雪の日の果て
「ここから見てもあの白さだ。歩いては帰れまいよ」
このところ賊が頻繁に周囲の山里を襲っており、放浪人も鉢合わせになったところを命からがら逃げたのだという。
村の様子が分からない。
お屋敷を飛び出そうとした私を、一緒に都に来ていたみんなが「そんなに急ぐことはない」「今から行ったところでどうにかなるわけでも」と引き止めた。
その悠長さに思わず苛ついてしまうほどで、喚き散らそうとした折り。
兄が、ゆるりとした口調でそう言うのだ。
そうだ、と息を合わせて賛同する村連中の身振りすら鬱陶しい。
思わず睨みつける私に、
――お前一人きりならいいよ
山を眺めたまま兄は告げ、何故か村連中を凍えそうな眼差しで一瞥し、私の手首を掴んで屋敷の敷地から一歩踏み出した。
途端、サア、と枯葉が風に押されるような音に満たされる。
視界は森。土と雪が混ざる獣道に降り立った私と兄は、また一歩踏み出す。
サア。今度は雪をほっくりと被った竹林。そしてもう一歩。
「……」
最後は音もなく、私は生まれた村に帰りついていた。
その事実に驚くより先に、村の様子に強烈な違和感を覚えて目を凝らす。
賊が入ったにしては村が綺麗すぎた。
水を打ったような静けさも、気色が悪い。
兄が握る私の手首はぎりりと痛む。きっとこれがなければ、私は冷静でいられなかっただろう。
能面のように表情を失くした兄は、村に着いた時から拝殿のある方角を見つめていた。
「連れて行って」
なおも力を込めてくるソレの手首に掴みかかり、一言願う。
私を見ないまま兄は手の力をふっと緩め、軽く手首を引いた。
「……どうして」
西野山の拝殿は焼け落ちていた。
周囲には燃えた人間のようなものも寄せ集められて、その様はまるで縛り上げ、外壁へ持たせかけたまま火を放ったかのようだった。
――やったな
やっと絞り出した私に同調するように、兄もそう口を開き、ふつりと怒気を滲ませる。
――そこの連中は人柱か
「……」
――カミサマを作り上げておいて、念の入ったことに祟られぬよう、人間を供えて
私も分かってしまった。
理解したくなくとも、都で引き止めてきた皆の様子がまぶたの裏からはがれない。
焦げた人間に混ざって、嫁巫女が乗る花神輿が中途半端に燃えて残っていた。
「殺してやる」
私の目を盗み、私から神よりも尊い人を奪った奴らを根絶やしにしてやる。
汚らしく幾筋も涙を顔面から滴り落とし、私は拝殿に背を向けた。
兄も同じ想いだろうに、焼け落ちた物をじっと凝視したまま黙って突っ立っていた。
邪魔をしないのならいい。
もうその他大勢の全てがどうでも良かった。
「ぎゃあああああああッ!!」
「帰って! 帰って! 帰って!!」
鐘がうるさい。悲鳴がうるさい。
村に帰りついたばかりの時に流れていた静寂は、達成感からか?
だとしたらなんと憎らしいことか。
おい、今のお前。お前のその侮辱は誰へ吐いたものだ?
まさかあの人にもそんな穢らわしい言葉を浴びせてはいないだろうな?
私は、そんな憎悪で散らかった思考をまとめることもなく、むしろそこから生まれる衝動のままに、ありとあらゆる手段と道具を使って村の奴らを殺して回った。
――自分で舌を噛み切ったから、ああするしかねかったンだ!!
姉をカミサマにした過程を知る村人の一人がそう喚いた。
――賊共は菫様がおら達を祟ったから入り込んだんだ!! にゃらア、居られンようするがは当然じゃってェ!!
うるさい。そうだとして、それはお前達の自業自得だろう。全てをカミサマに擦り付ける下衆共が。
――私が名をつけると、重たくならないかな
何人手にかけただろう。
気づけば血塗れの斧を携え、私はとある家に押し入っていた。
お包みの中の赤ん坊を見つけて、命を刈り取ろうとしたはずなのに、気づけばその子の顔を覗き込み涙を流していた。
姉が名付けた、最初で最後の子。
猫のようにねうねうと言い、私に手を伸ばそうとするその子が、どうしてだか慰める時の姉と重なって動けない。
「姉を弔ってください」
結局、箱とは関係なく村の外に出ていたその子の母親が飛び込んできて、その人と話しているうちに気を削がれてしまい、二人を見逃すことにした。
私にとって村の連中は、あの親子や両親、姉とは全く違う、おぞましい生き物だ。
だからせめて、誰か優しい人に姉を助けて欲しかったのだ。
――アイツじゃない!?
再び、ひたすらに村人を殺して回って辿り着いた、川に沿ってそびえる崖近く。そこで背中を深く斬られた。
姉が生前向けられていた罵詈雑言と共に一太刀浴びて、振り返れば、斬りかかってきた男は驚いていた。
「お前……」
「なんで……どうして……!?」
間違えたのだ。姉が化けて出たと思っていたのだ。
慌てふためく男に、僅かに勢いを落としていた憎悪が膨れ上がり、同じくして今度は別の村の奴にも刺され、斬られ、私は崖から転げ落ちた。
「祟って、やる」
虫の息で這いずるはるか頭上で、屑共が喚いている。
雪と小石を引っ掻き、川まで辿り着くと、己の血で水を汚した。
「この、村に……流れる……卑怯者、共の血がッ絶えるまで」
――祟ってやる。祟り殺してやる
呟き、絶命する間際に過ぎったのは、やはり優しい姉の顔。
結局生きている間、忌み子を肩代わりしてくれていたあの人に、私は何も返せはしなかった。
「お兄ちゃん」
「かひゅッ」
バチン、と何かが弾けるような音と共に、椋伍の意識が引き戻された。
息を止めていたらしい。
椋伍は酸素を急激に取り込んだ喉を、咳き込みながら整えつつ、上着の袖をくいと引く方を見下ろした。
「ゆみちゃん……」
「これあげるね」
「えっいやこれ」
「あげるね」
「……ありがとう」
相も変わらずずぶ濡れの少女から言葉と共に握らされた例のボールペンを、わけも分からず小さく礼を返して受け取り、椋伍は周囲を見回した。
菖蒲という女の記憶を辿っているつもりが、どうやら足まで前に進めていたらしい。
椋伍は川に沿うようにそびえる崖上の林――菖蒲が斬られた場所に立ち尽くしていた。
ゆみが呼び止めなければ、命を落としていたかもしれない。
「ほ、ホントにありがとうございます」
「いいよ。みんなに会う?」
「みんな?」
「病院にいたみんな、あっちの通りにいるよ」
そうか、と椋伍はハッとする。
「景色が戻ってるから、行けるか! 今のうちに早くみんなと合流しないと」
赤黒い空を見上げて呟く。
次いで「頼んでいい?」とゆみへ尋ね、にこりと微笑んで頷いた少女の小さな手を握ると、椋伍は崖に背を向け住宅地を目指して歩き出した。
――ダイゴは神隠市を、死人の掃き溜めだって言ってた。そこまで知ってて、村の成り立ちを知らないなんてことはないはず
――原理は分からないけど、現に汚い直弥に「箱」を握らせて、ユリカさんを攻撃するのにも使ってる
歩を進めるごとに、椋伍の思考が整理されていく。
足を僅かに滑らせた先で支えにした細い木をギリ、と握り眼光を鋭くして、
「これ以上、神隠市も村も汚させるわけにはいかねェ」
ひとりは幽世、もうひとりは現世。
護るための誓いが歪んだ結果、生まれてしまった二つの世だ。今度こそ正しくしなくては。その為に、
「井戸に戻す。姉ちゃんを、井戸神様を」
強く静かに誓う。同じくして、草木が急激に減り開けた場所へと椋伍は出た。
「退きな退きな退きなァアア!! 今日こそ儂が!! 日ノ本一の百二十キロ婆にナるんだよォ!!」
「退くのはオメェだァ!! 毎度毎度アタシの散歩の邪魔してェエ!!」
「助けて!! 助けて!!」
「……な、にこれ」
平屋が並ぶ村の中心部で、古今問わず村人が亡者に襲われ、すぐ傍を老婆が爆走している。
椋伍がどこを向いても状況は変わらない。見れば見るほど村の中は混沌としていた。
蛇のように長い首の両端に女の頭がついた化け物が人に巻付き。
炎を纏った滑車が人を跳ね飛ばし。
大きな目がひとつついた番傘が地面と屋根と、時折人の上を飛び跳ね。
ゆで卵のようにつるりとした顔の何かが、人の顔を剥がそうと掴みかかっている。
それに混じって入り乱れるのは全身緑色の生き物。
それは、頭頂部に大きな水脹れのようなものと、その部分を囲むようにみかんのヘタのようなヒダがある。
「河童!!」
叫ぶも喧騒が邪魔で、そして個体数が多すぎて椋伍にはどれが知り合いの河童なのかが分からない。
ゆみに危害が及ばないよう肩を引き寄せると、そんな椋伍へ彼女は「あれがいい」と一匹の河童を指さした。
村人の老婆を襲う亡者を庇っている。
亡者は老人の姿をしており、ぶすぶすと黒い煙を全身から立ち登らせて、老婆へ掴みかかろうとしていた。
河童は何故か反撃をせず、ひたすら老婆を背にかばい、その場を凌いでいるようだった。
「ゆみ、ここでいいよ」
「え?」
「話しかけてきて」
にこりと見上げるゆみに言いよどむも、椋伍は「危なかったら絶対逃げること」と約束を取り付け、そのまま勢いよく駆け出した。
「河童ァアーッ!! 伏せろォオー!!」
椋伍の雄叫びに河童が老婆諸共身をかがめる。
胸元から出した食卓塩の小瓶を、中蓋ごと投げ捨て、大きく振りかぶり、ザッ!
老いた男の亡霊に勢いよくかけた。
「おばあちゃん、河童!! 無事!?」
「……りょうチャン」
「え」
河童に抱き込まれるようにしてかがんでいた老婆は、ゆっくりとその顔を上げる。
「あ!? オッチャンと喧嘩してた提灯のおばあちゃん!?」
罵詈雑言の応酬をしていた彼女は、しなびた顔を疲労と困惑と涙とで一層老け込ませて頷くと、河童に支えられてよろよろと立ち上がった。
「大丈夫? ですか? 骨折った?」
「折れてにゃあよ。……りょうチャン、罰が当たっちまった。アタシが、アタシらがあがん事したからこにゃァなこつになって、爺さんも、爺さんも、あんな」
割烹着の裾で顔を拭い、おうおうと泣き始めた老婆を見て、椋伍は亡者がいた方へ視線をやり
――あれは、この人と夫婦だったのか
そう胸の奥でごちる。
亡者は両膝を地面につき、ボロボロと崩れたそばから灰のようになって風にその身を削られ、流されている。
「おばあちゃん、すみません。おじいさんにトドメ刺して――」
「いんよ、りょうチャン」
ごめんなさい、と頭を下げようとした椋伍を、老婆の言葉が止める。
老婆はシワに囲まれた小さな目と枯れた声を涙で濡らしていたが、半ば拝むように続けた。
「村が、急にこンななっしまって、家にあん人が来てなァ……痛い痛い言うんけんど、アタシじゃどうもならんでしょう? その内おかしくなって、もう何にもならんごつなったところに、この緑の……何け? 緑のが来て守ってくれて、りょうチャンが来て。ほれ」
老婆が口で示す先で、老人はじわじわと生前の色を取り戻しながらほろほろ崩れていく。
「ちゃんと人としてあっちに戻れるんよ」
ぐう、と椋伍の喉が締まり、眉がたわむ。
村とあなたの旦那さんがこうなったのは、オレのせいなんですよ。
声に出す寸前にガチャガチャ、と耳に馴染みのない擦れ音が椋伍へ語りかけた。河童だ。
「あれ、もしかしてオレが知ってる河童じゃない……? 人違い?」
コク、とそれは頷く。
今病院組のことを誰よりも知っているのはあの河童だ。
合流を急いでいただけに、少なからず落胆した椋伍は「そっか」と眉を下げた。
だがその河童は気を悪くすることも無く、簾のような腰巻きから、何やら平たい板――いや、スマートフォンを取り出し、いじり、その画面を椋伍と提灯の老婆に向けた。
『長 しよ 皆 `⊂ 一緒』
「……。何から突っ込めばいいかわかんねーよ」
今なお村では絶叫と轟音が響いている。
一転して緊張感を無くした河童の挙動に「なんねこの文字は」と訝る老婆の隣。
一瞬にして居心地の悪さも、しんみりとした感情も表情も消し飛んだ椋伍は、画面に顔を照らされながら、ボソリと低くそう返したのだった。
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