第7話 あたらしい出会い
7-CHAPTER1
初めてヴァルダスの尾を見て歩いている時とはまったく違うなあ、とミルフィは改めて思う。
時々顔を上げてヴァルダスの背中を見上げると、背負われた剣に隠れているものの、直ぐにそこにあるという意識が強くなる。あの時には分からなかった、いろんな声や、表情。
ミルフィは小走りになると、ヴァルダスの横についた。
ヴァルダスがおや、とミルフィを見下ろすと、ミルフィは笑顔で顔を上げた。
「これから向かう街、楽しみです」
「何という名前なのですか」
落ち着いたようなミルフィの様子にヴァルダスは安心した。
「確かビタ、いやビータだったか」
「街など通り過ぎるだけだからな、いちいち覚えてはいない」
なるほど、ヴァルダスはほんとうにレインコートとしか取引をしないようだ。それなら確かに彼にとって、レインコートは普通の旅人よりも貴重な存在になるだろう。荷車を支えながらも取引を持ち出したヴァルダスの話を思い出す。
「まあ着けば分かるだろうさ」
そうですね、とミルフィは機嫌良く答えた。
先ほどの獣道をしばらく歩いていると、時々さらさら、と水の流れる音がする。恐らく先ほどヴァルダスが水を汲んで来てくれた小川だろう。そう言えば此処の水場をまだ見たことがない。
しばらくして、足元のさくさく、という音に混じって、こつん、という音がする。ミルフィが目を落とすと、それは土色の煉瓦であった。
地面に埋め込まれたその煉瓦に、ブーツの足音がしっかりかつこつ、という頃には、その何とかという街が見えて来て、ミルフィは思わず早足になりかけた。近付くにつれて、そこに暮らしているひとの、わやわやとした、音、声がする。
「落ち着かぬな」
ヴァルダスは既に街の色々な様子が分かるのだろう、耳を横にして憂鬱そうだ。様相を幾らか誤魔化すことの出来るマントを脱いで来たことを後悔してもいた。
「大丈夫ですよ、わたしがいますから」
ミルフィは胸を張ったが、自分でも何が出来るのかは分からなかった。
街の入り口に差し掛かると、野菜や雑貨などを並べている台車が見え、さまざまな店が看板を下げているのが分かる。
すると、きゃあ、と歓声が聞こえて、ミルフィはそちらを見た。
「素敵、狼よ」
「噂には聞いたことがあったけど、ほんとうに見たのは初めて」
「ええ、わたしもよ」
街娘がヴァルダスを見ながら、楽しそうにはしゃぐ声が聞こえる。そろりとヴァルダスを見上げると、前を向いたまま、関心がなさそうだ。次にミルフィがその娘たちに改めて顔を向けると、人間もいれば、他の動物もいる。
しかし皆一様に綺麗な色合いの服を身に纏っている。ミルフィは薄汚れた自分の防具を密かにグローブでぬぐった。その様子に気が付いたのか、ヴァルダスが視線を落とさず、言った。
「何も気にすることはない」
「堂々としていればよい」
その言葉にミルフィは力強く、はい、と返事をして、きちんと前を向いた。
結局ミルフィの、大丈夫ですよ、と言う言葉は早くも覆されてしまった。
「おい、嘘だろ」
後ろから驚いた、しかし弾んだ声が聞こえて、ミルフィは思わず振り返った。灰色のフードを被った、ヴァルダスほどの大きな男が立ってこちらを見ている。
ヴァルダスは何の反応も示さないままだったが、その男性が明らかにヴァルダスに身体を向けていたので、ミルフィは慌ててヴァルダスの鞄のベルトを引っ張った。
ヴァルダスが訝しげな目をしてそちらに振り返ると、その男は嬉しそうにフードを脱いだ。
そこに、陽にひかる体毛を持つ、白い狼がいた。
「ディルム」
目を丸くしたヴァルダスに、そのディルムと呼ばれた男は、
「お前、相変わらず目つきが悪いなあ」
と言って笑った。
「嘘、まだ狼がいたなんて」
「やだ、気が付かなかったわ」
「狼が並ぶと壮観ね」
「素敵だわ」
街の娘がまたきゃあきゃあ言った。ディルムは苦笑すると、またフードを被り直した。
「まあ此処じゃあ、なんだから」
「先に宿屋に行って荷物を置いて来いよ」
「宿屋はあの雑貨屋の向かいだ」
そしてちら、とミルフィを見たディルムは、
「それに、この子とも話をしてみたい」
と楽しそうに言った。
と、ミルフィが口を開く間もなく、びし! と何かを鼻先に突き付けられた。それは杖のようで、先端にきらりとしたえんじ色の鉱石が嵌められている。
「あなた!」
「お兄ちゃんに近付いたら許さないわよ」
驚いてミルフィがその声の主を見ると、そこには灰色がかって、つやつやとした銀髪をふたつに結った少女が、自分をぎり、と睨んでいる。その少女は犬、いや狼の耳が頭部にあった。びりびりとゆれる尾も、背中に見える。
突き付けられたままの杖に言葉を失っていると、ヴァルダスが少女とミルフィの間に入った。目の前にぎゅんとしたヴァルダスの尾がある。
「おい」
普段より低い声だった。
「例えディルムの連れでも、ミルに何かしたら容赦せぬぞ」
ヴァルダスの背中からもわりとした怒りを感じて、ミルフィは慌てた。
「やめろ、ティエン」
「ヴァルさん、落ち着いてください」
ディルムとミルフィは同時に言った。
「ほら、とにかく宿屋に行って来いよ」
慌てたようにディルムが言って、ヴァルダスは鼻を鳴らした。
「俺たちは酒場にいるから」
「場所は看板を見れば分かる」
ディルムは少し早口で言った。
「ヴァルさん、行きましょう」
ミルフィがヴァルダスの背中をそっと押した。
ちらりと横目で見ると、少女は杖を下ろしていたが、未だにミルフィを睨んでいる。それに気付いたディルムが、さっと少女の視界を遮るように入り、こちらを見て困ったように笑い、軽く頭を下げる。ミルフィは首を振ると、微笑んだ。
教えられた宿屋に着いた。扉に手を掛けてぐっと開くと、からんからん、と取り付けられていたベルが鳴った。
「いらっしゃい」
眼鏡をかけた初老の女性が目だけでこちらを見た。
「おふたりさんかい」
「ふた部屋かね」
「そうだ」
ヴァルダスが答えると、その女性は台帳を見て、困った顔をした。
「すまないね、今はひと部屋しか空きがないんだ」
ふたりが黙り込むと、女性は顔を上げ、にっこりした。
「でもお前さんたちなら」
「ひと部屋で問題ないのだろう?」
えっ、とミルフィが目を丸くすると、ヴァルダスは黙って小さな鍵を受け取った。
にこにこしたままの女性と木製の階段を登ってゆくヴァルダスの背中とを交互に見ながら、ミルフィは焦ってしまった。
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