蟻の行列
「おねえちゃん、政を治めるのが政治家さんなら、小学校の学級委員長も政治家さんだよね!」
妹は蟻を1匹1匹潰しながら、私にそう問いかける。
私は唇をグッと噛んだ。なんて返したらいいのか分からない。まつりごと、って何?こんな子供に知識で負けるの、悔しい。
現在小学校一年生の妹は所謂天才だ。ギフテッド、とも言うらしい。7歳年上の中学一年生の私でも解けない因数分解?とか、難しい数学も、妹はなんなく解くことが出来る。
私は中学校でも落ちこぼれだ。毎回赤点。当然友達もいない。妹はギフテッドな上に人付き合いまで得意みたいで、周りの子に勉強を教えたり知識を披露したりして、良好な人間関係を築いているらしい。
妹を小学校から引き取って、私達姉妹は毎日ここの自然公園で親の迎えを待つ。この時間が私は何よりも大嫌いだった。1人でお弁当を食べる昼休みよりも、赤点をとってお父さんに怒られている時よりも。大嫌いな天才の妹と2人きりで、このだだっ広いだけの遊具も何もない公園で、脳みそのシワの数の差をまざまざと見せつけられるようによく分からない難しい話をされるこの時間が、本当に、本当に大っ嫌い。この脳みそのシワの数で頭の良さが変わる、って言うのも、妹から教えてもらった知識なのが悔しい。
妹は蟻の行列の先頭から1匹1匹蟻を潰しながら、素数?を口ずさんでいる。こういう子供特有の残酷なところも、私は大嫌い。天才なくせに、道徳は学んでないみたい。
程なくして、親が車で迎えに来たので、車に乗って私達は家へと帰った。
「あかり。この点数はなんだ?」
「ごめんなさい…。」
家に帰って、早々、お父さんに数学のテストで15点を取ってしまったことを怒られた。
「まったく、桃子と違ってあかりはなんでこんなにも出来が悪いのかしら。」
お母さんのその一言が、私の心を刺す。
妹が生まれ、天才だと判明してから両親はすっかり変わってしまった。私が小学生の頃、両親は私に学力なんて求めてこなかった。『運動や勉強なんて出来なくても、優しい子に育ってくれればそれでいいんだ』。そう言っていたのに、あの頃から、妹が1歳半にして掛け算九九を覚えた頃から、両親は私の愚鈍さを責め立てるようになった。
「はぁ…次も赤点だったら、お小遣い無しだからな。」
「…うん。」
私は妹と共同で生活している子供部屋へ逃げ込んだ。
「おねえちゃん、デカルトの正葉線ってしってる?」
部屋へ入ると、ニコニコした妹がご機嫌そうに、でかるとのせいようせん?について、知ってるかどうか問うてきた。
「知らないよ、そんなの。」
私は素っ気なく返事をして、勉強机に向かい、学校の課題の理科の問題集を開いた。
すると、片手に量子力学?の本を握りしめた妹が嬉々として寄ってきた。
「おねえちゃん、そこ、間違ってるよ!融点の漢字!融、の左下の部分が間違ってる!」
「ちょっと、勝手に見ないでよ……。」
妹はいつも、こうやって悪気なく私を苦しめる。
「…桃子は私と違って、天才だもんね。」
自分で言ってて苦しくなる。唇をまだ噛み締めて、血の味がした。
私ははぐれ者の出来損ない。行列に混ざれなかった蟻。妹は、行列を先導するボス蟻なんだろう。なんで姉妹でこんなに差ができてしまったのか。そう思うと、最近勝手に涙が滲むようになった。
「あれ?おねえちゃん、泣いてるの?」
「…うるさい。」
「あのねあのね、涙といえば、目のゴミを洗い流すみたいなイメージがあると思うけど、角膜に栄養を運んで光学的な角膜性質をより良く保ってくれるっていう役割もあるんだって!」
何?
妹は何を言ってるのか全く分からない。
「うるさい!」
私は思わず、大きな声を出して、妹の細くて短い首を掴んでしまった。
「ぁう」
妹が小さな悲鳴をあげ、私は我に返る。なんてことをしてしまったんだ。ムカついたからって、首を絞めるなんて。
私は頭も悪くて運動もできない、友達もいない、妹に手を上げる愚か者だ。
「えー今回の歴史の平均点数は、75点だ。酷いな。平均点下げてる奴、自覚してもっと勉強しろー。」
最悪。平均点数75点って、高すぎ。私、38点だよ。
クラスのみんなは各々、自分は何点だったとか、誰が1位だったとか、そういう話をしたり、復習をしたりして、教室がザワザワしている。すると、先生が私の席の前に寄ってきて、声をかけてきた。
「杉崎、お前、今回もクラスでビリだったぞ?いい加減、勉強したらどうなんだ。」
「…ごめんなさい。」
勉強なんて、言われなくたってしてる。でも、できないものは出来ないんだ。今回も、妹に歴史に関する知識を教えてもらったから、なんとか38点も採れたんだ。
クスクスと周りの席から笑い声が聞こえてくる。みんなして、私を馬鹿にして。性格が悪い、お前らの方が勉強できない私より陳腐な脳みそしてるだろ。そう言いたいけど、気も小さい私は何も言えず、ただ先生にくどくど叱られる時間が終わることを黙って待っていた。
「おねえちゃん、この人ね、小学校のお友達のお兄さん!」
妹がその少年を連れてきたのは、夏休み直前の7月末のことだった。
「は、はじめまして」
小麦色に焼けた肌が良く似合う、美少年だった。
彼は運動も勉強も天才的な、妹みたいな人間だった。スポーツテストの点数はほぼ全て満点、テストの点数も毎回満点。人間関係も良好に築けているらしい。
「…はじめまして、姉のあかりです。」
小麦色に焼けた肌、緊張しつつも、どこか自信を秘めた光り輝くその瞳が、彼が完璧であることを私にまざまざと見せつけているようだった。
そこから夏休み、私と妹は毎日、この公園で彼と会った。両親が共働きだから、妹を連れて公園に行くと、いつも彼が妹の相手をする為に、待っているのだ。
私は彼を「君」と呼び、彼は私を「お姉さん」と呼んでくれた。
彼が私を「お姉さん」と呼ぶ度、胸が締め付けられた。下の名前で呼んでほしい。そう思うことすら罪なのかもしれない。私みたいな出来損ないが彼に恋をしてしまったことに気がついたのは、夏休みも終わりに近づいた頃だった。
8月26日。夏休みも残り5日。私は彼にキスをした。
彼が公園のトイレに行ってる後をつけて、出てくるところを襲ったのだった。
「お、お姉さん…!?」
「あかりって呼んで。」
私は携帯小説で読んだことのあるような、甘い愛撫を彼にしてあげた。
手を服の中に貪るように這い込ませ、頬や首にキスをする。彼の頬が紅潮し始め、やがて、彼は私の手の中で果てた。
「…はぁっ…はぁ…ダメですよ、あかりさん…。」
その一言は私に火をつけてしまった。そして彼にも火をつけてしまったようだった。
「僕、学校に彼女、いるんですよ、」
荒い息を整えながら
「ダメ、ですよ、あかりさん…。」
とろっとした目でこちらを見つめる彼に、私はもう一度キスをして、彼に私の体を触らせた。
「おねえちゃん、お兄さん、なにしてるの?」
妹が背後から声をかける。妹は天才だから、きっと私達が何をしていたかもわかって、気を使ってわざとそう聞いてきているんだ。小学校に入学してたった4ヶ月半しか経過してない妹に、それだけのことが出来るわけ無いんだけど、今の私はそう思った。
私みたいなグズで何も出来ない何の価値もない人間と違って、妹や彼は誰からも愛されて。大切にしてもらえる。そんな彼らを私が愛して彼らに私が愛される。理想郷がその日、そこで誕生した。
完璧な彼を蹂躙して、自分のもののように扱うことで、完璧な妹にも勝てたような気でいたのだと思う。私は彼との交際を初め、勉強にもなぜだか身が入り、彼に勉強を教えられるレベルにまで到達した。天才の遺伝子がお父さんかお母さんにあって、それが今光ったんだと思う。その日から、何もかもが上手くいくようになって、学校で出来た友達と昼休み一緒にお弁当を食べたり、放課後、彼とデートをするようになった。
「やるじゃないか、あかり。」
「そう、あいまいみーまいん。」
「杉崎、お前ほんとできるようになったな、先生、感動したよ。」
「ゆーゆあゆーゆあーず。」
「あかり、あなた本当に見違えるように立派になったわね。お姉ちゃんって感じ。」
「ひーひずひむひず。」
「杉崎さん、すごい、ノート貸してくれてありがとう!すごく見やすかった!」
「しーはーはーはーず。」
「あかりさんの勉強の教え方、すごく上手です。僕、あかりさんのこともっと好きになっちゃう。」
「うぃーあわーあずあわーず。」
「お姉ちゃん、すごーい!」
いつしか私はみんなに尊敬される、褒められる、必要とされる、そんな人間になった。
でもなぜだが、ずっと、引っかかるものがずっと、ある。胸に、ある。
放課後の教室。勉強していた。いつものように。 ノートにペンを滑らせていて、友達ができた私は友達とお揃いで買ったシャープペンシルの芯をガリッと音を立てて折ってしまった。
その時、私の心もガリッと音を立てて、折れた。
勉強ノートも教科書も全てカッターで破き捨てる。
「バカみたい。」
水色のノートに刃を突き立てた時、私はハッと気がついた。
「そういや私、彼の名前、知らないや」
水色のノートは私のノートじゃない。彼の物だ。
ノートには『矢吹 廉』と、そう、私とは違う、綺麗な文字で、綴られていた。
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