8-CHAPTER2

 そう言えば、先ほどの騒動で水筒はまだ空だ。ヴァルダスがシートから立ち上がると、ミルフィが不安そうに見上げた。

 

「水を汲んで来るから待っていろ」

「また別のやつらが来るかも知れないから」

「何かあったら今度こそ俺を呼ぶのだぞ」

 

 ミルフィは強く頷いた。


 川辺まで辿り着くと、男たちの姿はもう見えなかった。全く、逃げる速さだけは一人前だ。先ほど男の血が流れた水から、飲み水を汲む。不快などと言ってはいられない。水は必要だ。

 

 たっぷりと水が入って重たくなった水筒を持ち、ヴァルダスはミルフィの元に向かった。

 すると、ミルフィが立ち上がって、誰かと話している様子が見てとれる。ヴァルダスは剣を背負わなかったことを後悔した。ルークビルで先ほど貰ったナイフも手元にはなかった。

 

「全く、懲りないな」

 

 今度は水筒を持ったまま、拳に力を込めて近づいてゆくと、そこにレインコートがいた。


「ヴァルダスなのニャ」

 

 ミルフィの目の前で、レインコートは呑気に手を振っている。ヴァルダスは肩の力を抜いた。

 

「歩いていたら、ミルフィがしょんぼりしていたのが見えたから此処まで来たニャ」

 

 ミルフィは既にレインコートから何かを購入していたようで、手元には幾つかの品がある。

 

「いつも思うが、お前はほんとうにどこにでもいるな」

 

 ヴァルダスが水筒をシートの上に置きながら呆れたような、感心したような口調で言うと、

 

「それが仕事なのニャ」

 

 レインコートは胸を張った。

 ミルフィはその隣でにこにこしている。


「ところでヴァルダス」

「何だ」

「ミルフィのこの服、とても可愛いニャ」

 

 ミルフィを指差したレインコートの言葉に、ミルフィは恥ずかしそうに俯いた。

 

「ヴァルダスが選んだなんて、ワタシは一瞬耳を疑ったのニャ」

「ミルフィの喜びようを見て、ワタシも洋服を売り出そうかと思ったニャ」

「アメネコのサイズじゃ売る相手は限られるだろうがな」

「もちろん、その場合はいろんなサイズを用意するのニャ」

 

 やめておけ、とヴァルダスはレインコートの荷車を指差した。

 

「これ以上乗せられないだろう」

「た、確かにそうニャ」

 

 レインコートは改めて自分の荷車を見上げた。

 

「それで」

 

 ふたりはヴァルダスに視線を移した。

 

「何を買ったのだ」

 

 ミルフィは手元を見ながら答える。

 

「大きめの布と、お茶の葉と、それから」

「これを」

 

 ミルフィの手には幾つか棘のついたバックルがあった。

 

「これを着けてなら、わたしもヴァルダスさんのように相手を殴ることが出来るかと思って」

 

 ヴァルダスはミルフィからそれを引ったくって、レインコートに突き返した。

 

「ミル、お前は先ほどの俺の話を聞いていたのか」

「それからアメネコ」

「ミルフィにこのようなものを売るな」

 

 レインコートは顎にふわふわの手を当てた。

 

「でもヴァルダス、それもいつかは必要になるかもしれないのニャ」

「ミルフィの気持ちを汲んであげるべきニャ」

 

 尾をぶるぶるさせているヴァルダスに、ミルフィが慌てて言った。

 

「レインさん、ごめんなさい」

「それを買うのはまた今度にします」

 

 分かったニャ、と言ってレインコートはバックルを荷車に仕舞った。

 

「ヴァルダスは何か必要なものはないのかニャ」

 

 レインコートの言葉に、今度はヴァルダスがふむ、と顎に手を置いた。

 

「ああ、そうだった」


 ヴァルダスが続ける。

 

「ランタンを購入したい」

「先日洞窟に入った際、非常に暗くてな」

「以前買ったものは随分と前に割れてしまったのだ」

 

 レインコートが驚いたように言った。

 

「ランタンがなかったのに今まで良く過ごせていたのニャ」

「まあ、俺だけなら敵の目眩しに使うくらいだしな」

「しかしミルフィが一緒ではそうもいかぬだろう」

 

 ヴァルダスが金貨をレインコートに渡しながら言った。

 

「分かったニャ」

 

 それを受け取ると、レインコートは台車からランタンを取り出そうとしたが、ヴァルダスを見た。

 

「ひとつだけで良いのかニャ」

 

 どうだろうな、とヴァルダスは一瞬考えたが、ランタンが必要なほどの暗い場所では離れ離れになることも早々ないだろうと思い、

 

「ひとつでよい」


 と言った。


 ヴァルダスにランタンを渡し、他に購入するものがないのを確認すると、それではまたニャ、とレインコートは荷車に手を掛けたが、ヴァルダスに言った。

 

「あんまりミルフィをいじめたら駄目なのニャ」

「いじめてなどおらぬ」

 

 ヴァルダスは即答した。しかしレインコートは続けた。

 

「思うにミルフィは、まだまだ分からないことが多いのニャ」

「それを忘れては駄目なのニャ」

「アメネコに説教される日が来るとはな」

 

 ヴァルダスは不満げに目を細めた。ミルフィはふたりのあいだに入ってそわそわしていた。


「ああ、それから」

 

 レインコートがはっとしたように言った。

 

「拠点を作ると良いと思うニャ」

「拠点、ですか」

 

 ミルフィが目を丸くした。

 

「これからますます必要なものが増えてゆくニャ」

「安心出来る拠点があれば、ひとまずそこに置いておけるし、ひと休みも出来るのニャ」

 

 なるほど、とミルフィは頷いた。

 

「まあ、考えておくニャ」

「レインさん、ありがとうございました」

「今度お茶の感想お伝えしますね」

 

 待ってるニャ、とレインコートは手を上げ去っていった。

 やれやれ、とヴァルダスは言って、ミルフィから受け取った布と、ランタンを見つめた。

 

「拠点なあ」

 

 ヴァルダスはずっとひとりで歩いていたから、そのようなことは考えたこともなかった。

 ミルフィもそれを想像出来ないらしく、うーんと言いながらシートに座って、サンドイッチが包まれていた紙を畳んでいる。

 

 ヴァルさん、とミルフィが呼ぶので見ると、ミルフィは紙の次にシートを畳みながら訊いた。

 

「ヴァルさんは剣を持っていなくてもお強いのですね」

「素手で相手を倒すの、初めて見ました」

 

 ヴァルダスはさらりと言った。

 

「先ほどのように手元に何もないことも多々ある」

「それに俺は力に自信があるから、身体を使ったほうが速いときも多いのだ」

「まあ、状況にもよるがな」

 

 なるほど、とミルフィはおおかた片付けを終えて、ヴァルダスの手元にあるランタンを見た。

 

「それは鞄には入れられないですよね」

 

 勿論だ、と頷き、ヴァルダスは自分の鞄の横に取り付けた。

 

 ああ、またヴァルさんの荷物が増えてしまう。自分も同じように、大きな鞄を背負えることが出来たなら。ミルフィは申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、自分の鞄を持ち上げた。

 

「ヴァルさん、拠点と言うものは良く分からないのですけど」

「レインさんの言うとおり、あって損はない気がします」

「ヴァルさんの荷物も減らすことが出来ますし」

 

 ん、まあ、そうだが、とヴァルダスが言いにくそうにしているので、ミルフィが不思議そうに見上げると、

 

「それは言わば荷物を置くだけでなく、時にはねぐらとして使うことにもなるから」

「まるで俺らの家のように思えて」

「何だかこう」

 

 ヴァルダスの言葉にミルフィは顔を赤くした。

 

「そ、そうですね」

「それは追々考えましょう」

 

 しかしヴァルダスは呟くように言った。

 

「まあ、俺は構わないがね」

 

 ヴァルさんは問題ないのか、とミルフィはどきどきした。

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