4-CHAPTER3
少女は木製のつやつやしたサイドテーブルの影にいた。どやどやと自分を探す者たちの足音が聞こえる。その者たちが自分に最も近付いたところで少女は微妙に位置を変え、ぎりぎり見えない場所に移動する。想定通り名前を呼ぶ声と背中が自分を追い抜かしていき、辺りが静かになったところで少女はやっとひと息ついた。
少女の肩から背中へと、さらりとした髪が流れる。洋服と同じ黒いりぼんがカチューシャのようにそこにある。
「また呪文を使ったのですね」
敬語のまま独りごちて、やっと立ち上がった。
大きな屋敷。まるで城のようだ。長い廊下の向こうは暗く、壁の両側に、様々な大きさの絵画が薄気味悪く並んでいる。
「けれどわたしには敵いませんよ」
少女は先ほどの者たちが向かっていった先とは逆の方向にゆっくり進んでいく。何となく廊下の端を歩きながら、少しだけ踵の高い、エナメルの黒い靴を見下ろす。
こんなもの、早く脱ぎ捨ててしまいたい。けれど、此処に脱いでいってしまえば、それこそあっという間に見つかってしまう。自分を追いかけていた者たちが再度戻って来ることは明白だ。呪文で間取りを幾度作り替えたとしても、それに惑うのは少女ではなく、むしろ向こうのほうだ。いい加減気付けば良いものを。
このようなこと、一体いつまで続けるのだろう。少女はため息をつく。
そして気を取り直したように顔を上げた。
素早く潜む俊敏さに加えて、少女の勘は優れている。いや、致し方なく、そうなったと言う方が正しい。だから自分を追う者たちの気配にも、隠れ易い空間にも、彼女は容易く反応出来た。
廊下の角を幾つか曲がり、誰かがいる場所では大きなテーブルや柱の陰に隠れながら移動した。咄嗟に屈むと降りて来る長い髪は、視界を妨げるものでしかなく、少女は度々顔をしかめた。
そうこうしているうち、光が差すちいさな廊下に出た。それは色褪せた、古くも優しい色を湛えた木製の扉へと続く。固かった少女の顔が、やっとほころび、それでも左右に誰もいないのを確認してから、くすんだ金色のドアノブを回した。
かちゃり
小さな音を立てたそれを引く。
その音に気付いた者が手を止め、少女を見ると、花柄のスカーフをするりと解いた。
そこには優しい蒼い目をした、ひとりの赤毛の老婆がいた。
「また逃げて来たのですか」
「良くもまあ、上手いことです」
老婆がしわしわの口角を上げる。少女はきしむちいさな階段を駆け降りながら笑った。
「もう慣れっこです」
そこは小さな温室で、その中央の白いテーブルの上で、老婆は土いじりをしていた。ふわり、様々な花のにおいがする。此処はいつもそうだ。
老婆の手元を少女は背伸びしながら覗き込んだ。
「これは何のお花ですか、ローズおばあちゃま」
ローズと呼ばれたその老婆は、微笑んだまま何でしょうね、と笑う。
「庭園の隅に隠れるように咲いていたお花です」
「色んな色があったので、少しずつ摘んでみたのですよ」
少女はローズに手渡された一本の白い花を、興味深そうにくるくると回した。先がほんの少しだけくるんと丸まった花びらは七枚、その中央には黄色と、そして珍しく紫の粉が混じった雌しべがある。少女は目を丸くした。
「このお花は不思議ですね」
そうなのですよ、とローズは感慨深い様子で頷いた。
「何か特別なお薬が出来る様な気がします」
少女の顔がぱあっと明るくなる。
「ローズおばあちゃま、また新しいお薬を作るのですね」
花を握りしめながら興奮した様子の少女に、ええ、とローズは微笑んだ。
そして気付いた様に、言った。
「そう言えば先日あなたがお部屋に戻られてから」
「別のお薬を作ることが出来ましたよ」
少女はぱちっと目を見開いた。
「そうなのですか」
中央の物よりも小さいテーブルや、取手がたくさん付いた棚に向かいながら、ローズは頷いた。
「あなたの言った通りでしたよ」
「お花の気持ちが分かるのですね」
「少し混ぜれば充分でした」
その優しい瞳に、少女が照れ臭そうにしていると、ローズは振り返って、手招きした。
「さあ見てごらんなさい」
「ミルフィ」
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