隠の神

「あのぉ、ギャル文字とか分かんないから、あの河童みたいに喋ったりしてもらえると助かるんですけど」

「ガチャガチャガチャガチャ」

「こぉ、無理がっちゃがりょうチャン。アタシにも分かンね」

「ダメだ!! みんな喋り方の癖が強い! 情報がまとまんない!!」


 二人と一匹の背後を、女の頭付きの蜘蛛の化け物が、牛ほどの巨体で砂埃を巻き上げながら駆け抜ける。

 もはやその程度では驚かなくなった椋伍は、スマホから視線を上げて河童へ頼み込んだのだが。

 文字を打ち込んだ河童は、ニンゲンの言語が口にできないらしい。

 どうやっても、アヒルの鳴き声に無機的な物を加えたような音を発してしまうため、椋伍は嘆き頭を抱えた。河童は「そりゃそうだ」と言わんばかりに肩をすくめる。

 提灯の老婆はといえば「オサ、は、ミンナ、ト」と文字を解読しており、


――アンタ読めるのかよ。


 椋伍は喉から出かかった言葉を呑み、同じくして気を落ち着けた。

 改めて現状に意識を向ける。

 村中に溢れかえった魑魅魍魎と人間と亡霊とを、一体どうしたらよいのか。誰に聞いたら良いのか。

 その目と頭をめぐらせ、やがて「仕方ない」と彼は河童に向き直った。


「オレの言葉は分かる?」


 問いかけにひとつ河童が頷く。

 これで「不便だけど十分か」とやっと彼も諦めが着き、お願いがある、と前置きして


「さっきより人間じゃないのが増えてるし、村に戻ってくる前に見た神隠市カクリシみたくなってる。オレと一緒におばあちゃん守りながら来てくれる?」

「ガチャ!」

「ありがと――うわっ!?」

「ぎゃあ!」


 安堵のため息が、突如響き渡った轟音で掻き消された。

 飛び上がり、腰に巻いたエプロンの裾を握りしめる提灯の老婆を背にまわす。そのまま入れ替わるように、椋伍は音の正体を探った。

 数軒先で砂煙が舞っている。

 生き物のように膨れ上がる砂煙を見るに、木造平屋の家が次々に破壊されているのだ。 

 空からも陸からも、トンボにヤギの目がついたような化け物が襲来しては、家屋を破壊し、生者死者問わず連れ去っていた。


「クソッあれが相手じゃ塩が届かない」


 焼け石に水だ。

 椋伍が服の上から瓶を握って歯噛みしていると、彼らがいる場所から左に数軒先。「食事処」の暖簾が下がった木造の建物に、何人も人間が逃げ込みはじめた。。

 食器の群れが列を成して人間を追っている。


「せめてあれだけでも――」

「ガァ!」

「いやでも」

「ガッガァ!!」


 河童が椋伍を遮るのは早かった。

 食い下がっても諌める河童に続き、


「りょうチャン、アタシらだけで精一杯じゃァね」

「……。ごめんなさい。行こう」


 老婆にそっと諭され、やっと椋伍は折れた。

 応じつつも何度も振り返った先。食器の群れは家に雪崩こむつもりだったのだろうか。子どもよりも細い手足が引き戸に伸びるも、引いても押しても開かないことに苦戦していた。

 中から押さえられているのだろう。

 そこでなにを思ったのか食器共は、一転して引き戸が開かないように押さえ始めた。


――え?


「ちょっと待って。なんか様子が」

「そうそう、その調子。どこからも逃げられないようにしねェとなあ」


 椋伍の戸惑う目の縁が強ばった。

 群れの方から耳に届いた声は、ここに至るまでに数度聞いた。厄災の前触れだ。

 は、と短く吐いたきり息が途切れる。口は僅かに開き、ひとつ喉に唾を送り込むと、椋伍は一歩踏み出した。瞬間、


「ぎゃあああああ!!」


 鋭い悲鳴が響いた。屋内、もっと言えば食器の群れが閉ざしている扉の向こうからだ。たちまち弾かれたように椋伍は「河童!!」と叫ぶ。


「ゴメン、おばあちゃんのこと頼んでもいい!?」

「ンン!? りょうチャンあんたなぁ言うて――」

「ガチャガチャ!」

「ありがとう」

「チョット!!」

「おばあちゃん!!」

「何ぃ?」

「コレ!! 姉ちゃんの努力の結晶やっつけ塩!!」

「ハぁン!?」

「コレ!! や、っ、つ、け、塩!!」

「聞こえてンだよ! あたしゃどにゃあ意味ねって聞いてるンよ!!」

「危なくなったらコレぶっ掛けて!! 絶対役に立つ!!」

「ハァ!?」


 小瓶を二つ、椋伍は握らせた。

 声も目もひっくり返した老婆を安心させるように親指を立てて、


「大体のものはジュってなるから!! 水に溶かしてもオッケー! 雑魚にバリバリ効くよ!!」

「ババアにそがなあぶねェモン持たすな!!」

「大丈夫だって! 塩だしヘーキヘーキ!!」

「いやおめぇ今ジュってなるって――アッちょっと、コラ、待たンね!! りょうチャン!!」


 怒涛のやり取りを無理やり彼は終わらせる。河童が「任せろ」と頷いたからだ。

 騒ぐ老婆を宥める河童を背に、椋伍は真っ直ぐ全速力で駆けた。

 すれ違いざまに食器に塩を振り、悲鳴が上がってもなお足は止めない。

 狙いは食器の化け物より向こう。

 絶叫があがった建物のすぐ脇。

 スルリとそこから姿を現し椋伍をニヤついた顔で見据えた、自分の分身。


「ダイゴッ!!」

「うるせーなァ」


 ブン、と塩の瓶を握った拳が数度空を切る。椋伍をひらりひらりとダイゴは躱して距離を取ると、ぐっと身をかがめ、


――ザリザリザリ!


 コンパスのように爪先で地面を削って円を描いた。


「お前ッ何やって――うわ!?」

「だからうるせーって」


 ドウ、と地面が脈打つように揺れ、椋伍はやっと足を止める。

 ダイゴが描いた円が中心になっているのだろうか。ド、ド、と未だに振動が椋伍の靴を伝い、その不穏な気配に同じ歳、同じ背格好の自分を睨みつけた。

 ダイゴはせせら笑って言う。


「ンな声張らなくても聞こえてんだよ。耳壊れてンのか?」

「ふざけんな。井戸神様どころかアヤメサマと昔の村のことまで利用しやがって……絶対許さねェ」

「はァ? 何、まさか『何の罪もない人達を巻き込むなんて許せない』とか喚くつもりじゃねェだろうな? 他の村の人間を礎に生きながらえても足りなかった連中に、そんな理屈当て嵌めんなよ。――殺したいほどゾッとする」

「アァ? オレがムカついてんのはそれじゃねーよ。終わった人間を無理やり付き合わせて弄んでンのが気に食わねーんだよ。姉ちゃんだってこんな事のために半分になった訳じゃねーだろ頭にヤニでも詰まってんのか?」

「……ウゼーなァ」


 ぼそりと呟いたダイゴは、仄暗い目をぐっと据わらせ、ガシガシと頭を搔いた。


「なんでこんなにウゼーんだろうなァ。オレなのに、気も合わなけりゃ考え方も、何もかもが合わねェ。肉体も持ってやがるし……。また埋めてやろうか?」

「……。また?」


 ふ、と椋伍の脳裏に先程の光景が掠める。

 幼い自分が泣きながら大人の自分を埋めていたアレは、


「そうだ。お前あの時、ホントは何埋めてたの?」

「……。お前だよ」


 カア、とカラスの群れが一斉に鳴いた。近い。

 椋伍が背にしていた建物の屋根の上からで、彼が振り返るとぞろりと十数羽ものカラスが見下ろしていた。

 それらが一羽、二羽と飛び立ちダイゴの頭上にある空を旋回し始める。


「姉貴を忘れたお前を埋めた。何度も何度も、何度も」


 どっしりとした憎しみが籠った声だった。

 ダイゴがそのまま手のひらを上にして腕を差し出すと、椋伍の頭上を最後のカラスが一羽滑空した。足に何かを持っている。

 黒い箱だ。赤い紐で縛られた二段重ねの重箱を、ダイゴがそっと撫で擦るのを怪訝な表情で見ていた椋伍だったが、


「お前、指どうしたの」


 井戸神に捧げたはずの左手の小指が、綺麗に生えていることに目を見張った。

 ダイゴは可笑しそうに口元を引き上げ「さあ?」と返し、


「つーか、ボサっとしてていーのかなァ? あそこのババア諸共、死んじゃうよ?」


 かぽ、と重箱が音を立てた。

 赤い紐が邪魔で、蓋が押し上がらないのだろう。

 かぽ、かぽ、と数度揺れ何度目かに「ねう」と声が漏れ出て――瞬く間に椋伍の産毛が逆立つ。

 口をはくはくと動かし、やっと


「何入れてんだよ、お前。その中」


 そうぎこちなく投げる椋伍に、ダイゴは薄ら笑いだけを返す。

 紐を解き、蓋を箱の上で右回りにずらし、八芒星に見えるように置いて、ついと目を細まり


「時を進める肉体なんか要らねェ。さっさと死に晒せ、クソガキ」


――ギャア! ギャア!


 ダイゴの頭上で旋回していたカラスが、声を揃えて鳴き出した。

 霧散するように村の空で散り散りに飛び去っていくその声は、間違いなく遠ざかっている。


「声が」


 椋伍の硬直していた体が、暴れる心臓に揺らされて息も乱れる。

 ダイゴの傍から声が離れない。

 声量と数を増して、カラスよりも不安を掻き立てるソレ。

 何人もの赤ん坊が、箱の中から狂ったように泣いていた。


――泣ぁく子はどこへ

――泣ぁく子はいずこへ


 恨めしげな女の歌声まで響き始めて、いよいよ椋伍は「うあ」と呻く。

 震える手で塩の小瓶を三つ握りしめ、どこからでも飛びかかられてもいいように腰を低く落とし、そこで気づく。

 食器の群れが押さえていた食事処の戸。

 「あっ」と椋伍がこぼせば、ダイゴはさらに笑みを深めて自らの額に札を貼り付け、箱を地面に置き、ダンと飛びず去った。

 廃材や通りすがる化け物の背中を踏んで、近くの長屋の屋根に避難して、嘲りを隠さず言い放つ。


「椋伍チャンよぉ。お前、井戸神を元に戻して太陽を沈めるなんて言ってたケド、神隠市はもはやそれっぽっちじゃ片付かねーぞ。……そのカミサマモドキをどうにかしないとなァ」


 ダイゴに呼応するように、食器の群れがととと、と走り去った。


――なぁくこは、どこへ

――なぁくこは、いずこへ

――ぎゃああ! ぎゃぁああ!


 戸が開き。

 どぷん、とヘドロのようにぐにゃぐにゃとした女の群れが、互いの境も分からないほどに混じって飛び出してくる。


――こんなはずじゃ

――かえしてよ

――どこ

――あの男のせいで

――ただしいむくいを

――だれもいないのどうして


 口々に恨み辛みを放ち、個々に分離していく女共は皆墨で塗りつぶしたかのようにどす黒い。

 目鼻立ちの輪郭は分かる。大きく開けて喚く口の中は闇が広がるばかりで何も見えない。

 異形の者達は手探りで何かを探すように、前に突き出してゆらめかせ、屋外に出た者から順にふら、ととと、とそこかしこをさまよい始めた。

 そして、 


「誰かいますかー……」


 最後の声が、戸から外へ出た。

 生乾きの血でその身を汚し、絡んだ髪で背中を覆った女。今際の際に手にしていた斧を携えたソレは、


「アヤメ、サマ」


 ぐりん。

 椋伍がその名を口にした途端、アヤメサマと異形の者が一斉に彼を見た。

 ひゅっと息が止まる。


――しくじった


 順序立てて理解するより先に浮かんだ椋伍の思考を、分身は察したのだろうか。


オンの神が死ぬか、お前が死ぬか。東に沈んだ太陽を賭けて見物させて貰うぜ。……じっくりとなァ」


 そう言って屋根の上で胡座をかくと、歯をむき出しにして笑った。

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