸はそのハサミの刃に当たった瞬間、あっけないほど音もなく切れていった。


「さぁ、貴方と想い人の運命はこれで切れました」


 ハラハラと、切れた糸は地面に溶けて消えていく。残ったのは私にまだ結ばれていた残りの糸で、もう繋がってはいなかった。

 それを見て、私は安堵する以上に、胸が痛くてたまらなかった。


 私と彼の結んでいた糸はもうない。彼は喜ぶかな? おまえと切れて、清々したって。大嫌いな私なんかと運命なんて、嫌だったって。


(それは、すごく嫌だなぁ……)


「ありがと、ございます」


「いえいえ、私は切っただけですから。……それに、この後が面白そうですしね」


「え?」


「それではお嬢さん。良き縁を」


 最後まで不思議な人だった。自分のことを見せないような、そんな影のあるような人。


 顔を上げたときにはもう居なくて、まるで幻のようなさっきの出来事。

 しかし切られた糸が現実だと私に言い聞かせ、私は切られた糸を見るたびに涙が浮かんだ。


 家に帰るのがもう嫌だ。帰っていく途中で、喜ぶ彼を見るのは辛い。


「――おい!!」


 だから貴方が私を見ているのが、どうしても現実だと思えなかった。

 どうして、そんな泣きそうな顔をしているの……?


 ****


 君の瞳が揺れるたびに、心臓がおかしくなる。君が笑うたびに、抱きしめたくてたまらなくなった。

 それでもできない。俺は君を突き放すことしかできなかった。

 愛していても、きっと俺の気持ちは君の邪魔になってしまう。だって俺は、おまえに嫌われているから。


 だからいつものように憎まれ口を叩いて、俺は君に背を向けた。

 赤い糸が薬指に結ばれ、その先に君が居たと知ったときの気持ちを、きっと君は何も知らない。


 嬉しかったのは確かだった。本当に嬉しくって、本当に幸せだった。

 でも認めたくなんかなかったんだ。だってあいつは俺のことが嫌いだ。

 俺はあいつに好かれるようなことは一切してこなかった。しようともしてこなかった。嫌われて当然だった。素直にならなかった俺のせいだ。


「……え、?」


 赤い糸のせいであいつの想いを無理にでも利用するつもりはなかった。しっかりと歩み寄ろうと、そう決めたばかりだったのに。


「糸がっ」


 繋がれていたはずの糸は途中で切れて行く。まるで最初っから糸なんてなかったように。

 しかし薬指に残った僅かに結ばれる赤い糸が、これを現実だと教えて、


「くそっ!!」


 家に居ない、どこに行ったのかもわからないあいつを探しに俺は家を飛び出る。

 いや、どこに行ったのかわからない。じゃないな。一つだけこうなったことに心当たりがある。

 糸を切ることのできるやつが、この街にいると女達が噂していた。本当かどうか、くだらないと思っていたがこれを見れば本当なんだと俺は歯噛みする。


 そんなに、俺と結ばれるのが嫌だったのか。もしかしたら、他に好きな人が居たのかもしれない。だから……っ。


「どこにいるんだよあいつ!」


 苛立つような気持ちで街中を探す。けれどもまるで誰かの意思によって隠されているかのように見つからない。

 額から汗がたまのように出る。走るのがきつくなって立ち止まり、汗を拭った。


「こんにちは、そこの少年」


 いつの間にか、そこに奇妙な男とも女ともわからないやつがそこに立っていた。


「あんた、だれだ……?」


「私が誰か、ですか。私は糸切り屋なんて呼ばれているものですよ。貴方の運命の方に頼まれ、糸を切ったのはこの私です」


「なっ……!」


 こいつが、糸を切ることのできるやつなのか。そして、やっぱりあいつは切っていた。俺との運命を。

 顔を合わせても、小学生みたいなことしか言わず、あいつを褒めることもなかった。

 嫌われて当然だ。俺だったらこんなやつ視界にも入れたくない。


 それでも、流石にこれはきついな……っ。


「クスクス。やっぱり、面白そうですね」


「何を言って」


「いえいえ、貴方の運命の方は糸を切るのをかなり迷って頼んだんですよ。……君に嫌われているから。きっと嫌だからと言って、ね」


 そいつの言葉に、俺の頭が真っ白になる。俺が、アイツのことが嫌い……?


「なん、何でそんなことっ」


「理由はわかっているのでは? そうそう、あのお嬢さんだったら今はご自宅の方に向かっているのではないでしょうか。早く言ってあげたらどうです? 本当は愛していると」


 こいつは、一体どこまで俺達のことを分かっているんだ。

 不思議な笑みを浮かべ、感情の見えない目で俺を映すそれはまるで鏡のようだった。


「一度切った糸は、元に戻ることはありません。……しかし、本当に思いの通じ合った運命の相手同士ならもしかしたら、ね」


 俺はもうそいつの言葉を聞いちゃいなかった。ただあいつに会いたくて、話したくて家の方向に戻っていく。


 君の後ろ姿が見える。小さく、沈んだような顔をしながら歩く君が見えて声が出た。

 聞いてくれ、もう運命の相手なんかじゃなくていいから。ただ俺は、お前のことが好きで、愛しているだけだって伝えたい。


「――おい!!」


 赤い糸がなくたって、神の作った運命じゃなくたって俺は初めて会ったときからずっとお前のことしか見ていない。


「好きだ、――」





 薬指に結ばれ切れたはずの赤い糸は、夕焼け色に染まった空と同じ色の糸でそっと繋がっていく。

 君の笑ったような泣き顔を俺はきっと、死ぬまで忘れない。


 ****


「やっぱり、繋がったではないですか。此処まで来たら運命ですよ」


 ――さて、次の街にでも向かいましょうか。次の運命を切りに。


 不思議な笑みを浮かべたその者の薬指に結ばれた赤い糸。それはつながること無くただそこにあった。

 糸切り屋はもう、そこに居ない。

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